2017-05-25 第193回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第10号
○中村参考人 復興、震災の光と影というお話がありました。 私自身は実は、昨年の三月までは岩手県の職員ということで、震災後はずっと復興に携わってまいった立場であります。 そういったことまで踏まえて考えてみますと、やはり私自身は、この震災で二万人を超える方々が犠牲になったということを我々がいま一度しっかりと受けとめる必要があるのではないかというふうに思っております。それは犠牲者だけではなくて、それに
○中村参考人 復興、震災の光と影というお話がありました。 私自身は実は、昨年の三月までは岩手県の職員ということで、震災後はずっと復興に携わってまいった立場であります。 そういったことまで踏まえて考えてみますと、やはり私自身は、この震災で二万人を超える方々が犠牲になったということを我々がいま一度しっかりと受けとめる必要があるのではないかというふうに思っております。それは犠牲者だけではなくて、それに
○中村参考人 今、インバウンド、特に中国人の観光客誘致のお話をいただきました。 私ども三陸鉄道も、実は、「あまちゃん」のお話を先ほども申し上げましたけれども、これは台湾でも放映をされておりまして、台湾の方々はすごく「あまちゃん」の認知度が高いということで、実は三陸鉄道にもかなりおいでいただいております。ただ、それ以外の外国の方が来ているのかというと、残念ながら、まだそこまでは至っていないというのが
○中村参考人 三陸鉄道の中村でございます。 本日は、このような機会を与えていただきまして、ありがとうございます。 私の方からは、六年前、三陸鉄道も大変大きな被害を受けましたけれども、国を初め多くの皆さんの御支援によりまして、三年前に全線運行再開を果たすことができました。現在の状況それから今後の見通し等につきまして本日はお話をさせていただければというふうに思っております。 お配りしておりますパワーポイント
○中村(一)参考人 私ただいまの森清先生の加工業者の件と、それから福島長官の加工業者に対する補償の方法について、私の意見を申し上げたいと思います。
○中村(一)参考人 今までは正十二時から六時まで射撃を行つております。それからこれは小栗山さんの方でよく御承知だと思いますが、たとえば時間が来たときに、漁船が危険区域内におつて退去しないというときには、自分たちで——自分たちというのはちよつと変なのでありますが、補償金の中から買つた無線機をもつて連絡をして、早く退去をしろというようなことが過去にあつたと思います。それからせんだつて私がマーテイン少佐に
○中村(一)参考人 私たち千葉県九十九里浜において働く漁民の数は約二万七千名であります。それで、昭和二十三年以降アメリカ軍が九十九里浜の中心部である千葉県山武県豊海町に駐留して参りまして、その海岸におきまして半径三万一千ヤードの海面を接収いたしまして、当初は月曜日から金曜日まで毎日演習を始めておつたのでございます。それから地元の強硬な反対意見もございまして、午後に変更され、ただいまでは月曜日から木曜日
○中村参考人 この問題が持ち上りましたのは、昭和二十三年の米軍の射撃が始まつてから、当時網繰の漁業者、加工業者、地びき、雑漁の業者間において、とにかく漁はできないし、非常に困るから、ひとつ何とかしてもらいたいというような声が起りまして、それが県庁へ、また中央に波及いたしまして、これが実現いたしたのでありますが、その点につきましては、その当時委員でありました諸君には御礼を申し上げるのであります。ただ私
○中村参考人 私は参考人として、ここで私の証言をする前に、委員長に質問いたしたい点があるのですが、それは私がこの席上で九十九里の射撃の補償金の問題を証言することによつて、その内容が非常に複雑怪奇であるということによつて、本年度もしくは本年度以降の射撃の補償金の千葉県の取分の金額が減つたり、もしくは予定の支出がもらえないというようなことがありますと、私立場上非常に困りますので、そのことと今までの補償とは