1950-04-28 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第21号
○証人(兒玉政一郎君) 私個人としましては、はつきりしたことは掴んでおりません。舞鶴に上りまして、我々も梯団として、各人寄りまして集計したところでは、信じられないのであります。
○証人(兒玉政一郎君) 私個人としましては、はつきりしたことは掴んでおりません。舞鶴に上りまして、我々も梯団として、各人寄りまして集計したところでは、信じられないのであります。
○証人(兒玉政一郎君) 上告をしまして五ヶ月間何ら音沙汰ありません。一九五〇年の一月、確か五日だつたと記憶しておりますが、そのときに私が呼ばれまして行つて見たところが、小さな紙切れが来ております。通訳が読んだところによりますと、兒玉の上告は基礎薄弱なりと認めて、それを有罪なりと認め受付けない、棄却をする、こういうようなソ同盟最高幹部会軍事部の通告であります。これを読聞かしたということにサインせよ、こういう
○証人(兒玉政一郎君) 年月日は西暦で申上げますから予め御了承願います。私は一九四九年の六月十三日ハバロフスク地区のホール病院、ここで入院加療をしておりましたが、六月十四日に逮捕状を発付せられまして、そのままハバロフスクの……監獄が十八分所の横に二つあります、白い監獄と赤い監獄と二つあります。その白い監獄に入れられました。この監獄はロシア人に聞きますと、未決が入る監獄だつたそうであります。それからロシア