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10件の議事録が該当しました。

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1954-05-06 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第10号

工藤参考人 死亡者の問題につきましても、またわれわれといたしましては重大関心を持つておるのでございしまして、昨年モスクワに参りましたとき、特に死亡者名前、それから死亡原因死亡場所、その他詳細にわたる情報を求めたのでございましたが、ソ連側は、死亡者の一万二百六十七名という数を明白にしたのみでございまして、名前発表を拒絶したのでございます。しかし、前回ナホトカに参りましたときも。さらに書き物

工藤忠夫

1954-05-06 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第10号

工藤参考人 戦犯者として刑期に服しておる人たちの今後の問題でございますが、いずれも長期刑に処せられておりまして、たとえば、昭和二十五年に判決があつた者で、長いのは二十年、それ以下でも十年以上の刑に処せられておる人が多いのでございまして、これを刑期の満了を待つておるということになりますれば、何年待つかわからないのでございまして、日本赤十字社といたしましても、モスクワに参りましたとき、減刑釈放についてさらに

工藤忠夫

1954-05-06 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第10号

工藤参考人 それでは、御指名によりまして、ソ連関係における今後の引揚げ問題について日本赤十字社としてどうやろうとしているかということを、簡単に御報告いたしたいと思います。  御存じ通り、昨年の十一月十九日にソ連赤十字社引揚げ協定を結びまして、これによりまして千二百有余名の方がお帰りになりました。残るところは千四十七名の戦犯者だけでございまして、ソ連側に対して戦犯者以外の者について帰国を要請する

工藤忠夫

1954-03-26 第19回国会 参議院 厚生委員会 第19号

参考人工藤忠夫君) それ以外のものについては何ら資料なしと言つたんです。モスクワのときですね、いないとは言わなかつたです。それでやはり私たちも、これはソ連側のよくいえばなかなか好意的な回答ぶりで、今後交渉の余地を残している言葉だと思つて、当時余り深く追及しないで帰つたわけなんです。そういう次第でございます。

工藤忠夫

1954-03-26 第19回国会 参議院 厚生委員会 第19号

参考人工藤忠夫君) その点につきましては私たち収容者がどのくらいありますかということは全然存じていないのでございます。恐らく援護庁のほうで帰国者からいろいろの情報を受けられまして、援護庁のほうで調査されているものと思います。恐らく詳しいことは発表されないのではないかと思うのであります。併し第二回に帰られた方々自分の地域に関する限り情報を提供するのであります。第一回は第一回に関する限りそういうようなものを

工藤忠夫

1954-03-26 第19回国会 参議院 厚生委員会 第19号

参考人工藤忠夫君) それでは第二次帰国に関しまして日本赤十字代表といたしましてナホトカ参つてソ連赤十字代表と接触いたしました経緯を簡単に御報告いたします。  御存じ通り、昨年締結いたしました日ソ両国赤十字社間の取極めによりまして、千二百七十四名の日本人送還されることになつております。そのほかに千四十七名の戦犯者が残留しておる。その他の日本人については何ら資料がないということで、未解決のままになつておるのでございます

工藤忠夫

1954-03-25 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号

工藤参考人 先ほど報告いたしました通り、昨秋モスクワ向う交渉いたしましたとき、先方死亡者の数だけ通知して、名前発表を拒絶したのでありますが、しかし、今回先方と会見いたしましたときにも、再びこの問題を出しまして、死亡者名前、原籍、死亡者の階級、年齢、それから死亡年月日死亡場所死亡原因などを詳しく知らせてもらいたいということは申し入れておきました。この申入れをソ連本部に伝えると言つておりましたから

工藤忠夫

1954-03-25 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号

工藤参考人 ただいま帰国者方々からウラヂオ第百一号の郵便箱のことについてお話になりましたが、船の中でも伺いましたが、今回初めて詳しい事情をここで伺つたような次第でございますが、日本赤十字社といたしましては、すでにソ連赤十字を通じて安否の調査をする協定をしておりますけれども、こういう本人を探す方法について違う方法があればあるほどけつこうなのでありますから、できるだけこの方法も利用してみたいと思います

工藤忠夫

1954-03-25 第19回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号

工藤参考人 それでは、私から第二次帰国に関しますソ連との交渉経過を簡単に御報告申し上げます。  皆さん御承知のように、昨年十一月十九日のソ連赤十字と日赤とのとりきめによりまして、千二百七十四名の日本人がとりあえず帰されることになつておりまして、第一回は八百九名が十二月一日に帰国されたのでございます。第二回に帰るべき人の数は四百六十四名となつておりまして、第一回の帰国終つてから十五日ないし一月で

工藤忠夫

1954-02-03 第19回国会 衆議院 外務委員会 第4号

工藤参考人 私は赤十字に奉職しておりますので、政治的な意見の発表は差控えさせていただきたいと思いますが、先ほど申しましたように、この帰国の問題はマレンコフ政権既定方針としてきめられたものであると思うのでございます。たまたま大山さんがスターリン平和賞をもらいにモスクワにおいでになりました。またこの日本人帰国あるいはその他の外国人戦犯者帰国というような問題も、ソ連政府平和政策一環だということを

