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40件の議事録が該当しました。

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1958-03-19 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第17号

北委員 もう一つ、私の選挙区の問題ですが、新潟の一部に松ケ崎というところがある。これは阿賀野川の下流にあるところでありまして、阿賀野川は有名なサケの産地であります。ところが飛行場が付近にあるために、飛行機の爆音のために魚の寄りが悪いからというので、百万円を要求しておるのに三十万円だけ許可を受けた。昨年の春私がそこに行ったときに報告を受けたのですが、これはどれくらいの損害だということをまだ正確に研究

北昤吉

1958-03-19 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第17号

北委員 私はちょっと質問いたしますが、これは新潟県知事から私に陳情書があったもので、多分水産庁にも出ておると思うのです。新潟県にはオホーツク海の漁獲に三そうか四そう行ったうち二そう出しておるのです。それがロシアの還送で帰ってきたのですが、北洋漁業の方に転換さしていただきたい、優先的に世話していただきたいという陳情であります。こういうのはどう水産庁でいたしておりますか、多分水産庁陳情がきていると思

北昤吉

1958-02-20 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

北委員 私の質問は、前国防長官が言ったんだから相当根拠があると思います。私は内閣調査室の人を呼んで聞いたところでは、昨年来たのが四億だと言っている。秘密のものが三億ぐらいあるだろうという話でありました。それを問うたら、そんなものじゃない、昨年は中国から二十億来ておる。ロシヤからは来ないだろうと言ったら、ロシヤから十億来ておる、こう言うのですから、そういうことの根拠が明らかでないならば、情報局などは

北昤吉

1958-02-20 第28回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

北委員 ちょっと質問いたしますが、私は前官房長官から聞いたのですが、名前はコンフィデンシャルな話であるから今ここで申し上げませんが、私は中国から日本に金がだいぶ来ておる事実を述べた。ところが、そんなものじゃない。私は内閣調査室から聞いたのですが、それは自民党の人たちが集まって聞いたところが、昨年は四億何千万日本に来ておる。秘密の数量まで入れたら七億ぐらい来ておるだろうと言えば、そんな小さなものではない

北昤吉

1957-05-13 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第39号

北委員 私はそのときに総務の一人としておりました。事情をよく知っております。三木幹事長が提案しました。政府の意思を迎えて記念日をやろうという発言をしたところが、憲法調査会長山崎厳君が発言を求めて、今自由党憲法調査会を設けて、場合によっては憲法を改正しようというやさきだから、祝賀の意味記念日はやる必要はない、こう言った。その次に清瀬君が立って、これはマッカーサー憲法だからやる必要はない、おかしいと

北昤吉

1957-04-25 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第35号

北委員 それならわかりますが、浅井君は私もよく知っております。慶応大学の憲法の先生で、国体明徴問題のときに辞職した人です。鳩山さんが自由党を組織したときに、安藤正純君が初代の政務調査会長で、今度日本憲法を作らなければならぬというので浅井君を憲法調査会長にした。私はその下に会員になっておりました。安藤君がその後追放になりまして、マッカーサー憲法の試案が出てから私がかわりましたが、浅井君はりっぱな人

北昤吉

1956-05-17 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第48号

北委員 私は衆議院において昭和十二年から出ておりますが、昭和十六年のときに戦時予算に協賛したという名義で、議員として功労ありというので初勲の勲四等瑞宝章をもらったのです。私はそのとき事変は見込がないというのでもらいに行かぬといったところが、清瀬君が、湯浅倉平君はかつてシベリヤ出兵のときに勲章をいただいたけれども、もらわぬとがんばったところが、これは陛下のおぼしめしだからそういうことはいかぬというので

