2017-05-25 第193回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第10号
○松本参考人 金子委員がおっしゃってくださったように、子ども・被災者支援法は、私は二〇一一年に避難をして、翌年六月に与党も野党も一致で法令ができました。このときに私は本当にうれしく思って、これで子供たちが救われる、避難した人も、そして避難を一旦して福島に戻っても、きちっとした子供たちを守る施策ができるのであればと思っていましたが、私の知っている、一度避難した、でも、やはり家族がばらばらになるのはということで
○松本参考人 金子委員がおっしゃってくださったように、子ども・被災者支援法は、私は二〇一一年に避難をして、翌年六月に与党も野党も一致で法令ができました。このときに私は本当にうれしく思って、これで子供たちが救われる、避難した人も、そして避難を一旦して福島に戻っても、きちっとした子供たちを守る施策ができるのであればと思っていましたが、私の知っている、一度避難した、でも、やはり家族がばらばらになるのはということで
○松本参考人 私は、どんなにすばらしい箱物ができたとしても、中身のないものは復興にはならないと思っています。そうであるならば、やはり実態を把握して、そして、住まいがあることによって路上生活をしなくてもいい、生活困窮をしないで、生保や社会支援があるために何とか前向きに生活していける、そこのまず基盤ができてこそ復興。人がいなければ、中身のないものは復興にはならないと私は思います。 ありがとうございます
○松本参考人 このたび、東日本大震災復興特別委員会参考人として民進党様より御推薦いただき、避難当事者、支援者ともに設立した避難の協同センター共同代表世話人の私が陳述を述べるお時間をいただき、感謝いたします。 きょうは、私と同じく子供を被曝から避けるために避難して頑張ってきた友人がみずからの命を絶ってしまった、その彼女の思いを胸に述べさせていただきます。 平成二十三年三月十一日、多大な東日本大震災