1949-05-11 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第23号
○杉田証人 これは鳥取縣の西伯郡の渡村の渡辺美登志さんというお方からお知らせ頂いた便りでございます。主人がナホトカまで出て來ておるということは再三帰國せられたお方から、健在だから近いうちには帰られるだろうという健在のお手紙を再三頂いておつたものですから安心しておつたんです。この美登志さんからのお手紙も主人がハバロフスクの奧地から出て來たときに、美登志さんは体が悪いそうで病院へ入院せられまして、医務室
○杉田証人 これは鳥取縣の西伯郡の渡村の渡辺美登志さんというお方からお知らせ頂いた便りでございます。主人がナホトカまで出て來ておるということは再三帰國せられたお方から、健在だから近いうちには帰られるだろうという健在のお手紙を再三頂いておつたものですから安心しておつたんです。この美登志さんからのお手紙も主人がハバロフスクの奧地から出て來たときに、美登志さんは体が悪いそうで病院へ入院せられまして、医務室
○杉田証人 はい。復員官に読んで貰つて写して來たものでございます。舞鶴にあつたものを三重縣の世話課の方に送つて頂いたように聞いております。
○証人(杉田たず君) 申上げます。これは舞鶴の復員官よりお聞きしました書類を写したものでございます。「行方不明者発生に関する報告、信濃丸艦乘員杉村義一。一、行方不明者の所属部隊及氏名。満洲第六百四十七部隊陸軍衞生兵長杉田茂。收容所ハバロフスク收容所ナホトカ第四分科医務室。本籍地三重縣鈴鹿市汲川原町。現住所右に及じ。二、行方不明の月、日時。昭和二十三年五月八日五時〇分頃。三、場所、北緯四〇度五五分。東径一三三度三