1953-12-07 第18回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号
○大山参考人 それは私として今考えつかないのであります。
○大山参考人 それは私として今考えつかないのであります。
○大山参考人 私、最近まで社会におりましたために、幾分その事情を知つております。五〇年までは、樺太から連れて行かれた方は樺太にもどされたのですが、五一年からはそうじやないのです。釈放されたその土地に置かれるのです。そのときに聞かれるのですが、日本人としてのパスポートをもらうか、それとも希望であればソ連の国籍に入れてやる、ソ連の国籍に入ればソ連人と同じ取扱いをされる、そして無理に勧められて、どうせ帰れないのだからといつて
○大山参考人 女の私が、敗戦後ソ連の中にどういう気持で生きて来たかということを、一、二参考に話させていただきます。 私は、敗戦当時、夫が昭和十八年に召隻され、留守宅を預かつて土建の方をやつておりましたから、人夫を引率しておる責任上奥地におりました。終戦になつて帰るときに、ソ連人が入つて来たために、下つてほしいと上の方から申されましたから、その責任を果しながら、半島人が多かつたものですから、間違いを