1952-11-13 第15回国会 参議院 厚生委員会 第2号
○証人(田中賢次郎君) それから一般の日本人に対する態度でありますが、これは概して非常に一般人は良好であります。比較的好意を持つおてります。 それから引揚事情でありまするが、今までのところ向うの各公営機関に留用されていた日本技術者の帰国はなかなかむずかしくありました。その理由ははつきり私たちにはわかりません。
○証人(田中賢次郎君) それから一般の日本人に対する態度でありますが、これは概して非常に一般人は良好であります。比較的好意を持つおてります。 それから引揚事情でありまするが、今までのところ向うの各公営機関に留用されていた日本技術者の帰国はなかなかむずかしくありました。その理由ははつきり私たちにはわかりません。
○証人(田中賢次郎君) 私は終戦当時は、現地召集で河南省のほうに行つておりましたが、そこで終戦になりまして、その年の十一月現地解除になりまして済南のほうに帰つて参りました。当時はまだ経南にありました日本の四十三軍の経理部、通称村里隊と言つておりましたが、そこで通訳で奉職しまして、そのまま国民党に倉庫の材料の管理員として留用されたわけであります。それから昭和二十三年の九月に済南に中共軍が入城しまして、