1950-07-19 第8回国会 衆議院 農林委員会 第3号
やはりあらゆる所に森林軌道等をしき、欣伐あるは間伐等をやつて、そうして自然林の中においても利用価値のあるものを残すようにする、こういうふうに最大の努力が払われなけれげならない。森林軌道等を少しも利用しないで、自然の荒れるままにしておく。そこで腐つた木が、洪水のときにおいては、まとまつて流れて来て、災害を大きくする原因等をなしておる。
やはりあらゆる所に森林軌道等をしき、欣伐あるは間伐等をやつて、そうして自然林の中においても利用価値のあるものを残すようにする、こういうふうに最大の努力が払われなけれげならない。森林軌道等を少しも利用しないで、自然の荒れるままにしておく。そこで腐つた木が、洪水のときにおいては、まとまつて流れて来て、災害を大きくする原因等をなしておる。
これは単に原生林を価値づけるというあなたのお考えでありますが、原生林をある程度間伐したり何かして、平野林をあまり荒さないというこの見方は、私賛成するのでありますが、原生林はやはりあくまで保つて行く方が、日本の森林保存のためによろしいのではないか、こう私は考えるのでありまして、ただ平野林を荒さないようにして、原生林を間伐でもいたして、これを価値づけるということには賛成でありますが、原生林はあくまで私は
ことに近年は、戦争中及び戦後における山林の間伐、堤防その他破壊箇所の増大その他により、被害の額を一段と大きなものにいたしておるのであります。しかも経費及び資材の関係が遅れて復旧に間に合わぬものが多く、聞くところによりますと、昭和二十三年以前の災害復旧に要するもの七百億円、昭和二十四年度発生の分については九百億円、合計千六百億円んの巨額を要するといわれるのであります。
尚、神宮境内地の奥深く立入つて実地調査をしたが、樹木が余り密生して居つて、間伐等の手入が未だ十分でない所が多く見受けられたので、管理者に注意を與えて置いたことを附記する。管理者の説明によれば、戰時及び戰後における手不足のため、この結果になつたのであるということである。
しかしながら一方におきましては、現在においても國内の適材量を超えて木材の伐採をしなければならないのでありまして、これが対策といたしましてはまず間伐励行いたしますること、それから適当な場所を保安林といたしますること、こういう点で考えて行かなければならぬのではなかろうかと思うのでありまして、政府といたしましていろいろな計画を立案いたしておるのでありますが、二百万町歩ないし二百五十万町歩の植林計画をただいま
それから若木でありますが、これは間伐だけを認めまして、全部の山を伐るべきじやないというように考える。それから樹齡ですが、松、すぎいろいろなものがあります。松の樹齡は大体四十年、六十年後においては伐るべきものである。
いわゆる山を裸にしないためには間伐、或いは除伐を強行いたしまして、山を全部裸にしてはならない。十本ある内、五本だけ伐る、或いは一株十本なら五本だけ伐つて五本を残するいうので、裸山にはしない。必ずそこには木を残して置く。昔は保山木と称して山は全部伐らない。そこには相当な木を残して、子孫の家を建てる時、大きな材木を使うために残しておつたのであります。
それで、民有林に対する統制の方針ですが、今後どういうふうにするかということを明示して頂きたいということ、それから又官有林につきましても、或いは間伐或いは開発その他について、いろいろただ行当たりばつたりに伐つているのではないと思いますが、どういう方策で官有林を伐採しておるかということの方針を示して頂きたい。
民間の間伐などはもう契約の分を除いてこれを打切つてしまうということで、素材にして九十萬石を減じておる。最初の豫定より……。又國民がこの冬に向つてどうして冬を越すか。炭のごときはまだ一俵も配給されていない。そういう場合において木炭の製造が六百萬貫の減少を來たしておる。そういうことを公然とここに謳つてある。私はこの點について理解に苦しむ。政府は石炭は國家管理でやるべし。
國営治山治水の実施、森林治水事業を根幹として森林地域にダムを設けて発電用水等の便に資すると共に、一貫した砂防工事、河川改修を國営で行い、営林監督の徹底した施業案を編成いたしまして、間伐と除伐を大規模に計画し、植林を伴わない伐採を禁止いたしまして、造林未済地に命令又は官行造林を行い、禿山を皆無にする方策を取ることであります。第四は、山林種苗の確保であります。
富士山の特別地域にあります「はりもみ」等につきましては、これは私共の方から關係官が出て參りまして、現地におきましてこの施業案と同時にやつて頂くこと、及びその風致を害しないように間伐をやつて貰うというようなことで解決をいたしたこともあるのであります。又更に國立公園候補地につきましても、例えば宮島の如きにつきましては、要塞地帶が撤廢に相成りますると同時に、非常に濫伐をやつた。
或いは注意をしておるというお話でありますが、實際は私一々實見したわけではございませんが、非常にひどい状態でありまして、間伐と稱して、殆んど全部坊主にしておる。非常に多々例を見るのですが、それからまだ伐らないところで、この度農地法その他の關係で伐採命令等が出て、耕作可能地の中にそういうものが隨分、私行つて見ませんがあるそうです。十和田湖なり奧入瀬の溪谷は全部伐つてしまつた。
あの最惡の状況になつておつたというのは、やはり間伐、濫伐その他開拓によるものであるということがはつきり、それこそもう典型的な模型のようになつております。それで私共一番困つたと思うのは、此處は林産物の生産地で、殊に炭や薪が東京に來るうち二割、三割はここから出て來る。ところが、鐵道やなんかも花輪線というものの箇所では全く見込がない。