1950-03-27 第7回国会 参議院 水産委員会 第10号
○参考人(内橋潔君) 海流が西から東へ入つているのが相当濃厚に見られるということで以て、魚がそれに従つて西から東に行くということは申上げることはできません。
○参考人(内橋潔君) 海流が西から東へ入つているのが相当濃厚に見られるということで以て、魚がそれに従つて西から東に行くということは申上げることはできません。
○参考人(内橋潔君) 私海流と言うたように思うのですけれども、潮流と海流とひよつとそのときに混同したかもしれませんけれども、海流が西の方から入つて来まして東のほうへずつと行くわけです。
○参考人(内橋潔君) 私は只今紹介を頂きました内橋でございます。この度私共が二十年間に亘りまして調査しました瀬戸内海の資源の様子をお話する機会を得ましたことは、感慨の至りである次第であります。 先ず初に問題となりますのは、私共の調査研究の資料の問題であります。これは兵庫県水産試験場が大正十三年に設立されましてから、昭和十七年まで殆んど毎月、それ以後は大体一年に三回乃至四回、紀伊水道、大阪湾、播磨灘