1959-03-06 第31回国会 衆議院 法務委員会 第13号
○斎藤説明員 お答えいたします。先ほど申し上げました通り、一番最初、八月十六日に遠山委員から通報がございました。その後委員と共同して調査を札幌法務局でいたしております。本年の二月に入りまして、苫小牧市の保利という委員の方から被害者の通告を受けております。これは十数名の被害届であります。
○斎藤説明員 お答えいたします。先ほど申し上げました通り、一番最初、八月十六日に遠山委員から通報がございました。その後委員と共同して調査を札幌法務局でいたしております。本年の二月に入りまして、苫小牧市の保利という委員の方から被害者の通告を受けております。これは十数名の被害届であります。
○斎藤説明員 お尋ねの人権侵害事件があったかなかったかということでございますが、居住地区におけるいわゆる私生活の圧迫とか、村八分というような事態が現在でも残っているように見受けられました。それから、暴力行為などの刑事事犯については、先ほど申し上げましたように、ございまして、それが警察、検察庁の処置で一応処理されているということでございます。
○斎藤説明員 王子製紙争議に関連いたします人権侵害事件につきまして、私が現地へ参りまして一応の事情を視察いたしましたので、御報告申し上げます。ただ、まだ帰ってきたばかりでありまして、記録を十分整理しておりませんので、ごく印象的なことしか報告できないかと思いまするけれども、御報告申し上げます。 特に就労後というお話でございましたが、本件の人権侵害につきましては、特に就労前に多くの侵害が行われたという
○斎藤説明員 その点はまだ報告がございません。西野はこの証言と相当期間をおいて一審、二審で証言しておりますし、その後法務局、検察庁からも呼び出しを受けて調査して、いろいろ証言は変っておりますので、どういう事情から証言なりあるいは法務局の人権課長に対する供述が変っておるか、その点まだ十分な調査ができておりませんので、報告はございませんが、なお現在調査いたしておると思っております。
○斎藤説明員 御質問の点でございますが、西野に関しましては、人権擁護局から現地に私が調査に参りましたが、たまたまその当時は西野が所在しないので、西野に対する調査ができなかったのであります。その関係から徳島の地方法務局に指示いたしまして、もし西野の所在がわかったら調べておくように、こう言っておきましたところ、その後大阪の法務局から連絡がありまして、ようやく西野が徳島の法務局に出頭するようなことになりまして
○説明員(斎藤巌君) 人権擁護という言葉の意味になりますけれども、そういう場合、何らかの方法を、適切な方法をとることも必要かと思われます。
○斎藤説明員 先ほど申し上げました通り、東京法務局では調査は十分にいたしておりませんので、ただ調査したということを人権擁護局から警視庁の方へ通告いたしまして、あとの最終的な捜査並びに処理につきましては検察庁にゆだねたわけでございます。
○斎藤説明員 被害者数名につきまして調査いたしましたが、加害者の点につきましてはまだ十分な調査はいたしておりません。当時検察庁の方に身柄が拘束されておるような事情もございましたので、調査を一応打切りました。本件は刑事事件と認定されましたので、検察庁に最終的処理をゆだねたわけでございます。
○斎藤説明員 お尋ねの件につきましては、昨年の七月二十一日に東京法務局におきまして情報を入手して調査を開始いたしました。その後八月の十三日に福島地方法務局から被害者の申告に基く報告がありましたので、なお詳細な調査を開始したのでございますけれども、その後警察、検察庁におきまして同種の事件の告訴か何かに基いて捜査が開始されましたので、私どもは本件の最終的処理を検察庁にゆだねることにいたしまして、その後は