1975-02-25 第75回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号
○吉田分科員 法務大臣はいまの答弁の中で、刑法改正と一緒に考えないというのはわかります。本来そういうものです。これは新憲法下において、あの当時全面的な改正をさるべきものでした。ところが、刑事訴訟法の方は改正されました。これは被告の防御権も認められておる。ところが、監獄法の上では人の人権というものは全く認められておらぬから、これはもうとうの昔に改正さるべきだけれども、今日まで残っておる。改正について論議
○吉田分科員 法務大臣はいまの答弁の中で、刑法改正と一緒に考えないというのはわかります。本来そういうものです。これは新憲法下において、あの当時全面的な改正をさるべきものでした。ところが、刑事訴訟法の方は改正されました。これは被告の防御権も認められておる。ところが、監獄法の上では人の人権というものは全く認められておらぬから、これはもうとうの昔に改正さるべきだけれども、今日まで残っておる。改正について論議
○吉田分科員 第二点は、監獄法の改正についてでございます。 この監獄法というのは、明治四十一年、私と同じ年、同じ月に誕生をしております。ですから六十六年経過をしておる。大変古い法律です。部分的な修正はなされましたけれども、刑事訴訟法によると、裁判の済まない被告は犯人ではないから、これは人権的な取り扱いも行われておるはずでありますが、まだ新聞も読ましておらぬ、ラジオも聞かしておらぬ、こういう古いものであります
○吉田分科員 時間が限られておりますから、答弁はなるべく簡単明瞭にお願いをいたします。 三点お尋ねをいたしますが、第一点は、福岡地裁小倉支部の昇格についてであります。 私、ここに資料を持ってきておりませんけれども、福岡地裁小倉支部というのは、刑事、民事とも福岡地裁よりも件数が多い。このことは法務当局が御存じのはずであります。長年小倉支部の昇格運動をやってまいりましたが、まだ実現をしておりません。
○吉田委員 長く前提で論争しようとは思わないのですけれども、どうも御要望申し上げている点が通じないようで、大変残念に思います。 春闘で一五%に賃上げを抑え込もうという意図はない、労使の協議に待つ、こう言われますが、それでは総理大臣がなぜ関係団体の懇談会に出て、その春闘の自粛を要望されるのか。その辺に、対話と協調を主張される三木内閣の基本的な姿勢の中に、従来と変わらぬものを感ずるから、その基本的な転回
○吉田委員 チープレーバーあるいはダンピングを非難をされた時代から、資源がない国だから、教育と勤勉な労働に対する感謝といいますか、対等、平等の評価の上に労働政策を立て直さなければならぬというお話はわかりますが、実際にはそうなっていないんじゃないか、こういうことをいま申し上げているわけです。 非難をされます場所は違ってまいりました。ILOの場で国際的な資本家あるいは労働者、政府からも非難をされることはなくなりました
○吉田委員 整理が少し不十分ですから、質問が行ったり来たりするかもしらぬと思いますが、お許しいただきたいと思います。 まず、この財形法を検討いたしてみますと、そう労働政策について著しい前進をした法律とは考えられません。私は、労働省ができてから、いやできる前から、労働関係の法律の中で言いますと、戦前のあの低賃金の言いわけを、ILOの各総会ごとに言いわけをしておった段階で、保険法というのはこれは画期的
○吉田分科員 選挙部がそういう態度だからどこでも公然と行われるわけですが、私はその前に市会議員の支持者が、町内会長がそのビラを回しましたときに、支持者が各戸に配るならそれは別に問題はありません。しかし、町内会、隣組でかつては入場券を配っておった。入場券を配るときに町内会長が口添えをして、これは入場券でございますが、だれそれに入れてくださいともし言ったら——かつては言ったんです、言ったらこれは選挙違反
○吉田分科員 紛らわしいことは避けてもらいたいという話は、たとえば大坪さんなどは市長もなすったのですから、町内会の北九州市全体の連合会長が選挙の責任者をやられることは、これは紛らわしいことでございますからおやめいただくというようないまの大臣の答弁でもいいかもしれません。ところが各町内会がそういうことで動いておる。いま私は例を三つ挙げましたけれども、これは三つとどまらぬでしょう。前に私の町内会で、市会議員
