2008-05-30 第169回国会 衆議院 法務委員会 第14号
○土師参考人 最初のお話なんですけれども、遺族が傍聴することによって加害少年がちゃんと言えないということですけれども、傍聴することによって言いにくいということ、これ自身が、まず反省の第一歩になるのではないかというふうに私は思っています。その短い審判の中でちゃんと反省しろとはだれも思いませんし、結局、長いスパンの中で、最初に反省するときの第一歩になれば、これはあくまでも傍聴における副次的なことなんですけれども
○土師参考人 最初のお話なんですけれども、遺族が傍聴することによって加害少年がちゃんと言えないということですけれども、傍聴することによって言いにくいということ、これ自身が、まず反省の第一歩になるのではないかというふうに私は思っています。その短い審判の中でちゃんと反省しろとはだれも思いませんし、結局、長いスパンの中で、最初に反省するときの第一歩になれば、これはあくまでも傍聴における副次的なことなんですけれども
○土師参考人 先ほど、斎藤弁護士もおっしゃられていました。被害者が傍聴に参加することによりましてさらに傷つくことがあるんじゃないか、そういう話もありましたけれども、確かに傷つくこともあるとは思います。 ただ、逆に、出ないことによって傷つくことの方がもっと大きいと思います。もう比べ物にならないくらい大きいと思います。出ることによって、加害少年なり、そして両親なり、実際に彼らがどのようなニュアンスで物事
○土師参考人 まず最初に、このような機会を与えていただきましたことにつきまして感謝いたしたいと思います。 私は、少年事件の被害者の遺族という立場でお話をさせていただきたいと思います。私の子供の事件は、改正少年法施行以前ですので、現在の少年法とは少し異なっておりますので、その点を御理解の上、お話を聞いていただきたいと思います。 皆様の中でもまだ記憶されている方も多いのではないかと思いますけれども、
○土師参考人 私も、特に子供のしつけといいますか、これはほとんど小学校低学年ぐらいまでにきちんとしておかなければいけないんじゃないかなと思っています。そのため、当然親の責任というのは逃れられないというふうに感じております。 ですから、本当にしてはいけないこと、殺しというのも当然そうですけれども、人の嫌がるようなことはしてはいけない、そういうことをきちんと教え込むということがあれば、最後の一線は超さないんじゃないかと
○土師参考人 あのときの気持ちというのは、何年たってもまず変わることはあり得ないというふうに思っています。実際、あのときの無念というか、犯人が十四歳、まともな裁判もないし、まともな罰も当然受けないしという、本当に、殺された上に犯人に対する罰もろくにないということ、私たち被害者遺族がそれで納得できるはずもない。そして、この悲しみというものはもう絶対に一年やそこらでおさまるものでもないですし、児玉さんもそうだと
○土師参考人 児玉さんのお話ともかなり重複する部分がありますけれども、その点は御容赦ください。 皆様方も御存じのように、三年半前に発生し、日本じゅうを震撼させましたあの神戸連続児童殺傷事件で、私は次男を亡くしました。当時十四歳の少年により私の子供が殺害され、さらにその頭部を犯人の少年が通っていた中学校の正門前に放置されるという極めて残酷で猟奇的な事件でした。 事件発生当初から、事件のその特異性のために