1958-07-03 第29回国会 参議院 建設委員会 第5号
次は、一般の被害状況でございますが、これは警察庁の情報によったものでございますが、島根県におきまして死者二名、負傷行方不明が四名、家屋の浸水が六千百余り、田畑の流失埋没が九十七町歩、田畑冠水が千九百二十三町歩、広島県におきましては、負傷行方不明が十八名、家屋の浸水が三千二百棟、田畑の流失埋没が百四町歩、田畑の冠水が三千四百四十八町歩ということに相なっております。
次は、一般の被害状況でございますが、これは警察庁の情報によったものでございますが、島根県におきまして死者二名、負傷行方不明が四名、家屋の浸水が六千百余り、田畑の流失埋没が九十七町歩、田畑冠水が千九百二十三町歩、広島県におきましては、負傷行方不明が十八名、家屋の浸水が三千二百棟、田畑の流失埋没が百四町歩、田畑の冠水が三千四百四十八町歩ということに相なっております。
損害の程度でございますが、事故発生とともに即死されました方が二名、負傷後死亡されました方が二名、重傷は二十九名でございました。この中には乗務員二人を含んでおるわけでございます。軽傷が三十六名。この車は大破をいたしたわけでございます。乗務員は運転者が中沢秋雄という方でございまして、年令三十八才、経験年数は十四年であります。車掌は井上久栄といいまして、年令十九才、経験が四カ月でございます。
それは本年の三月三十一日、つまり前月の末日の午後に、これは私ども現在資料を持ちませんので新聞によるのですが、北海道の十勝、帯広というところで砂防工事、林道工事の現業者がそこの萩原組と称する土工等現場係員、そういった人々がなだれのために六十七名埋った、そこで死亡十二名、負傷十一名というようになっておるようですが、これは数字はわかりません。
飛弾によりまして三十一山田丸には死者が二名、負傷者が三名、第三十二山田丸には負傷者が二名出ておるのであります。 これは大体現地からの電報報告でございますので、なお詳細は現在調査中でありましてわかり次第なお近い機会に御報告申上げたいと思います。
その結果、昨年、二十八年度の同調査におきまして、事故の発生総数は京王四十五件のうち死亡者が十二名、負傷者が十名、京成三十七件のうち死亡者十二名、負傷者二十名に比して、小田急の事故総数は七十件のうち死亡者が二十五名、負傷者が十二名であるというような多数の数字を現わしているというようなことは、現実の踏切施設の不完全ということが証明されるということを私どもは感ずる次第でございます。
と、小田急の二十七年の踏切り事故というものは六七六件で、そのうち死亡が十二名、負傷が二十二名になつている。二十八年には七十二件の踏切り事故で、そのうち死亡が二十五人、負傷が十二人になつている。京王では二十七年には三十七件の踏切り事故で、十一名を殺して十四名を負傷させておる。二十八年には四十五件の事故で、十二名殺して十二名負傷させておる。
又大小の山谷はいずれも山津波となつて、洪水と土砂、岩石を押出し、一瞬にして流域の家屋を流失、埋没、破壞し盡し、玖珂地方事務所管内三十カ町村において死者二百五名、行方不明百十二名、負傷一千二百二十九人、罹災者数万の被害を出すに至つたのでありまして、家屋の全壊、流失、浸水するもの一万四千六百九十五戸に上り、田畑、道路、橋梁、堤防、林道の被害又甚大で、橋梁も流失するもの七百二十七に及び、岩国市内は勿論、錦川本流
すなわち一昨日午前三時半過ぎに浅草千束町朝鮮マーケット付近におきまして、米兵六名が朝鮮人の集団暴行を受けまして、一名死亡し二名負傷するというまことに不詳事が起つたのであります。
人的の被害は、死者四名、行方不明二名、負傷二十八名の報告がありました。 農作物の被害は、海岸線、谷河川の流域でありますが、特に太田川の流域、安佐郡と西部の佐伯郡において甚大であるとのことでありまして、減收見込み十万二千余石、金額にして五億三千三百余万円とのことであります。なおまた最近風水害のあとを受け、高田郡、双三郡方面での虫害が目立つて来て、相当の減收を来すのではないかとのことであります。
昨年豪雨、台風のために相次いで災害を受け、復旧の緒についたばかりのところ、本年六月九日より降り続いた豪雨は、南信地区を中心として全県下に出水し、特に諏訪、上伊那、下伊那地方の被害は激甚をきわめ、死者五名、行方不明二名、負傷者六十七名、罹災戸数二千三百五戸を数え、各地堤防の決壊、道路橋梁の流失、交通杜絶数十箇所に及び、その他山林、耕地、農林産物に甚大なる災害をこうむり、被害額は実に三十五億一千八百余万円
ただ暴行を受けたという抽象的なこと、それから二名負傷したということは聞いております。