1951-03-21 第10回国会 参議院 電力問題に関する特別委員会 第10号
○証人(村上巧兒君) お答えいたします。只今松永氏は全然否定されましたが、実は先刻証言しました通り、会長就任を辞退したあとで松永さん自身から話が私は出たと思います。それはもう紛糾して、お話しても時間がないから、九州は会長制はやめたらどうかという話を松永氏にしましたら、それをどうもそういうふうに行かずに、麻生に交渉するというので、行方を探しておる松永氏自身から話があつたのを実は聞いておる。なおそれを一
○証人(村上巧兒君) お答えいたします。只今松永氏は全然否定されましたが、実は先刻証言しました通り、会長就任を辞退したあとで松永さん自身から話が私は出たと思います。それはもう紛糾して、お話しても時間がないから、九州は会長制はやめたらどうかという話を松永氏にしましたら、それをどうもそういうふうに行かずに、麻生に交渉するというので、行方を探しておる松永氏自身から話があつたのを実は聞いておる。なおそれを一
○証人(村上巧兒君) 無論意図はあります。当初上京のときもお断りのためというのは以ての外で、私は無論お受けをするつもりで上京したわけです。ただ先刻申したように会長という責任の地位につく以上は、安心される重役陣が構成されるということは私の唯一の條件でありました。平常の事務なんという問題よりも、その点が自分の意図にかなうならば、喜んで就任するつもりでおりました、今日も同じくそういう考えでおるわけであります
○証人(村上巧兒君) お尋ねによつて御返事申上げます。 大体私の小坂総裁宛の書面は事実その通りと御承知願います。繰返して申しますと、丁度二月二十一日の午後十一時四十分頃電報が参りました。その電文には松本公益事業委員長の要請により至急上京されたし、安川第五郎という電報でございます。私はこの問題には一向初めから少しも触れておりません。福岡、北九州、東京の先輩友人がいろいろ好意を寄せておるという話は聞きましたが