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113件の議事録が該当しました。

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1956-02-29 第24回国会 衆議院 決算委員会 第10号

梶井説明員 日本電信電話公益といたしまして一言御説明申し上げたいと存じます。二十八年度につきましては、前国会で当委員会の席上におきまして一応申し上げましたので省略いたしまして昭和二十九年度分につきまして申し上げます。  〔片島委員長代理退席委員長着席〕  政府説明書にも書いてあります通り昭和二十九年度は異常なデフレ経済に際会しましたが、当公社におきましては、予定収入に対して減収の形勢が察知されましたので

梶井剛

1956-02-28 第24回国会 参議院 逓信委員会 第6号

説明員梶井剛君) 今の御質問は、そういう意味においてお答えいたしましたのですが、しかしこの法案衆議院で提出されました当時において、参議院でも審議されまして、その機会に私ども意見を申し上げました。それは、元来国際通信国内通信とはお互いに関連しているものだ、従ってどこの国へ行きましても、多くの場合国際通信国内通信は同一の系統によって運営されている。さような密接な関係にあるのでありますから、われわれの

梶井剛

1956-02-28 第24回国会 参議院 逓信委員会 第6号

説明員梶井剛君) 現在大蔵省が持っておられます株式は、電電公社現物出資をいたしました代償としての株式であります。従って、これがもし電電公社に戻される場合には、市価で買うのでありません。現物を出資したその代償として、株式電電公社に戻してもらうということでありますから、金銭の授受は全然ないのであります。   〔委員長退席理事島津忠彦着席

梶井剛

1956-02-09 第24回国会 衆議院 逓信委員会 第4号

梶井説明員 ただいまの御質問に対しては、まことに私どもが行き届かなかったと思うのであります。それは、公社ができたときにわれわれが強く印象づけらましたことは独立採算制であります。従ってできるだけ自己の力によって拡充をしていかなければならない。また官業から公社に移ったのでありますから、いわゆる経済的な観念というものを無視して独立採算制の実現は困難であるという考えから、私ども公社の人々に対して強く経済的観念

梶井剛

1956-02-09 第24回国会 衆議院 逓信委員会 第4号

梶井説明員 当初五カ年計画を立てます際には、わが国電信電話事業はあらゆる面において欠陥を包蔵いたしておりまして、これを一挙に解決することはきわめて困難であります。従って最も切実に感じられておるところの大都市重点を置きまして、過去約三年近くを施策して参ったのであります。しかし都市も、全部というわけではありませんが、その中心地は漸次解決がついて参りましたので、次には中小都市重点を移行して三十一年度

梶井剛

1956-02-04 第24回国会 衆議院 逓信委員会 第2号

梶井説明員 ただいまから昭和三十年度日本電信電話公社運営上のおもな問題並びに三十一年度予算につきまして、概略説明申し上げます。  本年度予算事業収入千百七十五億円余でありますが、収入実績おかげをもって好調でありまして、十二月末の決算によりますと、電信収入は六十四億円余、電話収入は八百十八億円余、その他の収入を合せて事業収入合計は九百十四億円余でありまして、年間収入額かなりの増収が期待

梶井剛

1956-02-03 第24回国会 参議院 逓信委員会 第2号

説明員梶井剛君) ただいまから、昭和三十年度日本電信電話公社運営上のおもな問題並びに三十一年度予算につきまして、概略説明申し上げます。  本年度予算事業収入一千百七十五億円余でありますが、収入実績おかげをもって好調でありまして、十二月末の決算によりますと、電信収入は六十四億円余、電話収入は八百十八億円余、その他の収入を合せて事業収入合計は九百十四億円余でありまして、年間収入額かなり

梶井剛

1955-11-26 第23回国会 衆議院 逓信委員会 第1号

梶井説明員 お答えいたします。第一の合理化に伴って首を切りはしないかというお尋ねでありますが、これは私どもは、現在いる人に対しましては絶対にこのような措置をとらぬように努力いたしますということを、今まで再三言明いたしております。従って今後におきましても合理化に伴って人を減らすというようなことはやらない。むしろ合理化をしつつありますけれども、同時に事業がどんどん年々伸びておりますから、それに対しての

