1973-09-13 第71回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第28号
○木村説明員 残念ながらわかりません。われわれもそういうことは知りたいのでございますが、わかれば非常にありがたいと思って調べておるのでございますが、非常にまばらで、かってきままに活動しておりまして、残念ながらわかりません。
○木村説明員 残念ながらわかりません。われわれもそういうことは知りたいのでございますが、わかれば非常にありがたいと思って調べておるのでございますが、非常にまばらで、かってきままに活動しておりまして、残念ながらわかりません。
○木村説明員 浅間山につきましていろいろ古くから資料がございますので、そういうものが見つかれば非常にわれわれ助かりますので一生懸命調べておりますけれども、残念ながら見つかりません。 それから、一回活動を始めてから何カ月続くかということも、これは長短いろいろございまして、今度のは非常に短いので、かえって気味が悪いと思われるくらいであります。
○木村説明員 現在桜島は相変わらず活発に活動しております。ただ幸いなことに、同じ穴からふいておりますので爆発力はそれほど大きくありませんで、ただ回数だけが非常に多いというような状態で、まだ警戒状態であります。 その次に、浅間山でございますが、浅間山は五月二十四日に噴火いたしまして、それからずっと、地震はありましたけれども減少してまいりまして、監視体制を最近平常に戻しました。火口にも測候所の者が上がってまいりまして
○木村説明員 私からお答えいたします。 地震の制御ができるというようなことがきょうの新聞に出ておりましたけれども、これは小出しに出してしまおうということでありますが、桜島みたいな火山を制御するためには、しょっちゅう灰をふかせるとかなんとかいうことをさせないと、つまり、エネルギーが出ていってくれませんものですから、ちょっといまの知恵では不可能ではないかと考えます。
○木村説明員 桜島火山の見通しについてお答え申し上げます。 八月に入りまして桜島は十五回爆発しております。ことしに入りまして二十四回でございますから、その大半が八月にまとまったということになりますし、爆発のほかに灰が吹き上げたことが二十一回でありますから、見かけ上は非常に活動しているようでありますけれども、われわれの観測データを整理してみますと、一ぺんにまとまって出ないで、じわじわと持続的に出てきたということで
○木村説明員 火山の現況についてお答えいたします。桜島は六月一日に四回爆発いたしまして、そのうちの一つは非常に大きくて、噴煙が五千メートル上空まで出まして、火山れきが飛び、負傷者が出たほどの爆発をいたしました。その後も六月の中旬に鹿児島市に灰が降ったりするような爆発が続いておりますけれども、現在は少し穏やかになっております。 それから浅間山でございますが、これは五月二十四日に一カ月ぶりに噴火いたしまして
○木村説明員 いまのところ、ほとんど実例はございません。たとえば桜島の場合は鹿児島大学、京都大学、気象庁というわけでございますけれども、場合によっては気象庁が委託して、あるいは大学が委託して観測していただいているところもございます。京都大学では、あの火山の付近に地元に委託して観測しているところもありますし、岩木山も青森県へ委託して、青森県から弘前大学に委託して、機械は青森県の機械という場合もございますので
○木村説明員 先ほどの計算によりますと入りません。島だけであります。
○木村説明員 一応の基準とわれわれが考えておりますのは、磐梯山のような大きな爆発の場合もありますし、それから非常に数多く爆発するものもありますが、大きな爆発をする場合には前兆現象がかなり長く続きます。たとえば北海道の十勝岳の爆発のようなものは、もう十年前から前兆現象が、小さな爆発が続きまして、やがて大爆発につながるということであります。したがって、これのほうは、気象庁の持っている機動班が活動すれば、
○説明員(木村耕三君) 私のほうは、短期予報と申しますか、起こる寸前になってその予報をする方法を開発するほうにつとめておりまして、国土地理院のような局地学的なのは私のほうの担当ではないと言っては言い過ぎかもしれませんが、まあ、われわれはそちらのほうじゃなくて、地震が起こる——小地震を観測しておりますか、その目的は、この地域で地震が起こっていないところがあぶないという関係で毎日の地震を押えておりまして
