1980-04-18 第91回国会 衆議院 決算委員会 第16号
○山田説明員 最初に、本件徳島大学事案の背景あるいは概要等についてでありますけれども、御承知のように、本件事案は、昭和五十一年の五月に徳島大学医学部の耳鼻科教授が他の大学に転出したことに伴いまして、その後任教授選考をめぐって問題が提起されたわけでございます。教授候補者は五名でありましたけれども、最終的には、この申請者である大崎さんとそれから日根徳島大学助教授との間の決選投票になりまして、それで同年の
○山田説明員 最初に、本件徳島大学事案の背景あるいは概要等についてでありますけれども、御承知のように、本件事案は、昭和五十一年の五月に徳島大学医学部の耳鼻科教授が他の大学に転出したことに伴いまして、その後任教授選考をめぐって問題が提起されたわけでございます。教授候補者は五名でありましたけれども、最終的には、この申請者である大崎さんとそれから日根徳島大学助教授との間の決選投票になりまして、それで同年の
○説明員(山田庫之助君) ただいま文部省の方から御説明があったわけですけれども、いまの話にありましたように、本件事案は、昭和五十一年の五月に、徳島大学の医学部の耳鼻科の教授が、他の大学に転出したことに伴いまして、その後任の教授の選考をめぐっての問題でございます。そもそもの発端と申しますのは。そこで、そのとき教授候補者は五名でありまして、最終的には、申請者とそれから日根徳島大学の助教授の決選投票ということになりまして
○山田説明員 お答えいたします。 過去五年間について申し上げますと、大体不利益処分審査請求の事案は年によってかなりばらつきがございます。たとえば、四十七年度あたりは林野庁関係の春闘処分が三万二千名ございまして、これが一度にわが方の窓口に殺到したということもございまして、このときは三万二千件以上という件数が出ておりますが、一応先ほど申し上げております五十二年度から過去五年間にさかのぼって申し上げますと
○山田説明員 処理状況という御質問ですけれども、これは先ほど判定発出の件数で申し上げたのですが、具体的にどういうことでしょうか。
○山田説明員 お答えいたします。 一応国会及び内閣に対する年次報告書というかっこうで出されておりますけれども、それによりますと、五十二年度まで年次報告に出されておりますので、その過去五年間を申し上げますと、四十八年に九十件、それから四十九年に百二十四件、五十年に二百一件、五十一年に二百六十三件、五十二年百六十四件、以上になっております。
○山田説明員 いま御質問のございました、各年度ごとに受け付けました件数について申し上げますと、四十七年度に約三万二千件、それから四十八年度が約五千件、四十九年度が約千件、五十年度が約千五百件、五十一年度が約四千件、五十二年度は約千件、以上のようになっております。
○山田説明員 四十七年度から申し上げますと、四十七年度の末に係属しておりました件数が約四万三千件でございます。それから同じく四十八年度末が四万八千件、四十九年度末が四万九千件、五十年度末が約五万件、五十一年度末が五万四千件、五十二年度末が、先ほど申し上げましたような五万五千件でございます。
○山田説明員 五十二年度末、すなわち本年の、五十三年の三月末日現在でございますけれども、係属しております件数が約五万五千件でございます。