○吉田分科員 私は先般行われました北九州市の市長選挙を中心に質問をいたしますが、余りに目に余るものがございました。そして八年前の北九州での企業選挙が全国に広がりました。去年の参議院選挙での企業選挙は国民の批判を受けました。しかし、北九州では再びそれを上回る企業選挙、あるいは町内会を通じての選挙運動、あるいは行政による利益誘導等が行われましたから、三十分のわずかの時間ではございますが、四点についてお尋
○吉田委員 時間がございませんから一括してお尋ねをいたしますが、これは、いま大出君からもお尋ねをいたしましたけれども、たいへんおくれて、国家公務員、地方公務員ともに生活の苦しい中、みんな借金をしながらやっている。ところが、その苦しい生活を続けておる公務員に対して、総需要抑制政策なのかどうか知りませんけれども、引っぱるだけでなしに、私は、自治体の公務員についていいますと、憲法で保障されておる自治権を侵害
○吉田委員 伝えられております交付税率の改定は、通常国会、来年の税法の改正でなされるのですか。この年末措置との関連はないわけですか。
○吉田委員 私は、地方公務員の給与改定にしぼってお尋ねをいたしますが、まず地方公務員の給与改定の財源の裏づけはどうしておられるのか承りたい。聞くところによりますと、五千億の概算払いをされるということでありますが、報ぜられております交付税率の改定との関係等もあわせて承りたい。
○吉田委員 一つの問題にあまり時間をかけている暇はないのですが、出先をつくられる、出先を含めて環境庁に行けば完全な補償が得られる、あるいは再発防止のためには完全な制度をつくってくれる、こう思って参ります。ところが、実際にはそうでなしに、こういう方法しかありませんといって教えられる方法はこういう方法、被害者救済制度あるいは公害健康被害の原因も水と大気に限られている、それは何とかしたいと思いますけれども
○吉田委員 そのたてまえと解釈というものはわからぬことはありませんが、環境庁長官のところに、あるいはイタイイタイ病の諸君も、あるいは水俣病の諸君も何人か参りますね。それは健康被害にしても、原因が食品公害あるいは薬品公害だから、厚生省というあれもございますが、環境庁長官に参ります者のほとんどは、やはり環境庁の指導援助によって完全に補償されることを求めるがゆえに、あるいはそれが繰り返されないように、確立
○吉田委員 時間が十分ございませんから、あるいは体系的にお尋ねすることができないかもしらぬと思いますが、この法律の施行の前提になるところを、あるいは関連をしてお尋ねをいたします。 公害健康被害補償法の実施を、この役所で担当されるわけでありますが、被害者救済制度ができまして、私も公害被害者に関連を持っておりますが、被害者の心配は、この救済制度によって加害者責任の制度といいますか、司法上あるいは公害被害補償
○吉田委員 二十五年の国土総合開発法に基づいて新全総ができた。その新全総を全面的に改定し、その中で通信交通のネットワークその他の要素が取り入れられるべきだということでした。法的な根拠は違いますけれども、総合開発計画という点では、若干の関係があるんではないかと思いますが、それらの点がどうなるか。この国土総合開発法のいわばたな上げ、それから経済社会基本計画の昨年閣議決定されました計画との関連は、どうなるかということをお
○吉田委員 その法律に関連をいたしまして、昭和二十五年の国土総合開発法が生きているということになりますと、かわりができなかったから生きているということですが、そうしますと、昨年できました経済社会基本計画というのは、どういうことになるのですか。
○吉田委員 国土総合開発法は、実質的にたな上げになりまして、審議未了になると聞いておりますが、国土利用計画法になったのですが、この国土総合開発庁、名前も変わりそうですが、この設置法に関連いたしまして、生きておる法律は何と何かを、まずどなたかにお尋ねしておきたい。
