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2件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1956-05-17 第24回国会 参議院 文教委員会 第28号

参考人林知義君) この運用の面において大都市町村は、教育委員会発足当時からの精神から申しますと、逆の現象を持っておる。そこで都市の方は、もしやるとするならば、これは公選でも差しつかえないじゃないか。しかしながら今度の町村合併によりまして、全国でまず五千の委員会単位があります。そこでそのうちで都市は一割弱の単位になります。そこで考えまして、そのときに都市はよく人物もわかるし、経済的に、公選が行

林知義

1956-05-17 第24回国会 参議院 文教委員会 第28号

参考人林知義君) 都市の場合には、私はやはり互選でいくべきものだと思っております。それであの法案に対して、今の大きな流れから、それはちょっと疑義がありましたから、私、緒方局長にも尋ねてみました。これは率直に尋ねてみました。そこでいろいろ聞きましたけれども、この問題はいろいろ経済的の問題もあるしするからして、この問題はこれでまず押していった方がまあいいじゃないかというような御意見もあり、自分も反省

林知義

1956-05-17 第24回国会 参議院 文教委員会 第28号

参考人林知義君) 今荒木先生の御一質問に対しまして、まず第一に要点をはずれるかもしれませんが、私の心境をちょっと申し上げたいと思います。  当日のきまりました三日くらい前、私は実は群馬県へ出張して、十日の夕方ごろ帰って参ったので、そこで一体公述人はどういう立場をとるべきかということを方々調べたのでありますが、参議院の公述のあれを見ますと、賛否両論割り切って出なければならないという条文がありましたから

林知義

1956-05-12 第24回国会 参議院 文教委員会公聴会 第2号

公述人林知義君) ただいま私の心境を特に御推察いただきましたことに、心から感謝を申し上げます。ただ、二つの点から申し上げます。地教委の問題で、私が就任した当時には、率直に申し上げまするならば、民主党、社会党、学者の方々日教組方々から地教委反対の声が四面楚歌であったことを記憶しております。昨年の九月ころから、社会党方々日教組方々は百八十度転回されて、地教委存続という方向に向われたことを私

林知義

1956-05-12 第24回国会 参議院 文教委員会公聴会 第2号

公述人林知義君) お答え申し上げます。これは二つの観点から御返答申し上げます。私は常に教育は一方に偏してはならない、中立でなければいけない、このことは常に自分の信念でございます。そこでこの会長時代に、御承知の通りに、地教委連絡協議会と申しまするが、大は二百五十万の大阪市から、二千足らずの村に至るまでの教育委員方々がお集まりの連絡会議でございまして、常に各自各様のいろいろの議論が出て参ります。

林知義

1956-05-12 第24回国会 参議院 文教委員会公聴会 第2号

公述人林知義君) 私はただいま御紹介をいただきました横浜市教育委員の林でございます。本日は過去七年間余の経験をもととしまして、私の偽らざる体験をただいまから申し述べたいと存じます。  昭和二十三年十月に教育委員会全国都道府県及び五大市に義務設置されました当時は、教育知事教育市長などと宣伝されました。また日本の再起は教育にあり、教育優先などという言葉が盛んに叫ばれました。従って私は責任が非常に

林知義

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