1954-05-24 第19回国会 衆議院 通商産業委員会 第54号
○橋井参考人 資本と技術の二つの問題でありますが、資本の問題につきましては、会社の内容にわたることでありますので、多少詳しく申し上げます。現在アメリカのスペリー・コーポレーシヨンの持つておる株は四分の一で、それ以上ではございません。これを持ちました経過は、元来スペリーと東京計器との関係は、数十年にわたる非常に長いものであります。ジヤイロ・コンパスの製造から始まりまして、戦後さらにそれを広げまして、レーダー・ロラーン
○橋井参考人 資本と技術の二つの問題でありますが、資本の問題につきましては、会社の内容にわたることでありますので、多少詳しく申し上げます。現在アメリカのスペリー・コーポレーシヨンの持つておる株は四分の一で、それ以上ではございません。これを持ちました経過は、元来スペリーと東京計器との関係は、数十年にわたる非常に長いものであります。ジヤイロ・コンパスの製造から始まりまして、戦後さらにそれを広げまして、レーダー・ロラーン
○橋井参考人 すでに私の申し上げたいと思うことは、大部分について同じ御意見が述べられております。過剰の投資を避けて現在の不足な日本の経済力を集中することが、航空機工業全体の急速な発達のためには、ぜひとも必要であると思うのであります。そういう意味からいたしますと、こういう統制法規はやむを得ざるものであり、しかも非常に必要なものであると信ずるのであります。 なお多少つけ加えて私の卑見を申し上げまして、
○橋井証人 実はその点もう一ぺん確かめたい点がありますが、記憶がはつきりしないのであります。大部分の課長をやつておりましたのは若林幸二であります。武内課長は機政課長として機械局におりました。何かの都合で若林君が海軍に帰りまして、武内君が一時兼務したことがあるかもしれませんが。大部分は若林君であります。
○橋井証人 私が機械局長をいたしておりました昭和二十年三月末から終戦に至るまでにおきましての課長は、海軍大佐若林幸二であります。ただ、つけ加えたいと思いますのは、このダイヤモンドの供出は、その前の年から私の就任までの間に実際上買取りの大部分が行われております。その場合におきまして、当初課長をいたしておりましたのは大友という海軍大佐であつたように承知いたします。また局長は美濃部洋次という人であります。
○橋井証人 はい。
○橋井証人 十八年十一月から二十年の四月までの間であります。
○橋井証人 簡単に経歴を申し上げます。昭和二年三月東京帝国大学法学部を卒業いたしまして、同年四月商工省商工属、五年七月商工事務官として愛知県に勤務いたしました。七年商工事務官になりまして商工省にもどりまして、昭和十年内閣調査局調査官、十一年五月企画庁調査官、十一年十一月企画院書記官、昭和十一年十二月商工書記官になりまして、その後約十余の課長として各局部に勤務いたしております。十六年四月外務書記官を兼任
○橋井証人 はあ。