○土屋参考人 委員長のお話でございますが、延原観太郎さんは個人でございますが、私どもの方で先ほど申しましたように二十五口を、戦後はわずかでございますが、戦前にずっと大部分の貸し出しをいたしております。戦時中は延原観太郎氏が海軍の管理工場といたしまして、私どもの方も融資いたしまして、その途中におきまして指定金融機関となりまして、命令融資を受けて融資いたしたようなわけでございまして、総額六千二百万余円になっておりますが
○土屋参考人 お答え申し上げます。私どもの方では、昭和十五年の十二月三十日から貸し出しをいたしまして、二十二年の二月まで貸し出しをいたしておりますが、合計いたしまして二十五口の六千万余ございます。