2001-11-27 第153回国会 参議院 文教科学委員会 第4号
○参考人(村山士郎君) 話すというのは、普通、日常お友達と楽しくいろんな会話をする、家族といろんな楽しい会話をするというレベルの問題と、学校の中である内容のあることを交わるという、先ほど足立区の例がありましたけれども、そういう場合に、通常の日常的な言葉とはちょっと違う前提というものが育っていないと、本当には自分の方から事柄をみんなの前に話せない、これは大学生なんかはすごく典型的にわかるわけですが。
○参考人(村山士郎君) 話すというのは、普通、日常お友達と楽しくいろんな会話をする、家族といろんな楽しい会話をするというレベルの問題と、学校の中である内容のあることを交わるという、先ほど足立区の例がありましたけれども、そういう場合に、通常の日常的な言葉とはちょっと違う前提というものが育っていないと、本当には自分の方から事柄をみんなの前に話せない、これは大学生なんかはすごく典型的にわかるわけですが。
○参考人(村山士郎君) 減少するという問題を一律的に考えるということをしない方がいいんじゃないかと。 小学校の低学年やある発達が緩やかにいった方がいい部分、僕の言葉で言うと体験や遊びをもっともっとしなきゃいけないときの減少部分をどう使っていくのかということと、中学や高校になって、かなり本来的にいえば学ぶ力がある時期に同じように減っていくわけです。スポーツなんかでいうと、中学から高校になるときは何も
○参考人(村山士郎君) 三人のお話をずっと聞いていて、重なるところもあるかなと思いつつ、自分の準備したものを話してみたいと思います。 私は大東文化大学というところで教えているわけですけれども、もう一つ、現場の先生方の研究会である日本作文の会という会があります。年輩の方はやまびこ学校とかを知っている方もいらっしゃるので、そういう流れをくむ今約千人ぐらいの会員を持つ研究会です。そこの先生方の努力などを