2000-04-04 第147回国会 衆議院 運輸委員会 第7号
○村谷参考人 実は、ちょっと心配するところでございますけれども、障害者の中でも、確かに目の見えない、手足の不自由な方、また、その人、その地域等によって多少考え方が違うということが出てくるのですね。それを思い思いにしますと、障害者だって移動し、東京の者が大阪にあるいは京都にと行ったときに、その地域地域によって違う方法で誘導あるいは設備等されますと、大変困っちゃうのですね。困るどころじゃない、それがまた
○村谷参考人 実は、ちょっと心配するところでございますけれども、障害者の中でも、確かに目の見えない、手足の不自由な方、また、その人、その地域等によって多少考え方が違うということが出てくるのですね。それを思い思いにしますと、障害者だって移動し、東京の者が大阪にあるいは京都にと行ったときに、その地域地域によって違う方法で誘導あるいは設備等されますと、大変困っちゃうのですね。困るどころじゃない、それがまた
○村谷参考人 いろいろの設備がなされておっても、それはあくまで形だけではない。心というか、それによって、障害者は、まさに命をかけての歩行であり、行動であるわけです。したがって、ただ並べればいい、つくればいいではなくて、それがどういうように障害者に受けとめられるのか、また、それをもって障害者がどのように歩くのか、移動するのか、その辺に重々思いをはせていただきたい、こう思います。 それから、次に飛びますけれども
○村谷参考人 日本盲人福祉委員会理事長の村谷昌弘でございます。つい四日前までは日本盲人会連合会長でございましたが、任期満了に伴う改選で勇退しまして、交代したわけでございます。 略歴にも申し上げているとおり、私の両方の目はあの大戦の最中、インパールの激戦で手りゅう弾で目をつぶされまして、全くの盲目でございます。失礼の段、お許しいただきたい。 戦後、失明、敗戦、実際去就に迷ったわけでございますけれども