1955-05-24 第22回国会 衆議院 法務委員会 第11号
○大津参考人 勾留せられたのが四月の三十日であります、帰ってきたのが五月三日でありまして、四日の六時四十分に死亡しました。死亡したというよりも、警察におったときにすでに死んでおったと同じであります。昏睡状態であって、ただ単に息をしておったというだけで、人間としての価値はありませんでした。
○大津参考人 勾留せられたのが四月の三十日であります、帰ってきたのが五月三日でありまして、四日の六時四十分に死亡しました。死亡したというよりも、警察におったときにすでに死んでおったと同じであります。昏睡状態であって、ただ単に息をしておったというだけで、人間としての価値はありませんでした。
○大津参考人 その当時の事情を大体申し上げます。父が逮捕せられたときの状況は、だれが来たのかわからぬので、母親が出ていきましたらおじいさんおるかと言うから留守でありますと答えたのです。そうしたら孫が事務所にいる、こう申しました。その事務所は、津田に漁業組合というのがあります。昔そこで専務をやっておりましたので、その事務所かと思ったら、それは今度の徳島市会議員に立ちました枡田重雄市会議員候補の事務所であることがわかりました