1950-03-31 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第12号
○江口参考人 先刻も私申し上げましたように、一昨年の七月、ハルピン、牡丹江地区におきまして、これは先刻申し落しましたが、当時圖們方面におきまして、日本人を朝鮮経由で帰すといううわさが、あちらこちらにとんだわけです。それをまことにとりまして——また事実そういうこともあつたというふうなことも聞いておりますが、これは私はつきりわかりません。ハルピン、牡丹江地区におきまして、ぜひ早く日本人を帰してほしいということを
○江口参考人 先刻も私申し上げましたように、一昨年の七月、ハルピン、牡丹江地区におきまして、これは先刻申し落しましたが、当時圖們方面におきまして、日本人を朝鮮経由で帰すといううわさが、あちらこちらにとんだわけです。それをまことにとりまして——また事実そういうこともあつたというふうなことも聞いておりますが、これは私はつきりわかりません。ハルピン、牡丹江地区におきまして、ぜひ早く日本人を帰してほしいということを
○江口参考人 私は終戰直後から東満洲鉄道の牡丹江の方に引返しまして、東満地区一帶の日本人の救出、並びに救済の責任者としてお世話をしておつたわけでありますので、そういう関係で終戰直後の模様から簡単に申し上げたいと思うのであります。皆さん御存じの通り、牡丹江を中心とする東満洲の一帶、それからチチハルを中心とする北満洲の一帶は、八月九日の朝からソ軍が侵入して参つたわけでありまして、その当時の状態は、非常に
○江口参考人 終戰当時、あなた及びほかの日本人が直面した実情、それから帰国の妨害になるようなものがあつたか、それからその残留の数がもしおわかりでしたら、おつしやつていただきます。
○証人(江口光夫君) 先刻申上げましたけれども、もう一回繰返して申します。牡丹江省及びその周辺に七百、それから仙洞五十、鳳山炭鉱これは七十、それから難西淡鉱千三十、東安これは附近も含みまして千五十、佳木斯三百、鶴岡炭鉱千、その他八百で、以上は概ねであります。合計して六千であります。
○証人(江口光夫君) もう少しですから……。その後更に又一昨年から山の中に兵隊かまた残つておるというような話がありまして、これはその年の初め頃から、興安嶺とか、東京城の山の中にこれらの救援に行つた人があるようでありますが、これらの救援に行つた方を、更にこれを日本人のスパイということにいたしまして、連累者とみなされた者も約三十名程ハルピン、牡丹江において引つ張つてしまつたのであります。その中に私も加えられまして
○証人(江口光夫君) 私は終戰後から東部満州地区の同胞の救援の責任者をしておりました関係上、東部満州につきましてお話申上げたいと思います。昭和二十年八月九日でありますが、朝から国境線一帶につきましてソ連軍が進撃を始めて参つたのであります。従いまして牡丹江以東の者は十日から陸続としてハルピン、新京、奉天方面に難案を開始したのであります。ソ連の進撃が以外に早かつたのでありまして、十四日の日にはすでに牡丹江