○説明員(木村耕三君) お答えいたします。 われわれも非常に興味を持っておりますが、ただ、ショルツ理論としては、つまり水が働くということをもとにしておりますので、非常に浅い断層では地震が起こり得ると思いますけれども、関東震災その他のような五十キロも深いところで断層に水がたくさん含まれているというようなことはちょっと理解しませんものですから、目下、十勝沖地震だとか、その他について調べております。まだそれらしいところは
○説明員(木村耕三君) ただいまの問題でありますけれども、地震がこの線に多いということは事実ではありますけれども、むしろそれよりも三十度ほど傾きました、明治年代に大森房吉先生の江戸川断層——江戸川地震帯と呼ばれた線上のほうに、むしろ数が多く出ておりますので、必ずしもこの線が地震が特に多いということは言えないかと思います。しかし、地震が多いか少ないかということは、活断層の場合、そちらのほうを専門に調べておられる
○説明員(木村耕三君) 現在のわれわれの火山の予知の知識といたしましては、まだ非常に不十分でありまして、いつごろ大きな爆発が起こるかということは予知するほど知識を深めておりませんけれども、先生ただいま御指摘になった大正三年の大爆発のときには、当時の鹿児島測候所に旧式な地震計が一台だけありまして、そのために火山と正反対のほうに震源を判定いたしまして、この地震は火山活動には関係ないと発表して、あとでたいへんな
○説明員(木村耕三君) 先生ただいま御指摘のように、地震回数は、現在、一月が一番少ないのでございまして、最近では一番少なくなりまして四千百九回ということになりましたけれども、二月、三月と数がふえ続けておりまして、すでに三月二十三日には六千回をこえまして、二月の地震回数に比べますと二割あまり強という状態になっております。地震活動は火山活動が活発化するほど発生しやすくなります。そのためにわれわれは地震観測
○説明員(木村耕三君) 浅間山の火山活動は、現在のところ一応、一時的な休止状態でございまして、煙は盛んに上げておりますが、爆発はこのところ少しやんでおります。ただ、火山性地震は相変わらず起こっております。
○説明員(木村耕三君) 集中豪雨体制についてお答えいたします。 お手元に配られております「昭和四十七年災害に関連してとられた措置の概要」の四ページ目に気象庁の集中豪雨の監視体制の強化について書いてございますが、現在すでにとりました処置は、予報部長の命でもって、その集中豪雨の起こりそうな場合の処置その他いろいろ体制上に不備がありましたので、その体制を整えるように指示をいたしました。 それから第三項
○説明員(木村耕三君) 浅間山の最近における活動状況を御報告いたします。 浅間山は昭和三十六年、浅間山としては比較的活動期間が短い四カ月間に及ぶ活動のあと、昭和四十年五月にも弱い噴火がありましたほかは、十一年間にわたって異常なほど静かな状態を続けてまいりました。ところが、今月一日早朝から地震計のみに感ずる地震が急増してまいりまして、軽井沢測候所では同日十五時に、活動を開始したぞという警告を発しました
○木村説明員 お答えいたします。 特別な予算は組んでおりませんが、幸い京都大学、弘前大学、東北大学ともに協力的で、私ども調査に参りましたときにはできる限り都合をつけて一緒に来てくれて、去年の十二月だったと思いますけれども、十二分に検討したつもりでございます。その結果、県民の方々にお話をしようとしましたけれども、手違いがありまして皆さんにお話ししないで引き揚げてまいりました。さらに、その結果をもとにしまして
○木村説明員 お答えいたします。 火山の爆発の予知は、あるいは地震の予知よりも簡単かもしれません。ここの場所しか爆発しないということですから、焦点がしぼれますので簡単かもわかりませんけれども、火山の活動状況を物理的に監視することができるようになってからまだ三十年か四十年しかたっておりませんし、各火山が爆発するごとに性質が違います。たとえば明治三十五年に八丈島の南の鳥島が爆発いたしましたけれども、このときは
○木村説明員 現在の気象庁の桜島それから浅間山に対する観測体制をお答えいたします。 桜島につきましては、鹿児島地方気象台で火山の専門の者が四名おりまして、火山の側壁と申しますか、山はだに三カ所の地震観測点を持っておりまして、それを常時監視して火山の活動状況を見ております。そのほかに京都大学の観測所がございまして、吉川という助教授がずっとそこに専従して、われわれと一緒に研究を続けておりますが、残念ながら
○説明員(木村耕三君) 私ども観測の体制から申しますと、いままで人が目で、電話をかけて通知しているということをやっていましたために、時間がかかってしまう。むしろ、ロボットにして、機械的にすぐに地方気象台、たとえば、いまのお話でありますと岐阜の地方気象台でありますが、その岐阜の地方気象台に夜中でも、どんな大雨が降っていても、自動的に観測ができる、高山でもどこでも観測ができるようにすれば、地方気象台にさえその
