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1件の議事録が該当しました。

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1953-02-18 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号

壱岐参考人 私、四年半、私と、もう一人の日本人と、ほとんど日本人がいない中ばかり歩いて来たのです。そんな関係で、わからぬ言葉を覚えるのも早かつたのです。そんな関係で、まあ言いたいこと、話したいことも言うし、言えば通じるで、いろいろ楽しく交わつて、話もしました。そして工作も、かなりできるだけのことをし、看病してやりました。よく八路軍政治員なんかから労働模範でほめられたことがありました。

壱岐信子

1953-02-18 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号

壱岐参考人 手続は、船は天津の川口が凍ると入らないので、年に数えるほどの船しかない。香港にまわれば一箇月に一回はあると聞いておりましたけれども、帰国の意思はあつても、主人の病気が長かつたから、いつも早く帰るといつて時期を待つていたんですけれども、どうしても万事が整わず、ずるずるになつて、とうとう人員整理してうちの中の問題を整理したところが、整つて、内地の方へ帰るというので、日本政府の方へ旅費を何とかしてくれということで

壱岐信子

1953-02-18 第15回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号

壱岐参考人 私、壱岐でございます。私は、昭和二十年の三月二十二日に宮城県の仙台を出発しまして、満州の奉天市の宮原、本渡湖の満州製鉄病院看護婦自分で志願して行つたものでございます。大阪の阪大養成所を出まして、阪大で終戦の年まで働いておりましたのですが、阪大が空襲と強制疎開でとつて危険地になりましたので、私も自分のうちへ疎開したのでございますけれども、以後県庁の方から千葉の電機工場の方へ行つてくれという

壱岐信子

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