北昤吉

1956-05-15 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第46号

北委員 百万円申し込んだけれども三十万円しかいただいておらぬ、これを取ってくれと頼まれておる。私は別に申し上げませんでしたが、新潟飛行場は移してもいい、考慮するとアリソン氏が答えたそうですが、私はこれは移せないと思う。御承知のごとく佐渡には東洋一というようなレーダーの基地があります。佐渡一の高い四千尺くらいの山がある、その上に完成いたしました。私は調達庁に交渉して、土地の買収から何から、みな骨

北昤吉

1956-05-15 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第46号

北委員 もう一つ松ケ崎というところに飛行場があるのですが、これは非常に貧弱な土地で、土地砂だらけで、タバコを作ってようやく食べている。昨年はタバコがふできで非常に困っておられる。沿岸漁業がふるわず、みなロシヤの方に出漁して出かせぎに行っておるところでありますが、これも大砲のために魚族の寄り方が少い。調達庁に百万円頼んだら三十万円だけいただいておるという話ですが、ほんとうですか。飛行場がある、そしてこれの

北昤吉

1956-05-15 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第46号

北委員 私の選挙区の新潟県の飛行場の拡張問題ですが、これは県会と市会で満場一致で反対決議をしておるが、知事がまだ公示をいたしません。ところが強制になれば知事が公示するだろうと思いますが、私がちょうど昨年の今ごろでしたが、真崎君やこちらの方、芦田君を初めジョンソン基地を拝見したことがあります。そうしたらその司令官が言うには、ジョンソン基地もそれから新潟飛行場も二年もたてば日本に返す、日本で用いてもらうんだ

北昤吉

1956-04-19 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第37号

北委員 よくわかりましたが、私は、戦争が起きた場合の国防会議と、起きないときのふだんの国防会議と、性質が違うと思うのです。やはり軍需省というものが兵站部係であって、これが日本戦争では十分に整っておらなかったから、ビルマのインパール作戦あたりをやって補給が続かぬでみたり、そうして無用な犠牲者を出したり、レイテ作戦で、とりあえず満州から鈴木混成師団長を重武装を持ったままで派遣した。ところが途中で船が

北昤吉

1956-04-19 第24回国会 衆議院 内閣委員会 第37号

北委員 御承知のごとく戦争が始まれば、どこの国でも軍需省というものができて、軍需大臣ができるのでありますが、この国防会議法案では軍需省軍需大臣を予定しておらぬ。これは私は仮の国防会議法案だと思う。戦争が起きないときを見越したもので、戦争が起ったせつなには軍需省ができて、軍需大臣ができて、これが国防補給の第一線の責任を持たなければならぬと思う。ちょうど東条内閣のときに藤原銀次郎さんが軍需大臣になりました

北昤吉

1955-12-05 第23回国会 衆議院 法務委員会 第1号

北れい吉君 ただいま地元の櫻井奎夫君の話した通りであります。私は、一日の火事の次の二日に東京を出発して現地を親しく見ました。御承知のごとく焼失延坪は七万八千四百八十坪となっております。焼失建坪は四万八百三十九坪余、損害合計額が約百五十億円、その中で保険がわずか十五億となっておる。莫大な損害で、市長は、固定資産税をとるところや営業税をとるところがみな焼けたから税金が入らないと嘆いておりましたが、まことに

北昤吉

1955-03-25 第22回国会 衆議院 懲罰委員会 第1号

北委員長 これより会議を開きます。  この際一言ごあいさつを申し上げます。今回はからずも懲罰委員長重責をになうことになりました。何分ふなれでありますので、この重責を果し得るかどうかを懸念いたすものであります。幸いにして委員各位の御協力によりまして大過なきを期したいと存じます。何分よろしくお願いいたします。(拍手)     ―――――――――――――

北昤吉

1954-12-16 第21回国会 衆議院 外務委員会 第2号

北委員 ただいまの答弁で満足いたしました。  それからソ連との貿易も、ソ連は、木材を輸出したがつておる、私の聞くところではカナダやアメリカから買うよりも、また日本の相場よりも安いそうです。新潟は、私の選挙区でありますが、戦前には国際貿易港として相当発注した。このごろ北鮮との航路が絶え、ウラジオとの航路が絶えたからすつかり劣えて困つておりします。そこで私は貿易促准の会に呼ばれまして、行つてその話をやめた