梶井剛

1955-11-26 第23回国会 衆議院 逓信委員会 第1号

梶井説明員 電信電話事業の性格といたしまして、だんだん事業が拡張するに従ってオートメーションが行われております。従ってこれに伴う合理化というものをやらなくちゃならぬようになります。しかし合理化をやるに従って、われわれとしましてはできるだけ配置転換というものを円滑にやらなければならない。でありまするから、合理化をする場合に、労働強化にならないように、なるべく忍び得る程度の変化でもって配置転換をやっていきたい

梶井剛

1955-07-30 第22回国会 衆議院 決算委員会 第32号

梶井説明員 ただいま私ども日本電信電話公社の二十八年度決算報告に関連いたしまして会計検査院から厳重な批難を受けました問題は、不当事項が六件並びに不正事件が二件でございまして、この御批難に対しましては私どもはまことに検査院の御指摘通りでありまして、遺憾しごくに存じておる次第であります。  二十八年度におきましては電信電話料金の値上げにつきまして国会の御承認を得ました。その際に国会の御注意といたしましては

梶井剛

1955-07-26 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第32号

梶井説明員 さきにも申しました通りに、大都市は、大体はビジネス・センターの方は解決がつきつつあります。従って大都市といえども今後拡充されまするところは、いわゆる住宅地域でありますが、経済的活動という意味からいいますと、第二次的な関係を持つとわれわれは思うのであります。中都市といえども、やはりまた経済的活動は、相当国民に対しては貢献しておられるのでありまするから、われわれは現在の大都市住宅地域よりも

梶井剛

1955-07-26 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第32号

梶井説明員 わが国電信電話事業拡充につきましては、終戦後はもっぱらその復旧に努めて参りました。その後漸次復旧が進むに従って拡充に入ったのでありますが、当時は、各方面とも非常な積滞数がありまして、これを一挙に解決することは困難であったのであります。ところが、当時進駐軍の意向としましては、設備のあいておるところはすべて開通をしたらいいじゃないか、現在売り得るサービスを売らないということは意味をなさないということをいわれたために

梶井剛

1955-07-19 第22回国会 参議院 逓信委員会 第13号

参考人梶井剛君) きょうは参考人として出ておりますので、従って私の意見参考人範囲にとどめて……。  私が申し上げましたことの中にも、私は提案者ではないのであります。私は提案者のごとくに主張すべきではないと思います。ただ提案された法案に対する自分の意見を述べたにすぎない。従ってすなわち異議がないということを申し上げたのでありまして、徹底的に公社が株を持たなければならないということは、私の説明する

梶井剛

1955-07-19 第22回国会 参議院 逓信委員会 第13号

参考人梶井剛君) 今の御趣旨の通りであります。将来会社経営等におきまして、われわれの経済的な援助の必要が生じたというようなときにおきましては、積極的に協力していきたいという考えを持っております。従ってその場合において株主であった方が一そう近い関係からいってできるのじゃないかと、こういう好意的な意味で申し述べたのであります。

梶井剛

1955-07-19 第22回国会 参議院 逓信委員会 第13号

参考人梶井剛君) 先般衆議院逓信委員会におきまして、公社法改正法案審議に際して、参考人として呼び出されまして意見を開陳いたしましたので、そのことについて最初に申し上げたいと思います。  その場合における法案内容は、会社創立後におきまして処分未済になりました約総株数の五分の二の株式全部を公社に返す、またその場合におきまして、その株式が総株数の五分の二でありますから、これによって会社経営に圧迫

梶井剛

1955-07-11 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第27号

梶井説明員 一月当時に私自身はさようなことを毛頭考えてもおらなかった、従って私は全然ございませんと申し上げたわけでありますが、これは私が全然知らなかったから率直に申し上げただけの話でありまして、ただ株式が二年近くも処分されないでそのままあるものでありますから、このままいつまでも売れないというならば、むしろ公社にその株を返してもらった方がいいのじゃないかということを、多分常識的に文書課長考えたのじゃないかと

梶井剛

1955-07-11 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第27号

梶井説明員 課長は今申し上げます通り文書課長がそういう案を出したということであります。幹部会というのは理事の人ももちろん中におります。しかし理事だけで構成しておるのじゃなくて、本社の局長、次長並びに文書課長秘書課長あるいは経営調査室の主幹というものが加わって、毎週一回あるいは二回ずつ絶えず公社におけるいろいろな問題を討議しておるのでありまして、その際に今申し上げます通りに、文書課長から合理化

