2004-11-11 第161回国会 衆議院 憲法調査会公聴会 第1号
○植松公述人 これはもう中山会長が十分に御経験があると思うんですが、脳死臓器移植が問題になりましたときに、やはりこれで一番難しかったのは、臓器を移植するというよりも、脳死の状態をどのように判定するかということが大事であった。そのときに、いろいろな面での考え方がございました。 その中で、日本の宗教といいますものを、私どもは、自分のところは仏教だと思っておるわけでございますけれども、お盆が来たときにどうこうという
○植松公述人 これはもう中山会長が十分に御経験があると思うんですが、脳死臓器移植が問題になりましたときに、やはりこれで一番難しかったのは、臓器を移植するというよりも、脳死の状態をどのように判定するかということが大事であった。そのときに、いろいろな面での考え方がございました。 その中で、日本の宗教といいますものを、私どもは、自分のところは仏教だと思っておるわけでございますけれども、お盆が来たときにどうこうという
○植松公述人 私が医師になりましたのは、昭和三十年に卒業しておりますから、もう来年で五十年になるわけでございますが、そのころといいますのは、やはり戦争というものの中で、現実に身近に命を失った人がたくさんあった、また、家庭におきましても、いわゆる病気で亡くなる場合もほとんどが家庭で亡くなっておったという中で、人間の死というものは、皆さんが目にし感じてきた中での命という考え方が、身をもって体験したというか
○植松公述人 このような機会を与えていただきましたこと、厚く御礼を申し上げたいと思います。 私は、生命尊重の思想というものを中心に置きながらお話を申し上げたいと思います。 終戦から今日に至るまで、我が国がたどった道のりは決して平たんとは言えず、明暗さまざまな出来事が起こったわけでございますけれども、人々は衣食に不足することなく、一見、至って平和な日常を暮らせております。これは、大局的に見れば、我