北昤吉

1954-12-16 第21回国会 衆議院 外務委員会 第2号

北委員 重光外務大臣の本委員会の御答弁によつて中共その他の共産諸国との外交吉田総理よりははるかに弾力性があるということは私は敬服いたします。私は現に日中貿易議員連盟会員でもあります。また最近村田省蔵さんが会長となつてできた日ソ日中国交回復国民会議の役員でもあります。まあ元の自由党諸君では私と石橋湛山君と平塚常次郎君が入っております。また参議院では鮎川義介君が入つており、改進党の系統では北村徳太郎

北昤吉

1954-12-01 第20回国会 衆議院 外務委員会 第1号

北委員 私はやはり吉田総理は帰朝早々外務委員会に出て、対外交渉の経過並びに結果を報告するのが総理の義務だと思います。なぜかと申しますと予算委員会では予算はすべて国政関係があるから一般国政質問がありますが、外務委員会はことに外交のことについて詳しく知る権利がわれわれにあると思うのです。それでありますから本会議で大要は述べられたようでありますが、吉田総理英国においては反共のことを非常に述べ、アメリカ

北昤吉

1954-05-08 第19回国会 衆議院 外務委員会 第47号

北委員 ただいまの木村保安庁長官の説明は私も了といたしますが、この目的罪にあまりに重きを置くと、「わが国の安全を害すべき用用途に供する目的をもつて、」というのは、吉田内閣からいえば、自由企業の体制を支持するというのが国家の目的でありますから、米国と協調しようとする、ところが、日本にはそれに反対の分子が相当おるのですから、目的罪から犯罪を取締るということはちよつとめんどうです。すなわち、日本のためには

北昤吉

1954-05-08 第19回国会 衆議院 外務委員会 第47号

北委員 関連して。秘密保護法案の第三条第一項に「わが国の安全を害すべき用途に供する目的をもつて、」とありますが、これでは、ゾルゲ事件のような大きなスパイ事件は取締れぬと思うのです。たとえてみれば、尾崎秀実のごときは、日本資本主義の国と戦つて世界を共産化することが、日本国の安全に役立つと思つてつたのです。そうしてスパイの事実も不当の方法じやないのです。当時の近衛のブレーン・トラストたる風見章君、

北昤吉

1954-05-06 第19回国会 衆議院 外務委員会 第45号

北委員 関連して。実はこの問題は私は初めから注目いたしておりましたが、河野君が日本の債権について質問をしたのですが、その材料は実は私のところに持つて来たのです。私がやらずに河野君が質問をして、当時爆弾質問といわれたのですが、これは根拠のないりくつでも何でもない。アメリカに四年間勤めておつた私の友人のむすこで、通産省の嘱託をしておつたアメリカ人は次々に帰つたけれども、それは書類を一通こしらえておいて

北昤吉

1954-03-27 第19回国会 衆議院 外務委員会 第27号

北委員 さきの下田条約局長お話、私少し不満なところがあります。すなわち穗積君はポツダム宣君からして、連合国司令官命令についても、憲法上受入れられぬことがあるというのでありますけれども、ポツダム宣言を逸脱した対日占領政策の初期の方針というものを御存じでありましようが日本戦争に負けてポツダム宣言を受入れたのが八月十五日、八月のしまいごろにマッカーサー命令が出て、発表になつたのは九月の初めです。