梶井剛

1955-07-11 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第27号

梶井説明員 先般の国際電信電話会社株式の問題につきまして、公社理事会においてさようなことを一月ごろに審議したかというお尋ねでありましたが、一月には理事会を開いておらなかったのであります。従って理事会では全然さようなことは審議しておらなかったのであります。理事会は私が議長になって審議するわけですから、私もあればもちろん出席するわけであります。従って知らない、全然ありませんと申し上げたわけであります

梶井剛

1955-06-30 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第22号

梶井参考人 経営委員会に報告いたしましたのは、今からちょうど二週間前であります。従ってまだこの法案の形が十分にできておらなかった時分だろうと思います。ただ私どもは、そういうことが議に上っておるということを経営委員会に申し上げただけでありまして、これも協議したわけではないのであります。ただ簡単に、口頭でさようなことが現在国会において審議されるような模様でありますということを申したにすぎないのであります

梶井剛

1955-06-30 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第22号

梶井参考人 ただいまのお話通りに、公社理事会におきまして、国際電信電話会社株式を譲り受けたいということを議に諮ったことは絶対にございません。ただ私どもには経営委員会というものがございまして、経営委員会に重要なことを協議し、あるいは報告しなければなりません。従って今回逓信委員会におきましてこの法案を御審議になるというお話を聞きまして、大体の御意向経営委員会に述べましたことはございます。それ以外

梶井剛

1955-06-30 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第22号

梶井参考人 今度の日本電信電話公社法の一部改正に対する法律案各条につきまして、最初に結論的に申し上げます。  今度の改正に対しまして、私どもは別にこれが従来のものに比較いたしまして、不都合であるという点は一つも認めません。かつこの法案提案理由書を拝見いたしまして、今日の情勢をもってするならば、政府が、大蔵省で保有しておられます国際電信電話会社株式処分というものは、当分見込みがないのでありまするから

梶井剛

1955-06-28 第22回国会 参議院 逓信委員会 第10号

説明員梶井剛君) この十四億円の株式政府が持っておられるのを公社肩がわりをするという場合に、現金の出入りは全然ないのであります。従って資金が固定するわけじゃなくて、現物出資をしましたものを名義政府が売りさばく間だけ持っておられるということでありますから、これは公社名義書きかえをするだけで、全然資金の固定はない。ただし、二十八年度予算におきまして、初めからその財産が全部売却されるものとして

梶井剛

1955-06-28 第22回国会 参議院 逓信委員会 第10号

説明員梶井剛君) それは私見にわたるので、私から申し上げることはさし控えたいと思います。  現在におきましてその株式というものは、先ほど大臣からお話しがありました通りに、大蔵省名義人となりまして、証券市場に売り出すことになったのであります。第一回に約十八億円ばかりというものを売り出して消化されました。さらに続いて第二回にあとの残りの十五億円というものを売り出したのでありますけれども、一千二百万円

梶井剛

1955-06-28 第22回国会 参議院 逓信委員会 第10号

説明員梶井剛君) 国際電信電話会社を成立さすところの法案というものは、電電公社設立前に国会において可決されております。従って私どもはその法案に定められた通りに二十八年の四月から電電公社というものが分離したわけであります。  もちろん今お話し通りに、当時相当国際通信というものは利益があがっておりましたが、それにもかかわらず、それを分離して、純民間会社として出発すべきものであるという法案でありまして

梶井剛

1955-06-24 第22回国会 衆議院 決算委員会 第21号

梶井説明員 まことにこの点につきましては私ども大蔵省に御迷惑をかけております。しかし一般の場合と違いまして、私ども供託金を出しませんでも、必ず払うという誠意は持っております。従って、契約ができまして借用料がきまりましたならば、大蔵省の決定されたようにわれわれは支払いまして、大蔵省に損害を与えないようにしたいという考えでおります。

梶井剛

1955-06-24 第22回国会 衆議院 決算委員会 第21号

梶井説明員 この土地建物昭和二十一年から当時の逓信省で拝借しておりまして、そうして通信学園に使って、従業員の再養成をしてきておったのであります。それが二十六年に学園が他に移転いたしました。ところがこの建物の中には学園の教職員並びに学生が寄宿いたしております。新しい学園においてはかような住宅がなかったために、従来通りそこに居住いたしておりまして、新しい学園へ通っておったのであります。従ってこのことにつきましては

