1980-05-09 第91回国会 衆議院 外務委員会 第21号
○庄司説明員 海上保安庁といたしましては、昭和四十五年に海洋汚染防止法ができましたときから、おもに外洋の汚染のモニタリングを手がけております。それでいろいろ続けておりますけれども、何しろ海が広うございまして、なかなか十分なことはできません。それで、いままでのところでは、大体年に一航海ないし二航海で、一般的な調査をいたしますと同時に、いわゆる産業廃棄物の投棄海域というのは決まっておりますが、そこのモニタリング
○庄司説明員 海上保安庁といたしましては、昭和四十五年に海洋汚染防止法ができましたときから、おもに外洋の汚染のモニタリングを手がけております。それでいろいろ続けておりますけれども、何しろ海が広うございまして、なかなか十分なことはできません。それで、いままでのところでは、大体年に一航海ないし二航海で、一般的な調査をいたしますと同時に、いわゆる産業廃棄物の投棄海域というのは決まっておりますが、そこのモニタリング
○説明員(庄司大太郎君) その委託の技術指導は、昭和四十八年十二月十七日から四十九年一月十五日までの間に行ったわけでございます。
○説明員(庄司大太郎君) お答えします。 日中間海底ケーブル敷設に伴う海底調査は、全体を三区間に分けて行いまして、そのうち中間部分、すなわち一番沖合いの部分については非常に大きな船が必要でございますので、私の方の持っております水路部の測量船「昭洋」によりまして昭和四十八年十月二十一日から同年十一月四日までの間、水路測量等の調査を行いました。また、その中央部分から日本側の部分のうち、九州西岸の沿岸部分
○説明員(庄司大太郎君) その新島の監視計画といいますか計画については、いま長官がお答えしましたように、私の方も飛行機も飛ばし船も出しますが、そのほかに自衛隊の飛行機が大体一週間に一遍ぐらいの割合であの辺を飛ぶ。それから、日航機は毎日グアム便がありまして、大きな変化があればそこでつかまえるということで、第一に発見するということは十分処置がとってございます。 それから、その次のどれが島でどれが岩礁でという
○説明員(庄司大太郎君) 瀬戸内海の海水の交換については、水路部で潮流観測をやっております関係上、興味は持っておりますが、本格的に観測、測定をしたことはございません。ある学者によりますと数十年という説もございますが、一方の学者では四年あるいは五年ぐらいで何とかなるんじゃないかという説もございます。問題は気象とか海象すべてに関連しますし、瀬戸内海の地形が非常に複雑でございますので、なかなか一義的な答えがまだ
○説明員(庄司大太郎君) 資料はいろいろございますけれども、この資料、最近たまたま新聞紙上に出ました分は、あれはわれわれのやっております長いうちの一部でございまして、ここにもたくさんの資料があるのでございますが、将来の展望については、われわれが微力でこうなるであろうということを言うことができないのが非常に残念、といいますのは、海洋の観測の仕事は始まって約数十年、二、三十年やっておりますが、船でやる仕事
○説明員(庄司大太郎君) 私のほうで海洋の調査を行なっておりますのは、航海の安全といいますか、海上保安といいますか、そういう意味の基礎資料を集める意味でやっております。それでただいまのところでは、大体毎月一回の行動で海洋に出られます船が約三ばいございますが、その三ばいでもって、主として潮ノ岬から塩屋崎における黒潮の調査をおもにやっております。それでときに応じましては、南のほうもあるいは北のほうもやりますが