2011-04-27 第177回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第3号
○住田参考人 年寄りというのは古い話しかしないものだと言われそうなんですけれども、ジェー・シー・オーのときの私の経験をちょっと申し上げたいと思うんです。 事故が起こりましたのは、ちょうど十一時半ごろというか、午前中でございましたけれども、私どもに実際の連絡が入ったのが約二時間後ぐらいでございまして、そのときに、当時の委員長であった佐藤一男さんとか我々委員が異口同音に言ったことは、緊急助言組織というのがちょうど
○住田参考人 年寄りというのは古い話しかしないものだと言われそうなんですけれども、ジェー・シー・オーのときの私の経験をちょっと申し上げたいと思うんです。 事故が起こりましたのは、ちょうど十一時半ごろというか、午前中でございましたけれども、私どもに実際の連絡が入ったのが約二時間後ぐらいでございまして、そのときに、当時の委員長であった佐藤一男さんとか我々委員が異口同音に言ったことは、緊急助言組織というのがちょうど
○住田参考人 私ども、今ちょうど松浦さんがお話しになられたのと全く同じ感情を持っておりまして、長く原子力にかかわってきた、推進とか規制とか、そういうことを抜きにしまして、大学を卒業してから、私は六十年ぐらいですけれども、原子力にかかわってきた人間として、こんな状態の日を迎えるというのはやはり予測しておりませんでした。本当にそうあってはならないということは考えてきたつもりでおりますけれども、やはりそれを
○住田参考人 住田でございます。 何分にも老齢でございますので、ごあいさつだけして座らせていただきたいと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。お許しください。
○住田参考人 お答えいたします。 安全委員として派遣されたというふうに一般にはおとりいただいているようでございますが、私自身は、実は、私ども原子力安全委員全員が入っておりますけれども、安全委員会が持っております緊急助言組織というのがございまして、私ども安全委員五名のほかに学識経験者が約十五名程度の方、問題によりましてはもっと人数をふやすことができますが、そういう先生方を込みにした緊急助言組織というのがございます
○住田参考人 東京におりましたのでは様子がわかりませんでしたので、現場へ行きまして随分実態がよくわかったというふうに申し上げたいと思います。 ちょっと長くなって恐縮ですけれども、例えば建物が壊れているのかどうかということは、東京から随分私どもは知りたいと思ったんですが、それについての情報は全然来なかったということでございますね。ですから、行ってみてわかったことが多かったということを申し上げられると
○住田参考人 お答えいたします。 大阪弁で質問されますと、つい私もつられて大阪弁が出ますので、お許しいただきたいと思います。北と南は違うようですけれども、やはり大阪弁でありますから、ちょっとお許しいただきたいんですが。 まず、臨界が続いているかどうかということを安全委員会の席上でどういう発言をしたか。これは、あちこちで随分皆様から同じ御質問をいただきました。私自身も、実はあのNHKの報道については