○吉田委員 その新しく獲得をしたいという点が、重点でないということはわかります。ただ、申し上げておるのは、関係住民の生活の安定と福祉の向上というものが、究極するこの法律の目的であるならば、それは、むしろ基地の確保あるいは強化ではなくて、再検討するほうが住民のしあわせになるのではないかと言って具体例をあげたのです。 もう一つ、心配をいたしますのは、この法律は、これは施政方針演説の中にも入っておったからというわけではございませんが
○吉田委員 この法律によります障害の防止あるいは軽減によって、基地の設置あるいは運営を可能にするように、軍事基地の整理統合あるいは——私は、なくしたほうが関係住民の生活の安定、福祉の向上に役立つ、こう言うのですが、大臣は現実に基地がある、基地があるならその基地の弊害を、障害を防止し、あるいは軽減することが、地元市町村長あるいは関係者の希望に沿うゆえんだと言われましたが、この基地の問題をめぐっていろいろございましたことは
○吉田委員 冒頭、山中長官に、この法案について再検討さるべきじゃないかということについてお尋ねをいたします。 というのは、私は、田中内閣というのは、かつての鳩山内閣にたいへんよく似ておられると思っておる。それは、鳩山内閣が日ソ国交回復を実現された。それから日ソ国交回復をしたからというので、いわばタカ派に対する配慮であったのかどうか知りませんけれども、そのかわりであったかどうか知りませんけれども、憲法改正
○吉田委員 外務大臣としては、一つの中国を日中共同声明で確認をして、その他のどういう事務官なりあるいは参事官にいたしましても、もし違った答弁があるとするならば、これは政府の方針ではないという明言がございましたから了承いたします。了承いたしますが、私が接触したところでは、なおやはり昔の立場が残っておるやに感じます。これは間違いかもしれませんけれども、ここはこまかいやりとりをする場でもないと思いますから
○吉田委員 中江参事官の答弁の説明を、いま条約局長にいただいたわけであります。私は、問題は政治的な問題だと思うし、条約局長は、そのときに横にはおられませんでしたが、大臣がすわっておられて、私への答弁には、大臣が最初答弁を願って、あと参事官の答弁を願った。 そこで、私としては、私に対する答弁と藤尾議員に対する答弁とは違っておると思いますから、大臣にお尋ねをしておるわけであります。問題は、法律的な解釈
○吉田委員 先般、私は、この法律に関連をして質問をいたしましたあと、予算の分科会がございましたから、私自身は中座をしたのですが、あと藤尾委員からの質問がございまして、中江参事官から答弁がありました。そのときに大臣が横にすわっておられまして、聞いておられたと思うのです。私の質問は、地図の問題に関連をして、日中共同声明が調印をされて、二つの中国はないという立場をおとりになったら、地図が色が違っておったら
○吉田委員 これは、時間をかけて説明をしなければなりませんけれども、大臣は、部落問題あるいは特別措置法、それから通産省関係でどういう要望をしておりますかは、御存じでございましょうか、承りたい。
○吉田委員 それでは、過去何回か——実際には中小企業庁次長が何回か出られました。長官も出られたことが、あるいはあるかもしれないと思うのでありますが、その模様はお聞きになり、どういう要望を持っておるかということも御存じでしょうか、あわせて承りたい。
○吉田委員 私は、中小企業も、特に部落産業の問題を取り上げて、特別措置法に基づく特別措置を御要請したいと思います。 実はお手元に「部落解放国民運動中央行動」という通産省の資料があります。それをごらんいただいて、まず部落産業ということについての御認識をいただきたい。特に通産大臣あるいは中小企業庁長官——うしろにおられます課長さんたちには、何べんもお目にかかりまして、私も過去三回の通産省の交渉に列席をいたしましたし
○吉田委員 無断で離隊をして帰ってこない人、幽霊隊員が相当あるという話でありますが、その幽霊隊員というのは、どのくらいあるのか、それから取り扱いはどうしておるのか。
○吉田委員 自衛隊のことについて少々お尋ねをし、あとで基地のことについてお尋ねをいたします。 自衛官の幹部、それから曹、士別に定員と欠員の状況は、どういうことになっておりますか、お聞きいたします。
