1954-06-03 第19回国会 衆議院 厚生委員会 第56号
○渋谷参考人 お説の通り東京都同胞援護会そのものは解散いたしておりますが、それに伴いまして板橋に対しての何らのつながりも持たなくなりました。しかしながら従来同胞援護会板橋支部の名前をもつて経営しておりました興亜寮及び洗心寮及び八丁原の戦災者居住住宅という経営は依然として継続しなければなりませんので、そこで板橋同胞援護会という名前で今日まで経営をいたしております。さらにこれに伴つて有名無実ではないかという
○渋谷参考人 お説の通り東京都同胞援護会そのものは解散いたしておりますが、それに伴いまして板橋に対しての何らのつながりも持たなくなりました。しかしながら従来同胞援護会板橋支部の名前をもつて経営しておりました興亜寮及び洗心寮及び八丁原の戦災者居住住宅という経営は依然として継続しなければなりませんので、そこで板橋同胞援護会という名前で今日まで経営をいたしております。さらにこれに伴つて有名無実ではないかという
○渋谷参考人 しきりに援護会の経理の面において不正があるということをおつしやつて、特にその中に、二十五年から経営の内情を共同募金の当局に訴えまして、その配分を申請いたしましたところが、爾来少額の配分金をいただいて、二十八年度までに約百万円ほどになりました。その費途について明瞭を欠く、これには一部の者が不正を働いておるのであるというふうに不正呼ばわりをされて宣伝をされておるのでございます。私はほかのことと
○渋谷参考人 私は板橋の区長の渋谷常三郎でございます。二十六年の四月に区長に就任をいたしました。 ただいまお尋ねになりました板橋十丁目に所在いたします興亜寮の件でございますが、これは今お尋ねの中にありましたように、終戦後板橋区が戦災者のために陸軍省から借り受けまして、戦災者を収容したところでございます。大体規模は二階建が五棟、平屋が九棟、広さは大体六千八百坪のところに二千坪余りの建物が建つております