梶井剛

1955-06-24 第22回国会 参議院 決算委員会 第20号

説明員梶井剛君) もちろん通信事業公共性を第一に考えます。しかし需要供給関係によってこれが支配されるものでありますから、自然需要の多いところに優先的に施設を拡充していかなくちゃならぬということは、これは避けがたいのであります。そういう意味において利用の多いとこというのは、多くは利用価値の非常に多いという意味であります。でありますから、そういう収入の多いとこ需要が多いというような現象になっておりますので

梶井剛

1955-06-24 第22回国会 参議院 決算委員会 第20号

説明員梶井剛君) 日本電信電話公社といたしまして検査院から事業経営全般について御批判なりまた御注意を受けましたことは、まことに私どもの責任でありまして、これらの御注意に対しましては、私どもは十分に注資して、かような不当事項、または不正事項について再発しないように努力いたしたいと考えておる次第であります。経営全般につきましても、また個々の不当事項につきましても、検査院の御指摘は全くその通りでありまして

梶井剛

1955-06-07 第22回国会 参議院 逓信委員会 第8号

説明員梶井剛君) ただいまの大臣の御答弁に対して私から少し補足いたします。二十九年度と三十年度予算の相違につきまして、内容を申し上げますると、従来加入者がふえ、市外線がふえるごとに収入は相当ふえて参っております。従って二十八年度において二十九年度予算を編成するときには、九月末の収入単金をもって、それにある程度加入者市外線の増設を見込んで収入を見たわけなんです。ところがデフレ関係でもって

梶井剛

1955-06-07 第22回国会 参議院 逓信委員会 第8号

説明員梶井剛君) 二十九年度予算につきましては、今、久保委員お話し通りに、当初われわれが大蔵省に要求しましたものに対しまして相当減額をされたのであります。従って五百三十一億という実行予算年度当初においては計画したんでありますが、デフレの影響のために減収が著しく起りまして、またそれに加えるに発行予定の社債がかなり大きく不消化になりまして、そういうような結果、今お話し通りに、実行上におきましては

梶井剛

1955-05-20 第22回国会 参議院 逓信委員会 第5号

説明員梶井剛君) 現在におきまして、早くからすでに市に編入されておるところにもまま市外通話でやっておるところもございます。しかし今回新たに合併されましたところは非常に数が多いのでありまして、これを一挙に解決するということはできませんので、現在は少くも従来通り市外通話の状態になっております。これを漸次改めて市内通話にするか、あるいは市内通話にしても、あまり距離の遠いところは市外通話のままにしておきましても

梶井剛

1955-05-20 第22回国会 参議院 逓信委員会 第5号

説明員梶井剛君) 町村合併いたしまして市制がしかれた場合に、通信機関がそのままでありまするならば、今までよりも利便は少しも増すことはありません。ただ観念的に申しまして、一つ行政区域になりますと、その場合に従来の方針といたしましては、一つ行政区域のものは一つ通話区域にするという方針をできるだけとっております。たとえば東京都におきましては東京都内一つ市内通話区域にする。そういう意味から申しまして

梶井剛

1955-05-20 第22回国会 参議院 逓信委員会 第5号

説明員梶井剛君) ただいま公社予算につきましても郵政大臣から御説明がありましたので、補足する意味におきまして申し上げます。  まず損益勘定について申し上げますと、収入は一千二百七十五億円余でありまして、前年度予算と比較いたしますと十六億円余の増加でありますが、前年度におきましてはデフレによる通信利用の減退、特急、至急通話等の減少によりまして約四十七億円程度減収が見込まれますので、実質的には前年度

梶井剛

1955-05-12 第22回国会 衆議院 逓信委員会 第12号

梶井説明員 公社といたしましては、独立採算制をとっておりますために、できるだけ計画的に、長期計画をもってやらなくちゃならぬのでありますが、一方において収入をはかるということが必要なんであります。従って設備の許す範囲におきましては極力それを生かして、開通を急ぐということをいたしております。これは一方におきまして新加入者が相当殺到しておるのでありますから、その人たちの希望を満たすという意味からいたしましても

梶井剛