1958-11-04 第30回国会 参議院 逓信委員会 第6号
○参考人(小松隆君) いたしております。 ただ、もしもこれが法制化されたら、今までよりも、もっと真剣にいくんじゃないかということを私は感じるのでございます。
○参考人(小松隆君) いたしております。 ただ、もしもこれが法制化されたら、今までよりも、もっと真剣にいくんじゃないかということを私は感じるのでございます。
○参考人(小松隆君) 私は、現在ある審議機関が、どういうふうに働いておるかということは、あまり接触する機会がございませんが、私が心配いたしますことは、法制化されていないと、ほんとうに真剣にその責任を果すような気持が出てこないということを心配するのであります。私は法制化されれば、その責任を深く各審議委員が感じるだろうと思いますので、私は、この法案に出ておるようにやられることがいいのではないかと思います
○参考人(小松隆君) 私が小松でございます。実はどういう風の吹き回しで私がきょうここへ呼び出しをいただいたのか、全然どうも自分は見当がつかず、何にも知らない問題でありますので、非常に当惑をいたしておりますようなわけでございます。 なお、放送法、現行の放送法もよく存じませんし、それから、その改正についての案も、土曜日の日にようやく手にしまして、読んでみまして、われわれのようなしろうとにはなかなかああいうものを
○小松證人 たしか十月五日の夕方だと思いますが、バラード大佐のお使、たしかキヤプテン・デーという方だと思いますが、お使が言ずけをもとのアメリカン・クラブでありましたが、八軍の出張所の隣の中央亭に商工経済会がございましたが、商工経済会に言ずけを届けられまして、翌六日の朝十時に鉄鋼のことについて話をしたいから、鉄鋼業者を連れてくるようにということでございました。私はその際、これは経済團体連合委員会の太田君
○小松證人 私は敗戰後におきましてちようど八軍あるいはG・H・Qから日本のいろいろな会社工場の方面に問合せ連絡等がありまして、それに関して会社工場あたりでは英語のわかる人たちがいなかつたものでありますから、非常に困つておつたということを聽きましたのでございます。その関係であるいは経済連盟、商工経済会、工業中央会と申しましたか、それから重要産業協議会というような團体が、何とかして渉外機関をつくる必要があるのではないかという
○小松証人 全然聽いておりません。
○小松証人 申し上げます。たしか終戰の直後の十月半ば過ぎであると思います。はつきりした日取を覚えておりませんが、十月半ば過ぎのある日八軍のバラード大佐から私の方に電話で傳言がまいりまして、今日内務大臣が元アメリカン・クラブであつた八軍の出張所にみえるからお前來てくれ、こういう御傳言がありまして、内務大臣がみえるというのはどういうことかわからなかつたのですが伺いまして、そのときに初めて青木さんにお目にかかりました
○小松証人 私はその当時日本鋼管の常務取締役をしておりまして、それから終戰の年の十二月でございましたか副社長になりました。その翌年四月に日本鋼管を辞しましてから、あと兵器処理委員会の関係だけの仕事を五月までしておりました。