○久保田参考人 それは確かにありました。活字を通じて見た、知つた知識に対して、日本のラジオを通じて是正した。ただ、ここで一つ申し上げたいのに、先ほど黒沢参考人からお話がありましたラジオ・ニツポンという名前が入つて来るのですが、はたして、日本にそういう名称を使つている放送局があるでしようかどうでしようか。それの通信によりますれば、私は忘れましたが、たしか二月の初めだつたと思います。卵が一箇七百円という
久保田邦一
○久保田参考人 このたび引揚げになりました者は大多数が樺太在住者であります。そのために、樺太在住者の多くは樺太で生れた方も相当ありますし、また二つか三つのときに親の手に引かれて樺太に渡つたというような方が多くて、内地にもどつてみても、姻戚、縁者もない、頼るべき血縁者もないというので、非常にさびしい気持にあられたようです。そういう方がたまたまソ連の婦人とお知合いになり、あるいはラジオで聞いたり、あるいは
久保田邦一
○久保田参考人 久保田参考人、御報告申し上げます。
私はマガダン地区からこのたび引揚、げて来た者であります。これから、抑留から引揚げまで、マガダン地区に送られました大体百八十名の日本人の経路について申し上げます。
私ども一行は大体樺太におきまして一九四六年の十一月から十二月の間に判決を受けた人々からなつておりました。一九四七年の正月一日に大泊を出帆いたしまして、ウラジオ経由でナホトカに送られたのが
久保田邦一