○参考人(浜野規矩雄君) 私は、らいのほうは極く少数になつておりますが、こういう患者さんたちがすべてを犠牲にして療養所に入つて自分がなめた苦痛を第三者に負わさせないことが一番根本問題だろうと思う。そういうふうな犠牲的な精神からお入り願う人にはどんなことでもして、その家族に対しては国民がいろいろなことお礼をするのもいいのではないか。 併し私たちが痛切に考えますのは、皆さんがたのほうで問題になつております
○参考人(浜野規矩雄君) 私お呼び出しにあずかりましたが、考えて見まするに、現在藤楓協会の常務理事をいたしております。そういう点でお呼び出しになつたものと存ずるのでありますが、約二十何年間らいの患者さんとは一緒に暮して来たわけであります。そこにお坐りの草間専門員さんが主任で私がその下で働いておつた時代もございましたが、そういう時分には先ほどお話のように、かなり癩療養所は暗いものが多分にございました。
○証人(浜野規矩雄君) こういう騒ぎができたことについて何か感じないかというお話でございますが、BCGの研究が、先ほど申上げましたように、極めて真剣に多数の学者がお互いに自分たちの学問を披瀝し合つて、スタンダードをきめ、そうして愼重な態度で御研究をなされたものであります。その御研究は私たちの長い生活におきまして、日本で初めてではないかと思うのであります。これは日本だけではありません、外国でも、世界中
○証人(浜野規矩雄君) 先ほど申上げました通りでございますが、BCGが終戦後アメリカが参りまして、日本の医学をつぶさに調べました中で、一番日本の医学の中で感心して帰つたものがBCGと紅波という薬の二つのものを挙げておりまして、このBCGを持ち帰りまして、直ちにアメリカがやりました。これは翌一九四六年九月にWHOのほうが取上げて実施し、又十月にはアメリカ政府が地方庁へ移牒しておることを私たちは聞いておるのであります
○証人(浜野規矩雄君) 私は今般証人としてお招きにあずかりました者の中で学者にあらざる者の一人であります。私に対しまする証言は、先ほど委員長からお話のありましたように、BCGが予防接種法に載りましたときのいきさつその他をお話申上げ、あと只今ありましたような私の意見を述べて見たいと思うのであります。 私が結核に関係をいたしましたのは昭和七年であります。二カ年間の国際連盟の交換留学生で欧米に行つておりまして