工藤忠夫

1954-02-03 第19回国会 衆議院 外務委員会 第4号

工藤参考人 私たち赤十字決議があつたからといつて、この決議のためにソ連従つたというような甘い考えを持つておりません。この決議にあたりましても、ソ連赤十字は賛成しましたけれども、ソ連政府は賛否を表示しなかつたのであります。こういうふうな関係でございまして、赤十字決議があつたからどうこうということは存じませんが、昨年の三月マレンコフ政権にかわりまして、一般的な政治問題としてソ連政策がかわつたとでも

工藤忠夫

1954-02-03 第19回国会 衆議院 外務委員会 第4号

工藤参考人 それではお許しを得まして、中共に在留している日本人、それからソ連に在留しております日本人帰国の問題につきまして、中国赤十字社並びにソ連赤十字社交渉いたしました経緯を、簡単に御報告いたしたいと思います。  御存じ通り、一昨年の十二月一日に北京放送で、中国に在留している日本人は約三万人いる、これらの人たちは平和な生活を営んでいるけれども、帰国を希望する日本人に対しては、中国紅十字会

工藤忠夫

1953-12-11 第19回国会 参議院 厚生委員会 第2号

参考人工藤忠夫君) 書籍の問題につきましては、収容所を訪問いたしましたときに、山田大将から、自分ドイツ語を大いに勉強したいと思つているのだが、独自の辞書がない。それでまあロシヤ語辞書を通じて孫引きをして漸くドイツ語を読んでいるのだが、とにかく辞書が欲しいというような意向もありまして、書籍の問題が出たのでございますが、書籍は個人的の送付は許されてはおりません。収容所に宛てて書籍を送る。そしてその

工藤忠夫

1953-12-11 第19回国会 参議院 厚生委員会 第2号

参考人工藤忠夫君) 恐らく慰問品の中にそういうものが入つたのは、恐らく例外的に入つたものであつて、偶然向うへ着いたというものでありまして、これがプリンシプル、原則としてレコードも入れてよいかどうかという問題は、先方協定しなければなかなかむずかしいのではないかと思います。確かに今木内代表の申しました通り慰問品には通信とか、そういうものに関するものは許されておりません。食糧と衣類というものが慰問品

工藤忠夫

1953-12-11 第19回国会 参議院 厚生委員会 第2号

参考人工藤忠夫君) 日本人送還に関する詳しい話は、今島津社長からお話がありましたので、私は極く簡単にこの送還問題を討議した結果得ました私の感想、それからそういう送還問題を縛るソ連事情みたようなものを簡単に報告いたしまして送還交渉の報告に代えたいと思つております。  マレンコフ政権になりましてから皆さん御存じのように、非常な緩和政策が行われるようになりまして内外共にいろいろの徴候が現われおるのでございますが

工藤忠夫

1953-12-09 第18回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号

工藤参考人 死亡者の墓がどこにあるか、どういうようになつておるかということにつきましては、実は、正直のところ、私たちも聞かなかつたので、詳しい御回答をすることができないのでございますが、死亡者の問題につきましては、向う方々と話したときに、死亡者はあることはある、戦後八年たつて死亡者がないということはない、死亡者があることは確かだと言つて、最後のときに一万三百何名の死死亡者言つて名前場所も知

工藤忠夫

1953-12-09 第18回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号

工藤参考人 第一点は残留者の今後の調査の問題であります。この問題につきましては、再三再四紅十字会に質問をしたのでございますが、調査々々で、非常に日にちがかかりまして、十月三十一日の会議から十一月二十八日の会議まで向うの方で回答を留保しておられましたが、結局ソ連赤十字には何ら資料がない、こういう回答でございまして、今のところ、とつつきようがなかつたというような現状でございます。何回言いましても、資料

工藤忠夫

1953-12-09 第18回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号

工藤参考人 ただいま高津社長から御報告いたしましたことで、ほとんど全部尽きておりますので、私から別につけ加えるほどの材料は持つておりませんが、今回のソ連からの引揚げ問題は、大体マレンコフ政権になりましてからの平和政策一環として出炭て来たような感じがいたすのでありまして私たちモスクワに参ります前に、すでにドイツ戦犯の釈放問題があり、それより前にオーストリアの戦犯の釈放問題もありました関係から、

工藤忠夫

1953-07-14 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

工藤参考人 お答えいたします。前回北京に参りましたときは、中国紅十字の幹部の方と接触しただけでありまして、在華同胞と接触する機会はなかつたのであります。今回は、中国紅十字会の北京会談のときの代表者お二人と会見すると同時に、天津に集合しておりました二千の同胞とも会見したのでございます。紅十字会との関係におきましては、きわめて礼儀正しく、友好的な態度でありまして、中国紅十字会の態度がどうごうあつたということは

