○参考人(槌田敦君) 変形工学の研究室は金属だとかそれからプラスチックスだとかの加工の研究をしているわけですけれども、私の場合は特別研究室ということになっておりまして、特別研究室の世話をする方として変形工学の主任研究員がなされているので、名義的に変形工学という名前がついているだけです。
○参考人(槌田敦君) 槌田でございます。理化学研究所の研究員をしておりまして、資源問題の研究者です。 私が遺伝子だとか生物だとかに関心を持ったのはずいぶん昔のことで、それは、大学のころ生物化学を学んでおりまして、それから大学院は東大で生物物理学を勉強していたわけです。しかし、そのころまだそんなに進歩していたというわけではありませんけれども、この研究の方向はどうせ生物を改造する、人造生物といってもいいのですけれども
○参考人(槌田敦君) この大衆団交が起こりましたのは——大衆団交ということばはあまりいいことばではないとお考えの方も多いかもしれませんが、大ぜいの人たちが、組合員多数が出席する団交だと思っていただいてけっこうです。私どものところは、大体組合員総数四百五十人ぐらいの組合ですけれども、三月三日から七日まで連日四晩、大体多いときで百五十人、少ないときで百人程度の方が毎晩四日間団交をやったわけです。そういう
○参考人(槌田敦君) 理化学研究所労働組合の委員長の槌田敦でございます。 四十三年度のベアの交渉というのは、四十三年六月二十日、理化学研究所労働組合から理化学研究所に対して出した統一要求書で始まるのです。それからずっといままで交渉が続いているわけですが、その初めの段階でどのようなことになったかといいますと、六月二十日から七月のたしか十五日に団体交渉があったわけですが、そのときに、所側の申しますのは
○参考人(槌田敦君) 理化学研究所労働組合の委員長の槌田敦でございます。 四十三年度のベアの交渉というのは、四十三年六月二十日、理化学研究所労働組合から理化学研究所に対して出した統一要求書で始まるのです。それからずっといままで交渉が続いているわけですが、その初めの段階でどのようなことになったかといいますと、六月二十日から七月のたしか十五日に団体交渉があったわけですが、そのときに、所側の申しますのは