○説明員(木村耕三君) ちょっとニュアンスが違うと思います。お答えします。 観測のための人間というのは一カ所にいればいいわけで、みなそこに報告がくればいいわけですから、観測員そのものが不足ということには、直接にはつながりません。ただ、たとえばいまのお話が、気象用レーダーで観測するための要員が不足で、しょっちゅうレーダーを回しておられないという意味であれば、そのとおりでございます。で、増員を要求するつもりであります
○説明員(木村耕三君) お答えいたします。 先ほど御指摘のありました気象台、測候所など、明治以来展開してまいりましたけれども、あれはいわゆる天気図をつくるための観測をやっております。で、低気圧とか、台風とかいうものを観測するためのものではありますけれども、それらは雨雲ができる状態にあるかどうかという判断をするので、あした雨という予報を出しましても、これは雨雲がたくさんできるぞというだけのことでありまして
○木村説明員 現在まだ気候が悪くて改められませんが、夏の間は、場所を変えまして南風が十分にはかれる場所に持っていこう、建物の影響のないところに持っていこう、ことしの冬になりますと十数メートルのパンザマスト、鉄柱のようなところにさっき申しました機械をつけましてはかっていこうということで、まあ断言はできませんけれども、ことしの冬——昨冬ですか、伊吹山でやりましたときには無事に動いておりますので、たぶんことしの
○木村説明員 お答えします。 現在はかれるところは、ちょうど三号館と申しますあの高さが非常に高いものですから、吹き上げてくる西風がその壁でもって曲げられまして、風速計の上を通り越してしまうような形になります。西風が非常に吹いても弱く出てしまうというようなことがあります。これは当初計画のときには凍ったり何かして手入れをしなければいけませんので、昇降型の風向風速計をつくって、ふだんは下げておいてすうっと
○木村説明員 先生ただいま御指摘のとおり、現在やっています風速計は、建物の影響で、特に西風が三号館の影響を受けまして非常に弱まります。交代勤務の安全のためにも、どうしてもあそこでもって風をはからなければいけないということはわれわれ重々知っておりまして、実は昨年、研究所の風洞を使いまして、建物の模型を置いて、では正確に風をはかるには何メートルぐらいの高さの塔をつくればいいかということを検討いたしました
○木村説明員 はい。
○木村説明員 観測部長でございます。 関東地方の地震については、いまから千百年くらい前から資料がございまして、それらはすべて気象庁の手で公刊しておりますし、この問題につきましても、関東地方の地震はどのように発生しているかということに対して関係方面からお問い合わせがありまして、私のほうから資料を提出してございます。ただし、それの耐震性につきましては、その地震によってどんな災害が起こるかということは耐震構造
○木村説明員 一番大切なのはやはり北極圏でございます。その周囲の観測網というのが昭和八年以前の資料がございませんものですから、残念ながら古いものはわからない。そこが非常な悩みでございます。
○木村説明員 シンポジウムはすでに開かれております。一年おきでございますけれども、学者間の交流は、ことにアメリカに流出しております日本の学者が非常に熱心にやっておりまして、毎年夏になると帰ってまいりまして、われわれとシンポジウムをやっております。 それから第二点は霜でございますが、きょう発表された予報によりますと、やはり九月下旬霜の心配がございます。
○木村説明員 この五月十三日の災害対策委員会でお答えしたと思いますけれども、国連の下部機構の世界気象機関というのがございまして、そこで協定してお互いに資料を交換し合っております。それで現在もアラスカ、ソ連ばかりでなくアメリカその他各国共同して観測をやっておりますけれども、残念ながら気象庁のような長期予報を発表しているのは、まだイギリスが一カ月というのが最長でございまして、日本以外に三カ月も先のことを
○木村説明員 承知しております。
○木村説明員 お答えいたします。 農業気象観測所につきましては、何ぶんにも昭和三十四年から展開を始めまして、その後気象学のわれわれの知識、それから観測の方法などが長足の進歩をいたしました現在から見ますと、当時展開してまいりました農業気象観測の方法というのが非常に時代おくれのものになっております。たとえて申しますと、ある地方に霜が降りそうだということが予想されましても、これを農民の方々に知らせるためには
