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88件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1980-04-18 第91回国会 衆議院 決算委員会 第16号

伏見説明員 私がその文書の中で約束的なことを申しておりますのは、国へ帰りましてからそれぞれ関係のある諸機関に実情をお話しいたしまして、学術交流が少しでも促進するように努力するという意味のことをお約束してまいり、かつその結果を御報告するということをお約束してまいったわけでございます。その約束に従いまして、御関係のありますいろいろな研究機関等に、どういう御事情になっているのか、日ソ間の学術交流としてはどういうことをやっておられるかといったことを

伏見康治

1980-04-18 第91回国会 衆議院 決算委員会 第16号

伏見説明員 ソビエトを訪問いたしましたこと、御指摘のとおり事実でございます。学術会議会長個人といたしましては、国際学術交流を非常に大切なことだと考えまして、チャンスがある限りいろいろと国際的な交流のきっかけをつくろうと絶えず努力をしているわけでございますが、たまたま昨年の一月に日本学士院の百年祭がありました際にソ連アカデミーの副総裁でありますベリコフ氏が来日されまして、その方といろいろ日ソ間の学術交流

伏見康治

1975-06-11 第75回国会 衆議院 文教委員会 第15号

伏見参考人 私、ただいま日本学術会議の副会長を相務めておりますので、御質問のようなことが出てきたんだろうと思うのでございますが、今日は実は学術会議代表という意味で出てきたつもりではないので、それからまた、そういう意味で十分細かい点の資料等を準備しておりませんので、細かい点の御返答はできにくいかと思っておるのでございますが、ごく荒っぽい精神的なことだけ申し上げてみたいと思います。  第一の、学術会議

伏見康治

1975-06-11 第75回国会 衆議院 文教委員会 第15号

伏見参考人 生越さんの言われたことと似たようなことになると思うのでございますが、私のつまらない経験を一つ申し上げますと、名古屋大学のプラズマ研究所大学院学生を相手にしておりまして、その人が博士号をとるという卒業期になって相談しに参りまして、これから何をしたらいいでしょうかという質問を受けて非常なショックを受けたことを覚えております。つまり、いまの学生の非常に多くはエスカレーター思想というもので

伏見康治

1975-06-11 第75回国会 衆議院 文教委員会 第15号

伏見参考人 私ここへ出てまいりましたのは、いろいろな関連大学院問題を議論しておりますものですから、それでお呼び出しを受けたのだと思うのでございますけれども、そういういろいろな組織での御議論にとらわれないで私の自由な気持ちで発言さしていただきたいと思っておりますので、どうぞよろしく御了承願いたいと思います。  大学院の問題は、伊藤先生も言われましたように、あるいは生越さんも言われましたように、非常

伏見康治

1962-08-30 第41回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号

伏見参考人 たくさんの原子炉が同一の場所に置かれる場合のお話は、兼重先生がおっしゃったことに尽きております。それ以上のことをただいま考えておりませんので、それについてはさらに申し上げることはございません。  基準をつくるという方のお話については、先ほど申し上げたことをもう一ぺん繰り返すことになると思います。原子炉安全性を考えます上におきましては、その原子炉がどのくらい安全であるかということを評価

伏見康治

1962-08-30 第41回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第4号

伏見参考人 武田先生と同じことを申し上げる二とになると思いますが、少し個人的なことにわたって恐縮でございますが、一九六二年はある意味で私にとっては大へん記念すべき年でございます。と申しますのは、ちょうど十年前、五二年の秋に学術会議の総会の場におきまして、茅誠司先生一緒に、日本でも原子力開発に手をつけるべきであるという提案をいたしました。ちょうど十年目に当たりますので、そういう日にここでお話をする

伏見康治

1961-05-10 第38回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第16号

伏見康治君 早く、できるだけ適切に適用できるような基準を発見するということが、私たちに課されている課題であるということは、今、岡さんのおっしゃった通りであろうと思います。それが、いまだに私たちが模索しておりながら、適切な、そういう基準というものにめぐり会っていないということは申しわけないことだと思っております。しかしながら、非常にリジッドな、簡単な基準というものを作りましたために、それがあとの日本

伏見康治

1961-05-10 第38回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第16号

伏見康治君 お答えいたします。  基準部会長を命ぜられましてから、率直に申し上げますと、私のやりましたことは、むしろいかにして基準を作らないかという努力をしてきたような感じがするわけでございます。それはどういうことであるかと申しますと、普通基準というものを考えます場合には、非常に末端的なことをお考えになる方が多いわけでございます。たとえば、その辺にプロパンガスならプロパンガスを何十気圧かに詰めて

伏見康治

1961-05-10 第38回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第16号

伏見康治君 お呼び出しを受けまして、今おっしゃいました二つの法案についての意見を申し上げることになるのでありましょうが、その方面に関しまして、私は特にその専門家でもございませんし、的確なことを申し上げる柄でないと存じておるわけでございます。しかし、一方、同じ原子力関連いたしまして、原子炉安全の基準部会の方の仕事をさせていただいておりますので、その方との関連でこの原子力損害賠償に関しましても一応の