北昤吉

1954-03-26 第19回国会 衆議院 外務委員会 第26号

北委員 もう一つ秘密保護法のことについてでありますが、悪い武器をもらつて、これが悪いということを発表して、こんなものでは困ると言うても秘密保護法にひつかかると困るのです。現にそういう経験は戦時中の東條内閣の治下にあつたのです。御承知でありましようが、岐阜県の各務ヶ原の川崎岐阜飛行機製作所の所長は東條さんの弟さんでした。この飛行機戦争のしまいごろには三割しか飛べなかつた本人は金をもうけて、おめかけさんを

北昤吉

1954-03-26 第19回国会 衆議院 外務委員会 第26号

北委員 関連して。台湾アメリカ顧問団長チエーズ少将といいましたか、この人は蒋介石総統陳誠のおる部屋のまん中の部屋がんばつておる。それで台湾自主性が非常に失われているということが朝日新聞に出ておつた日本でもそういうことがないだろうかと私は心配いたします。たとえば銀行屋生産会社に金を貸すと取締りが厳重になるが、やはりそういうおそれはないでありましようか。台湾日本とは少し実力が違うでしようけれども

北昤吉

1954-03-22 第19回国会 衆議院 外務委員会公聴会 第1号

北委員 私もまつたく同感であります。実は戦力問答についていろいろ議論があつたときに、当時閣僚の一人であつた本多市郎君に私は言うた。ところが本多市郎君は閣議でも主張したようですけれども、法制局長官は、国内法優先というような思想を述べているのですが、実はこの憲法の成案ができたときに、私は自由党憲法改正委員長でありました。せんだつて憲法調査会金森さんを呼んで来歴を聞いたんです。金森さんはやはり四月

北昤吉

1954-03-22 第19回国会 衆議院 外務委員会公聴会 第1号

北委員 ただいま大平教授お話をお聞きして、私も大部分共鳴するものでありますが、大平教授国際法並びに国際法の精神から出た国際協定に非常に重きを置いているのですが、私もその論者です。日本明治憲法では、御承知のごとく国際条約尊重の規定はなかつたドイツの旧憲法もなかつた国際法は一片の紙片にしかずという言葉があつた。このごろは――ドイツワイマール憲法でも第四条かと思いますが、国際条約憲法の一部

北昤吉

1954-03-19 第19回国会 衆議院 外務委員会 第20号

北委員 どうもわかりません。デイフエンス・キヤパシテイというとやはり防衛能力であるから、造船所などは普通の船をつくる目的であり、デイフエンス・キヤパシテイのうちに入らない。これはやはり陸軍、海軍、空軍その他の戦力を含めたものだと思うのですが、もう少し広く解釈できないのですか。私は経済的安定と区別しております。だからいわゆる自衛力は、政府の解釈する経済的安定を含めた自衛力という意味にはならないと思う

北昤吉

1954-03-19 第19回国会 衆議院 外務委員会 第20号

北委員 朝鮮事件機械水雷が私の郷里の佐渡島の周辺に盛んに流れて来たのです。ちよつと戦争になつて機械水雷などどんどん流す、航海が非常に危険になるのですが、こういうことに対して自衛権を発動するというとどうやればよいのでしようか。こうなるととても日本海は航海できないのです。私は戦時新潟佐渡との間を機械水雷のために船が通らぬから漁船で渡りました。戦時中数回そういう苦しい体験をなめておるし、今度の朝鮮事件

北昤吉

1954-03-18 第19回国会 衆議院 外務委員会 第19号

北委員 私は岡崎さんの考えは初めからわかつておるのでありますが、朝鮮の問題について、ダレスがきのうの演説でこう言つております。もし朝鮮において進撃が始まつたならば、国際連合司令官侵略者が選ぶ場所を越えて侵略者に対して重大なる打撃を与えることを確かに感じておるであろう、こういう言葉がある。これは朝鮮において、北朝鮮から中共もしくはソ連援助を受けて北鮮軍が攻めて来やときには、彼らが選んだ地域を越