○吉田分科員 基本的な態度が違いますと、いろいろな面で違いが出てきますが、一つ顕著な例は、この認定のしかたあるいは認定数あるいは認定機関について問題があるように思います。症状を訴えておりますのは千何百名、ちょっと数字がいま手元にありませんが、その中で認定を申請されたのが数百名、認定をされたのが十五名と承ります。あまりにこの症状を訴え、そして頸肩腕症候群だと考えられるものが——私も数名の小倉の患者さんに
○吉田分科員 そうしますと、本症の原因である作業環境あるいは労働の態様、あるいは労働の強化、そういうことが問題になって、それを解決することが、いわば頸肩腕症候群の原因を取り除く、いわば労働条件と労働環境あるいは労働の態様等について改善を加えることが、私は電電公社のとられるべき態度だと思いますが、そういう観点から考えて、両者を比較しながら原因を客観的に求め、これを改善する方向に電電公社は努力さるべきだ
○吉田分科員 第一は、頸肩腕症候群のことについてであります。 従来の国会での審議、それから電電公社のプロジェクトチームの報告書あるいは全電通労働組合の調査報告書等も拝見をいたしました。地元北九州において同様の病状を訴えております諸君にも会ってまいったり、事情については一応私として勉強したつもりであります。その上に立ってお尋ねをいたしたいと思います。 時間がございませんから、要点だけお尋ねをして御答弁
○吉田分科員 その懇談会で討議をされましたときには、工場から出ますいわば元値と申しますか、工場出し値についても触れられております。それから第一次マージン五円、第二次マージン五円、それで小売り店渡しが百八十円になっておるという、いわば皆さんの調査の結果、あるいは、そこで発言されたところもあわせまして表現をされておりますが、実はメーカーからその当時幾らで出て、そして合理的なマージンがとられて百八十六円という
○吉田分科員 百八十六円の根拠はお示しをいただきませんでしたが、座談会を開きました消費者、生活協同組合なりあるいは主婦の人たち、そこには西日本の砂糖特約店の組合理事の方も、あるいは砂糖の二次卸商も、それから県市の消費生活局あるいは流通対策課等も出席をいただいておりますが、その中で、九州でも二百円前後の売り値があらわれておりますが、スーパーは百七十八円、中には百七十五円もあるが、生協には、安くて百八十円以上
○吉田分科員 私は、砂糖のことだけを承りたいと思います。農林省に初めお尋ねをして、あと、この事態を公正取引委員会がどういうぐあいに見ておられるか、承りたいと思います。 経緯は詳しく申し上げることはございませんが、昨年の暮れ、砂糖が市場から姿を消したところもございます。特に関西地方はひどかったようでありますが、中には二百八十円、三百円といったような砂糖もあらわれた。東京でも、あの洗剤と砂糖がなくなったときに
○吉田分科員 促進する方向は、それでは北九州市が希望するような平和利用あるいは緑地云々という点も含んでそれを促進するようにという御意向であったのかどうか、重ねてお尋ねします。
○吉田分科員 新聞が報道いたします大蔵大臣から政務次官に対して云々というニュースがございます。それでは審議会の結論は出ていないとしても、大蔵大臣の意思は私は個人的な意思ではないと思いますが、大蔵省としてはそういう努力をせよという大臣指示を通じて大蔵省の意思は伝わっておる、あるいは私どももそう承知していいのかどうか、そこのところをお尋ねいたします。
○吉田分科員 防衛庁長官にお尋ねするのは短時間ですから、ちょっとおつき合い願います。 二つお尋ねをしたいんですが、防衛庁に対しては、山田弾薬庫を北九州市の緑地公園に払い下げの問題であります。私が申し上げるまでもございませんが、北九州市ができましてから、市議会でしばしば議決をして払い下げを意見書として出しております。要請をしております。これは御承知のことだと思いますけれども、戦争中にあそこの山田弾薬庫
○吉田委員 せっかく来てもらって、十分のみ込めておらなかったのかもしれませんけれども、ここで説明を願い、お答えを願わないで、帰りまして検討いたしまして後刻御返事をいたしますというのでは、出てきてもらった意味がない。 申し上げておるのは、昨年の十二月二十日、電調審にかけられたときに、福岡県豊前市妙見地先に五十万キロ二基、百万キロの発電所をつくるということを電調審にかけて、そこで承認を得て、そして一月二十二日