工藤忠夫

1953-07-14 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

工藤参考人 先ほど大瀧さんから、三団体声明といたしまして、日本政府の誤つた措置を糾明し日本政府に反省を促すために、第四次帰国船日本乗船代表が一致して共同措置をとつたという声明があつたということでありましたが、これはおそらく第四次帰国船出帆を遅らせた行動だと思いますが、日本赤十字といたしましては、第四次帰国船出帆については、遺骨の問題とか華僑帰国の問題とは全然関係のない事項であり、中国におる

工藤忠夫

1953-07-14 第16回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

工藤参考人 それでは、御許可を得まして、第四次帰国船の問題並びにこれに関連いたしまして、私が中国の紅十字会本部責任者天津で会いまして懇談いたしました結果を簡単に御報告いたしたいと思います。  第四次帰国船の問題に関しましては、在日華僑帰国並びに中国人俘虜殉難者遺骨送還する問題に関連いたしまして、なかなか問題がはかどらない。特に諸種の国際情勢からうまく行きませんので、非常に遅延いたしたのでありますが

工藤忠夫

1953-06-02 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第3号

参考人工藤忠夫君) 私が先ほどこの引揚問題在日華僑帰国問題に関する責任は、政府が全般的に負うべきものであるということを申しましたのは、これはむしろ法律的な立場から申したのでありまして、国民の福祉に関する大きな責任政府として持つて頂かなくてはいけない。又政府が中心にならなければこれが動かない。我々は政府補助機関として政府をできるだけ援助する、こういう立場から申上げたのでありまして、この遅延

工藤忠夫

1953-06-02 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第3号

参考人工藤忠夫君) この点について私からちよつと御参考に申上げておきますが、この問題は決して交換条件という種類のものではございません。私たち北京に出発する前に、華僑総会を通じて、留学生のかたであるとか、或いは華僑一般のかたであるとか、しばしば連絡をとられまして、何とかこの引揚船が実現する場合には帰れるようにしてもらいたいというような熱烈な希望の表示があつたのであります。他方北京に参りましても、

工藤忠夫

1953-06-02 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第3号

参考人工藤忠夫君) 只今本社社長が申述べました通り経過は大体尽されて、ると思うのでありますが、我我北京におきましてこの在日華僑中国に送る援助をいたしますことを約しましたにつきましても、この問題の実際の責任者政府でありまして、我我はそれを援助して支障なく帰国できるということにするのが私たちの義務だと思つております。華僑帰国の問題は、船で送らなければどうしても実現しないのでありまして、この

工藤忠夫

1953-03-12 第15回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第5号

参考人工藤忠夫君) そうですね。こういうことを承わりました。孤児日本人なりや否やの問題の判定は、大体西も東もわからなかつた時代に孤児なつた子供となれば、どうしてもこれはその孤児を世話をしていた人が国籍を申出るほかはないと思うのでありますが、これらのものはいろいろの場合がありまして、日本人が育てたものもあります。或いは中国人の家庭に入れられたものもあります。或いは孤児院に入れられたものもあります

工藤忠夫

1953-03-12 第15回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第5号

参考人工藤忠夫君) この問題は引揚者範囲の問題に関連がある事項でありまして、実は私は担当者ではなかつたのでありますが、とにかく日本政府からの強い要望もありましたので、どうしても一応先方に聞いてみなければいけないというわけで、引揚者範囲はかねて出発前に話しておきました通り日本人たること、それから日本人に同伴する外国籍の妻、その他いろいろの条件がありましたが、これこれの条件以外の者は、若し誤まつて

工藤忠夫

1953-03-12 第15回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 第5号

参考人工藤忠夫君) 先ど平野団長から申上げました通り、一月三十一日にあちらに着きまして、二月二日、二月三日に懇談会をいたしまして、以後第一回会談があるまで十五日間もかかつたのでありますが、この間に初めて行つたばかりの関係から、お互いに相互の事情もまだはつきりしない、それから会議やり方に関しましても、向うのほうのやり方と我々が日本で慣れているところのやり方に相当の食い違いもあります。そういう関係

工藤忠夫

1953-03-12 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号

工藤参考人 それでは、こちら側がどういうように分担したかということ、それから先方代表団の組織ということについて、簡単に御報告いたします。  先方代表団長は廖承志氏という方でございまして、中国の紅十字会の顧問であります。それから、次席の代表伍雲甫という中国紅十字会の常務理事の方でございます。第三席の方は趙安博という方でありまして、中国紅十字会の顧問元瀋陽で日僑管理委員会の副委員長をやつておられた

工藤忠夫

1953-03-12 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号

工藤参考人 十二月一日の北京放送趣旨によりまして、大体先方民間団体であるところの紅十字会、こちらは日本の適当なる機関または他の人民団体というような表現でありましたので、大体の想像はついたのでありますが、あちらに参りまして、今回の交渉は、先ほど平野団長からも申されました通り人民団体同士交渉である、日本政府を相手にしないという立場が、非常に明確になつたのであります。実は私は、赤十字代表者といたしまして

工藤忠夫

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