伏見康治

1957-02-21 第26回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第5号

伏見参考人 お説のように、いろいろな事故の場合を想定いたしまして、その際にどういう被害が起るかということを、相当考えられるいろいろな場合について研究して参りましたし、目下研究もしつつあるわけでもございます。先ほど西脇助教授が説明されたのも、そういう一つの想定された場合の計算の例を示されたわけであります。そういうことを全然やっていないわけではございませんでして、そういういろいろな、具体的に起り得べき

伏見康治

1957-02-21 第26回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第5号

伏見参考人 いろいろな実験室放射性物質を取り扱っておりまして、それの跡始末に、御指摘になりましたような不完全な点が現にあるということは、ある程度は事実であるかと思いますが、それは要するによいことではございませんので、建前といたしましては、そういう放射性物質を取り扱いますところは、すべて完全に処置するようにしておかなければならないものだと思っております。そのほか、私の専門に近い方の学問でありまして

伏見康治

1957-02-21 第26回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第5号

伏見参考人 ただいま御紹介にあずかりました大阪大学の伏見でございます。  御承知のように、京都大学の総長の諮問機関といたしまして、関西におきまする研究用原子炉設置準備委員会というのがございまして、私ただいまお話がございました児玉先生一緒に、その準備委員会委員を勤めさしていただいております。私がこの委員会に参加しておりますのは、日本学術会議の中にございます原子力特別委員会委員長という資格で入っておりますので

伏見康治

1956-05-11 第24回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第21号

伏見参考人 私の申したいことを、むしろ岡さんがかわっておっしゃっていただいたような感じがいたしますが、ちょっと違った観点から申しておきたいと思いますことは、アメリカの原子力平和攻勢という言葉を使ってよろしいと思いますが、原子力平和攻勢というものの中に、原子力というものを相当夢のようにと申しますか、何か非常にすばらしいものであるように宣伝されている面が非常に強いという点であります。たとえば、東南アジア

伏見康治

1956-05-11 第24回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第21号

伏見参考人 そういう純然たる学問的検討を十分に経ないで、原子力平和利用の大宣伝が行われておる、それだけで動かされている方がある程度おられるということは、事実であろうと思います。いわば原子力の科学的な面を担当すると申しますか、そういう方面に今責任を持っております私たちといたしまして、そういう方々へのいわば啓蒙的な活動の努力が足りないことを  つくづく痛感いたします。

伏見康治

1956-05-11 第24回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第21号

伏見参考人 ただいま湯川先生から非常に深いお話があったわけでございますが、私はもう少しプラクティカル観点からお話を申し上げてみたいと思います。  原子力というものが問題になっておりますのは、湯川先生その他の深遠な学問を深めていくという意味で、皆さんの御関心を必ずしも呼んでいるわけではございませんでして、それが実際上のプラクティカルな影響というものを大きく持っているであろうということが、やはり皆さん

伏見康治

1956-04-26 第24回国会 参議院 商工委員会 第25号

参考人伏見康治君) お答えいたします。ただいまの御意見まことにごもっともでございまして、私が先ほど申し上げましたのは、すでにきまりましたその国立という考え方からその特殊法人という考え方に移りましたことに対し、それ自身に対しまして反対申し上げているわけじゃございませんのでして、ただいま言われました運営にまかせたらよかろうという点をあくまでも心配しているわけなのでございます。この特殊法人と申しますと

伏見康治

1956-04-26 第24回国会 参議院 商工委員会 第25号

参考人伏見康治君) 御指名にあずかりました伏見でございます。しばらくお時間を拝借いたしまして、原子力研究所に関しまして考えておりますことを申し上げたいと思います。ほかの方のことは私にはよくわかりませんですが、研究という面では発言する資格があると思いますので、申し上げてみたいと思います。  日本学術会議におきまして、日本における原子力開発研究開発の問題をどう始末したらよろしいかということをだいぶ

伏見康治

1955-05-20 第22回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

伏見公述人 ただいまの大へん御親切な御質問に対しまして、お答え申し上げます。私は、日本国内にはただいまのところいわゆる軍備というものはございませんので、本質的な意味での秘密というものはなかろうと考えております。従って日本国内におきましては、いろいろないわゆる学術会議原子力に関する三原則の劈頭に掲げてございます原子力に関する情報の公開性といったようなことを、どこまでも貫けるものと考えているわけでございます

伏見康治

1955-05-20 第22回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

伏見公述人 言葉を濁すようでございますが、イギリスに入らなかったのでもあり、入れなかったのでもあり、その両方、中間のところであろうと私は考えております。と申しますのは、私は客観的な事実だけを申し上げますと、東京のイギリスの出先のところには一ぺんヴィザの申請をいたしました。しかしそのときは、私以外の調査団方々一緒にみなヴィザを申請されたのでありますが、それはいわば保留になって、私たちが出発するまでは

伏見康治

1955-05-20 第22回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

伏見公述人 伏見でございます。原子力平和利用の問題につきまして、私が考えておりますことを、昨日の藤岡由夫教授お話とも関連させまして申し上げてみたいと思います。藤岡先生と私との根本的な意見におきましては別に少しも違わないのでございますが、多少観点の違った点からの意見を申し上げてみたいと思います。原子力平和利用関連いたしまして、よく近ごろ日本方々が言われることの中に、日本は広島、長崎で原子爆弾

伏見康治