○吉田委員 表示の間違いだと思う、その効力については影響されるところはないと思うけれども、念のため、電調審にもう一ぺん資料を添えて再確認を願った、こういうお話のようですね。前段の表示だけの間違いか。吉田法晴というべきところを、これは私は小さいときに「吉田法晴」と読まないで、「吉田みちはる」と言ったのですが、それは吉田みちはると言うたのと同一の認識が得られるはずだと、こう言われますけれども、争おうとは
○吉田委員 お許しをいただいて豊前火力のことについてお尋ねをいたしたいと思います。 状況、経過等は説明を省略いたします。 先般、手元に官報を持っておりませんが、官報で告示をされました場所の名前が間違っておりました。それは私が申し上げるまでもございませんが、いまあります豊前火力発電所の地先ですけれども、「明神地先」というのを、「妙見地先」と書かれておりました。その効力について経済企画庁にお尋ねをしたいところでありますが
○吉田委員 説明をしていただいております方も、ずっと前から担当でおられるわけではないでしょうから、全部をあなたの責任としてお尋ねをするのは、多少酷かと思いますが、私は、目黒に迎賓館があったということを記憶しておりましたから、あれを、政府で迎賓館として転用された、所有権は別の問題にして、迎賓館として使用されたと実は理解をしたのです。 実際、承りますと、いまお話しのように、前には朝香宮邸であった。それを
○吉田委員 吉田内閣時代に、目黒に迎賓館という建物があり、その前には外務大臣公邸、あるいは総理大臣としての吉田さんも、その外務大臣公邸を使われたのかあるいは総理大臣公邸になったのか知りませんけれども、使っておられた。これは間違いない事実だと思います。私は、その後、迎賓館という名前で使われておりましたし、そこに何人かの国賓やあるいは公賓が泊まられたことも承知をしておりますから、実はあれは外務省かあるいは
○吉田委員 法案は二つの部分から成っております。一つは迎賓館に関する点、もう一つは同和対策協議会の設置期限を五年間延長する点。そこで、迎賓館のことと同和対策について、限られた時間でございますけれども、順次お尋ねをいたしたいと思います。 先般、修理されつつある国会図書館のあとの建物を、現地について見せていただきました。たいへんりっぱなのに驚いたのですが、過去において迎賓館と称するものがあったと記憶をしております
○吉田分科員 その点を除きますと、共同声明の二項と三項とが御理解をいただけておったということで解釈いたしますが、ところが、あの問題が起こりましたときに私は話をしておりましたら、それは下関の漁網をつくっておる工場のことだけではございません、日本の学校で教えられております教科書の中にもまだその二つの中国が残っております、こういう話でございます。そこできょうの分科会の質問にその問題を取り上げたいと思って取
○吉田分科員 そのとおりでございますが、お答えの中に、たいへん恐縮でございますけれども、中共ということばがございましたが、中共というのはレッドチャイナの翻訳で、中華人民共和国はさしませんので、日本の文部大臣が中華人民共和国を中共と言われるようなことはたいへん残念なことでございます。ひとつそれは御訂正をいただきたいと思います。
○吉田分科員 冒頭に文部大臣にお尋ねをいたしますが、これはことしになりましてから、月ははっきり覚えておりませんけれども、中国の漁業代表団が西日本に来られた。まだ一カ月たってないと思います。おそらく一月の末か二月の初め——ちょっと、手帳を見るとわかります——一月の下旬です。下関の漁網をつくっております工場に視察に行かれる予定でしたが、そこの会議室の壁にかけてあります地図に、台湾の地図の色が違っておったということでそこに
○吉田分科員 北九州道路の区間別の方法もございますが、せっかく百円であったところのものを、同じ区間を百五十円に上げぬでもいいじゃないかということについては御答弁がございませんでしたが、国道であるということが一つ、外国には例のない話だ。それから北九州道路のほうについても現実に、関門大橋ができる前よりも少なくなったことは事実です。これは通過客の数を見られたらわかります。そこで、北九州道路の問題についても