○木村説明員 そういう地震研究所関係は、文部省に測地学審議会というのがございまして、そこで大学その他と相談をして計画をいたしております。これは測地学審議会の事務局担当の学術課長が来ておりますから、そこから答弁されるのが適当かと思います。気象庁としましては、地震観測の一翼として地震観測をやっておりまして、研究業務は現在のところ大学その他がやっておるというようなことになっておりまして、文部省でございます
○木村(耕)説明員 いま震度の御質問だと思いますが、震度五というのは、うちはこわれませんけれども、壁その他にひびが入り、石どうろう、墓石が倒れ、地面に亀裂が入るというのが震度五の定義でございます。
○説明員(木村耕三君) 一般のどの地震をとりましても、新潟地震の場合は六月でございましたけれども、十一月にまた佐渡で震度五というのが起こっております。かなり離れても起こるものだと思わなければならないと思います。
○説明員(木村耕三君) 現在の余震の発生状況でありますが、有感地震であります。浦河、八戸などで感じた地震でありますが、十六日に九十一回、十七日に二十六回、十八日に十八回、十九日に十二回、二十日に十三回、二十一日に八回、二十二日に十回、二十二日の十回というのは十時から十時までの集計でありまして、けさのものも入っております。普通、余震の減り方というのは、第一日目に百回ありますと十日目に十回というような割
○説明員(木村耕三君) お答えいたします。 地震予知については、おっしゃるとおり日本が一番進んでおりまして、大体原理はこうやればいいのだろうというところまでまいりました。しかし、気象庁の地震観測だけでは、これは人間の病気のときに脈をはかっているようなものでありまして、やはりいろいろな方面から調べていかなければだめだということも結論されまして、現在国土地理院、地質調査所その他、もちろん大学の研究機関
○木村説明員 お答えいたします。 最初の御質問でございますが、地震がどのくらいの割りで起こっているかという意味かと思いますが、われわれのほうは、全壊とか半壊とかいう区別をした資料がございません。被害地震という名前で呼んでおるわけでございます。そういう資料はございます。それによりますと、大体日本において統計的に江戸時代三百年間の数字を使いますと、ある被害地震が起こりまして、その次の地震の起こるまでの
○説明員(木村耕三君) これもいろいろな説がございまして、わかりません。ただ、過去の昭和二十七年の十勝沖の地震に続いて雌阿寒、それから十勝岳の活動が続いております。まあそういう例がありますので、関連なしとは言えませんし、かといって必ず地震があればその付近の火山が爆発するかといいますと、そういうこともありませんので、何とも申せない、というお答えしかできないと思います。
○説明員(木村耕三君) お答えいたします。 いろいろの学説がございますが、とにかく事実で見てまいりますと、昭和三十年以後、新潟地震などはありましたけれども、地震国日本、世界の一割以上の被害地震が発生している日本としては、非常に地震の数が少なくなりました。昭和の初めに比べますと三分の一ぐらいに減ってしまいました。で、一応日本付近では、一年当たり規模がマグニチュード七・七ぐらいの地震が一発起こるぐらいの
○説明員(木村耕三君) 地震の状況を御報告申し上げます。 昨日午前九時四十九分に、規模七・八の地震が襟裳岬南東方百五十キロのところに発生いたしました。気象庁では十時五分、仙台管区で東北地方の太平洋沿岸に対し、十時六分北海道太平洋沿岸に対し、それから十時七分、関東地方、房総半島よりも北側の海岸に対して津波警報を発令いたしました。北海道とそれから関東地方に対しては十八時ちょうどに津波警報を解除いたしました
○説明員(木村耕三君) これは昭和三十六年と大正二年と、それ以外の地震の資料がございませんので、はっきり断定はできませんけれども、昭和三十六年と全く形が似ておりますので、昭和三十六年吉松地震というのは約三カ月続きまして完全におさまっております。そのゆれ方が非常に今度と似ておりますので、あの地区を震源とする地震はもうだいじょうぶだと考えております。しかも、起こりやすい場所で全部起こってしまいましたし、
○説明員(木村耕三君) ちょっと私の記憶では、二週間ぐらいで終わりだろうとは申し上げなかったつもりでございますけれども、今度、その後資料が集まりまして、東大の協力、教育大学の協力などがありましてよく調べましたところが、やはりあの地域でもって二回大きな地震がある。その第一回目が二月二十一日、これは吉松町に近いところで起こりまして、それがおさまってまいりまして、今度は加久藤に寄ったほうで三月二十五日にまた