北昤吉

1954-03-18 第19回国会 衆議院 外務委員会 第19号

北委員 岡崎大臣が出席されておりますので、この際お伺いしたいと思います。昨日ダレス氏が演説をいたしております。それは、大西洋同盟十三国、南北アメリカ同盟国関係二十国、合せて三十三国のいずれの一国に攻撃しても、アメリカの大統領は議会の承認を得ず、ただちに戦闘行為をなす権力を委任されておる。さらにアメリカ防衛計画を述べて、英国でも防衛計画の変更で、原子兵器を用いて防衛をやる。アメリカも、陸海両軍

北昤吉

1954-03-16 第19回国会 衆議院 外務委員会 第18号

北委員 私どもと根本的な認識が相違しております。ドイツでは十万の幹部がおつて、二十万を毎年招集したことはあなたたち御存じでありましよう。いわゆる保安隊というものでたくさんの兵隊ができた。ただこれの使い方が悪かつた侵略戦争使つただけです。私が憲法を改正しなくてもやれると言うのはさつき二十七条を読んだ通りです。あなた方いなかで百姓の人たちに聞いてごらんなさい。次男坊三男坊が失業して困つておるから

北昤吉

1954-03-16 第19回国会 衆議院 外務委員会 第18号

北委員 もう一つ承りたい。池田君は昨年ロバートソン会談アメリカに参つたときに、アメリカ日本に対するソ連兵力の脅威を力説したそうです。驚くくらいな力説の仕方をした。これは国会図書館から出しておるレフアレンスでたくさん例が載つておりますが、陸上共産軍は五十万の兵力日本本土への上陸兵力として保持している。海上、ソ連海軍を中心として、右の陸上兵力を一週間で上陸させる艦隊が極東にある。そのほか海南島

北昤吉

1954-03-16 第19回国会 衆議院 外務委員会 第18号

北委員 関連して。保安庁長官質問したいことが三つあります。簡単な質問です。実は岡崎外務大臣質問したのですが、私は十六万くらいのちつぽけな兵隊じやだめだ、ことに内部の共産党の暴動など恐れてはだめだ。私の考えでは金はよけいいらぬ、今一人七十万も金を使つておるのであるから、その金があつたら三十万でも四十万でも集めて、そうして勤労させる。勤労というても、私は具体的に言いますが、まずダムの建設隊道路改築隊

北昤吉

1954-03-15 第19回国会 衆議院 外務委員会 第17号

北委員 日本自衛力を強化するということは、仮想敵があるということを予定しなければならぬのですが、中共ソ連とは御承知のごとく、相互援助条約を結んでおるから、日本も単にMSA援助だけでは事は済むまい、やはりアジア諸国自由主義陣営内に入れても、国防力を持つておるものはごくわずかでありますから、結局日本が一朝事あるときには、日本を助ける実力を持つておるのはアメリカだけであります。フランスは御承知のごとく

北昤吉

1954-03-15 第19回国会 衆議院 外務委員会 第17号

北委員 木村保安庁長官がお見えになる前に、まず岡崎外務大臣質問申し上げます。  MSA援助を受けて、日本自衛力を強化しようということには、わが国民の支持は三分の二以上だろうと存じますが、その三分の一は反対であると考えますけれども、アメリカ会計年度の六月末までにどれくらいの武器が来そうでございますか。ドルに換算してそれをお答え願います、

北昤吉

1954-03-15 第19回国会 衆議院 外務委員会 第17号

北委員 ただいま法制局からお話があつたが、「ザ・ライト・オブ・ベリジエレンシイ・オブ・ザ・ステート」というところで、いろいろな交戦国交戦権という場合に、「ザ・ライト・オブ・ベリジエレンシイ・オブ・ザ・ステート」となつて、「ザ・ライト・オブ・ベリジエレンシイ」というと、戦いを宣言し、戦いを実行する権利だと私は単純に考えております。もし個々の権利ならば、「ザ・ライツ・オブ・ベリジエレンシイ」とならなければならないと

北昤吉

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