○吉田分科員 関門大橋が中国縦貫道路、九州縦貫道路をつなぐ高速道路の一部としてかけられたことは、私も知っております。しかし、せっかく橋ができて――若戸大橋ができましたときには、若戸大橋に何万という人が見に来ました。それからその次は、パールラインというか天草五橋ができたらそこに移りましたけれども、天草五橋にもずいぶんたくさんの人が集りました。せっかくできた関門大橋にたくさんの人が来るだろうというのは、
○吉田分科員 私は、あまりむずかしい問題でなしに、通俗的なことでお尋ねをいたします。 道路の使用料の問題。道路だとか、道路の一部ですけれども、橋。この間、関門大橋はおかげででき上がりました。あれば下関から北九州市にも要請がございまして、ちょうど私が市長をしておるときに橋でお願いをしました。それも、北九州道路のように、つくり上げたらとたんに狭くなるようなことのないように、人道をぜひつくってくれ、橋を
○吉田委員 ここで日本の外交の問題について深く論議しようとは、実は思っていないのですが、いま三つの点をあげられましたけれども、私は、第一にあげられました発展途上国と先進国との間の違和感というとらえ方自身に、一つの問題があるような気がいたします。 日本を先進国と考え、あるいは東南アジア、あるいは中近東の諸国を発展途上国と考え、あるいはアフリカ等は、その考えによると、もっと発展途上国の、おくれたほうだということになるかもしれぬと
○吉田委員 アラブ諸国が例にのぼりましたけれども、その他の国々についても、大同小異だろうと思うのです。日中国交回復をして、中国大使館に私、去年初めて参りました。アラビアの、これはレバノンであったか、クウェートであったか、どこであったか、そこのところは、はっきりいたしませんけれども、いまの説明で聞いても、大きいところで大使館員が十名、その中で、アラビア語のできる人が二名とか、はなはだしいところは一人。
○吉田委員 法律案に関連をして、若干御質問を申し上げたいと存じます。 具体的にこの法律案に盛られております名称、位置あるいは給与について、直接関係いたしませんが、在外公館での外交官の活動を、わずかではございますが、私もインドあるいは欧米諸国で多少見ました。それから、ごく最近、アラビア諸国の大使館を訪問いたしました人の話も聞いてまいりました。 そこで、在外公館に勤務しております日本の外交官の姿勢とそれから
○吉田委員 宮内庁から資料をいただきましたのに関連をして、お尋ねを保留しておりましたから、時間がございませんから、特別に御了解を得て、十分か十五分で終わるということでやりますから、一ぺんにお尋ねをいたします。答弁も、なるべく簡単にお願いしたいと思います。 天皇は、人間宣言をされたんですから、神様でなくて人間になられたと思います。憲法のたてまえも、国民主権の原則に立って、象徴である天皇の地位は、主権者
○吉田委員 いま、言われました事件が起こってから云々というのは、今月号の雑誌に書いてある。本の中にはそれはございません。もう一ぺん読む必要はないと思いますが、「終戦後わたくしの生活環境は激変した。が、わたくしは楽しかった。三十になってたった一人で町をあるく楽しみをはじめて知ったわたくしは、運命のふしぎさをかみしめながら、だれにも気づかれずにコツコツと町をあるいてみたものである。」云々、これは歴史研究
○吉田委員 この間からの質疑を聞いておって、やはり皇室の尊厳あるいは紀元の問題についても、総務長官は厳粛な問題と言われました。のぞくべからずではございませんけれども、ああいう考えを聞いておって、やはり干犯すべからずという、明治憲法のことばを思い出し、知らず知らずの間にそういう考えになられるのではないかといった感じがするのです。 これは、前にも聞いたことがございますが、ちょっといま見出せませんけれども
○吉田委員 皇室経済の問題に関連をしてお尋ねをいたしますが、総務長官は、あるいは御存じないかもしれませんけれども、私は、福岡県選出の衆議院議員ですが、前に、参議院議員を十三年、副議長もいたしました松本治一郎という先輩がございます。たいへん、その近くでいろいろ指導もいただきましたし、また影響も受けています。この松本治一郎という人は、全国で三千部落、三百万の未解放部落の部落民の解放のために、その生涯をささげました