1948-11-27 第3回国会 衆議院 厚生委員会 第5号
それから輸血の生の血液の問題につきましては、私から榊原委員と問答いたしますことは、おとなと子供の相撲に相なるのでありまして、私自身はそういうふうな輸血の経験を持つていない医師であります。
それから輸血の生の血液の問題につきましては、私から榊原委員と問答いたしますことは、おとなと子供の相撲に相なるのでありまして、私自身はそういうふうな輸血の経験を持つていない医師であります。
われわれの方だつて少しはおとなです。そうあなたにむりなことを言つておるつもりじやない。われわれの方からおやめになつたらどうだというこれを、むりにやる必要はないじやないか。
少年の不良化の原因をつくつたようなおとなにつきましては、ある程度の刑罰権を行使するのでありますが、少年については、絶対に刑罰は科さない、こういう裁判所のでございます。要するに、少年の不良化を防止するのには、犯罪を犯すに至つたその段階まで到達した少年を調べまして、そうしてそれの保護処分を加えるだけでは不十分でありまして、その一歩前のところで、なるべく早く治療の手を加えたい。
何十年経つても、何百年経つても、さざれ石のいわおとなつても、断じて波に砕けないという港ができる。そういうこと言れておるのであります。 かくのごとき政府の怠慢ぶりからいたしましては、残つた十五隻の運命もまた実に憂慮にたえぬのであります。何どきこれに対して解体を命じてくるかもしれない。
子供というものは、とかくおとなの影響を受けやすいものである。従つて犯罪の撲滅には、青年も少年も、ともに一つの道によつてこれを矯正する以外には方法はないと思います。さしあたりの問題としては教学の刷新である。かように考えておる次第であります。 なお最後に、食糧管理法を廃止する考えはないかという質問でありましたが、政府は廃止する考えはもつておりません。(拍手) 〔亀田幸吉君登壇〕
○委員長(山本勇造君) それじや次は、「成人の日、一月十五日」、制定の趣旨、「こどもが、おとなになつたことを自覚し、社会もまたこれを祝う。」、どうもこれは昨日の打合会でも、一應こういうふうに定めたのでありますけれども、あの時にも大分疑義があつたように思いますが、これはもう少し何か御案がございませんでしようか。
しかるに事もあろうに、最近タバコ製造に多量の砂糖を割り当て、おとなの嗜好にこびんとしておるのはどういうことか。また紙不足のため出版業者は泣いておる。しかるに、やみタバコのため非常にたくさんの紙が煙になつておるという現実の面があるのであります。結局やみタバコは、子供の砂糖を食い、出版業者の紙を食い、併せて政府の税収入を食つておるのであります。
理想をもつて起ち上がれば、おとなには利用こそされ、主体的に行動せんとすれば、周囲より圧迫をこうむつたものであります。しかし今日、不良化しておる青年も、享樂生活を送つておる青年も、やがてあすの日には目標を同じくして民族新生の礎石となり、絶対平和の精神による新しい國土の開拓に精進するものと信じて疑わないものであります。
○鈴木國務大臣 それは過ぎたものであつて、少年だから罪を犯すおそれのあるものを保護するので、おとなは、あいつはやりそうだからといつて、理由もなく保護するわけにいきませんから、これは結局現實に罰を犯したら縛られる、起訴猶豫になるかもしれないが、監獄を出てきたら保護處分をする、普通の市民は成年でも、それはやりそうだからひとつ保護するというわけにはいかない。これは問題はないと思います。
今田中委員もおつしやいましたように、子供はいろいろな願いをもつておりますけれども自分ではそれを言うことはできないし、それをどういうふうに處理していいかわからないのでございますが、これをほんとうに、幸福な環境に育て、りつぱに育成を遂げしむるということは、おとなの責任であり、まさにこれは國の將來の運命にかかわると思いますと、りつぱに政治的に取扱わなければいけない問題でございます。
すべての法律、ほとんど大部分の法律が、おとなのためにつくられたる法律でございますのに、國民の大半を占むるところの子供のためにできている法律は數少いものでございまして、その少い法律の中にただ一つここに子供の世界だけの法律ができてきたということは、私どものほんとうに喜びをもつて迎えるところでございまするが、それと同時に當局におかれましても、單にこれが機構の問題だけに止まるようなことでなしに、いつでも具體的
この法案の全體を通しまして私不滿に思いますことは、兒童というものは決しておとなの縮圖ではない。子供というものは未完成なものであり、これから育ち行くものであるということは、たれでも一應わかつておるかのごとくでありますが、この法案を讀んでみますと、ややもすればそういうことを忘れがちにしてつくられた法案ではないかというような感を受けるのであります。
それだけの心構えがないからそれだけの統制ができないのでありまして、この例といたしましては私は出身縣の福岡縣の例をとつて申し上げますと、福岡縣は非常に乳幼兒の乳製品及び牛乳は、全國的に見て一番状態が悪かつたのでございますが、縣當局の非常なる努力によりまして、ことしの七月でございましたか、銀河という喫茶店に牛乳が配給されて、これを健康なるおとなが飲んでおる現場を押えまして、そういう牛乳のやみ配給というものを
かように考えるのでございますが、おとなの主食が遲配缺配になりますと、これは國家としても非常に努力されるのでございなす。ところが赤ちやんの主食であるところのミルクに對しましては非常に冷淡である。かようにまで私は考えておるのでございます。このミルクに對しまして、どういうお考えをもつて今進まれておるか、その點をひとつ伺いたいと思います。
でございますからおとなの主食を確保いたしますと同じように、ほんとうに赤ちやんに足りるだけのミルクは、ぜひ確保していただかなければならないと存じます。そのためにはいろいろめんどうなこともございましようし、隘路もございましようけれども、それを何とか突破いたしまして、ミルクでなければ育つことのできない、命を保つことのできない赤ちやんでございますから、これはもつと眞劍にひとつお考えが願いたい。
この理解はおとなにはつきますけれども、三つや四つの子供にはつきません。私はああした小學校の低學年、そうして保育所や幼稚園におりまする子供には、ぜひ給食を實施したい。かように考える。
患者は三十圓來ているのを知らないので、小供がかわいそうだといふので、(普通おとなは五圓である)購讀者が十錢ずつ負擔してきたが、事實は右の通りで、患者は負擔する必要がなかつたのだ。それで差額十八圓は本年三月末では三千圓くらいになつている。右の件は長谷川醫師から聞いて初めて知つた。
小學校の子供でも千五百五十カロリーでおとなが生活できると思つているものはだれもありません。責任ある地位にある者がこういうことを言えるかどうか。しからざればわれわれ議員を侮辱したものです。結局ここへ出された千五百五十カロリーでは人間は皆死にます、これは死骸をもとにした計算です。私たちは生きる人間のためにやつている。これはひとつ大臣に答えていただきたい。
これは、私たちおとなにとりましても、反省させられる多くのものが含まれていると存じます。 私たちは一日も早く、この深い愛情を心の慈雨として、國民ひとしく起ち上り、お互いが他力本願的な氣持を沸拭いたしまして、みずから起ち上ることをもつてこの大いなる隣人愛におこたえしなければならない。