1959-11-13 第33回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号
一人の方も飢え死にさせるようなことは、国家として非常に大きな注意をしなければならないという趣旨でやっておるのですから、方向と努力は大いに買っていただきたいと思います。ただ、その面が百点にいかないけれども、まあ八十点くらいのところまで努力している姿は一つお認め願いたいと思います。それは方向は同じです。私も小林さんも意見は違いません。
一人の方も飢え死にさせるようなことは、国家として非常に大きな注意をしなければならないという趣旨でやっておるのですから、方向と努力は大いに買っていただきたいと思います。ただ、その面が百点にいかないけれども、まあ八十点くらいのところまで努力している姿は一つお認め願いたいと思います。それは方向は同じです。私も小林さんも意見は違いません。
だから、国庫でもってこれだけの負担をしてやる、思い切りやれ、一人の国民も飢え死にさすな、一人の同胞もこの寒さのために見殺しにするな、全力をあげよと、むしろ厚生省や政府が現地の自治体を叱咤してやらせるのがほんとうじゃありませんか。自治体は陳情する、大臣の方はえらそうなことを言って戻るが、実際に事務当局になると、事務当局としてはできませんという事務的な答弁しかできない。
罹災者は飢え死にしてしまう、八勺の米が食えないんですから。そうでしょう。そこで見舞金というものが制度上ないとおっしゃるならば、貸付か何かの名目でこの際大幅にやったらどうですか。一人に対して五万円くらいの貸付をやったらどうですか。罹災証明を持っておる者には全部五万円なら五万円という金を貸す。
むしろ働くよりはなまけることを奨励し、しかも飢え死にを奨励しておるような制度が残されておる。この点はあとで社会保障のお話があると思いますから、これ以上深入りいたしませんが、この程度ちょっと申し上げておきます。 それから老齢年金の制度でございますが、これはけっこうなことでありますが、今のようなことを先に——順序があると思います。それから老齢年金自体につきましても、拠出制度をよくやっていただく。
そういう根本的な違いはありますけれども、結局、国土が狭くて、開発するにしても十五度の傾斜で一つの線が農業の原理から引かれるというようなことになっておりますと、これはだからだめなんだというのでは飢え死にせなければならぬわけでありますから、そういう意味で、農政の本旨としてはこの変化に適応する農政があるはずだ、こういうふうに思うときに気がつきますのは、一体、外国との生産高の比較を見ましても、とにかく日本では
こういうものを保護法を変えてやろうということなら零細企業の労働者は飢え死にしてもいいということになる。労働者は労働組合を作れぬじゃありませんか。あなた方の仕事じゃないですか。こういう点が私は一番大事な状態に来ているのじゃないかと思う。特に私は労働時間の問題はやかましく言ってもらいたい。やりにくいところかもしれない。もし指導行政があるというならこういう点に対してどういう指導をなさっておいでになるか。
まず団体法というものが、一日も早くこの国会で御通過をいたされなければ、中小企業者というものは、何といいまするか、飢え死にをしなければいけない、あるいは国家の一面の破滅の状態になるのじゃないかと実は私は考えております。 第一に、なぜ私がかくまでも団体法というものが必要だということを、一、二例をあげて、皆様の御参考に供したいと考えております。
私は読んだ本の中で覚えておるのでありますが、大よそ飢え死には二種類ある。一つは、食料がなくて、そのために死ぬという突然の死亡、もう一つは、栄養不良がずっと続いて、五十七才まで働ける人間が、五十二才くらいになって弱ってとうとう死んでしまう、これを漸次的飢死というそうでありますが、なるほど飢死に二種類あるなあと感心したのであります。
こうなって参りますと何が起ってくるかといえば、結局家庭が金がある者はどうやらよろしい、あるいは患者が金がある余裕がある者はいい、それは何としてでも補食できましょうけれども、補食のできない階級の者がおりました場合にはみすみす基準に足らないもので、極端にいえば飢え死にさせられるという状況がそこに起ってきているわけです。そういうことになりますね。
優秀なる先生を作らなくても、ここに住んでいる人々が、飢え死にをし、雨露をしのぐこともできないという問題でないために、熱意ありといえども、どうしても等閑に付されているというのが現状でないかと思うのであります。これはまことにわれわれ多くの子弟を持つ者にとりまして、また国民の一人として、まことに私どもは遺憾しごくに思っておるのであります。
裁判官がやみ米を買うことが良心的にできなくて飢え死にしたというような実例も戦後あるのでございます。そういうような非常に高い道徳的な良心生活をした人もあって、日本の裁判制度が今日維持されてきておるのであります。
ただにそういったような案件のみならず、単なる貸借問題といたしましても、ここに年とった女の方があり、子供を抱いてどこかへ勤めている、給料をくれない、その給料をもらわなければ子供とともに飢え死にしなければならぬといったような場合に、訴えて普通裁判所で調停になった、ところが、雇い主は残虐にも一向にその支払いをしない、そういったような場合に、それでも裁判のしっぱなしで、普通裁判所だからほうっておいてよいか、
(拍手)骨も凍る北満の荒野に、炎熱身を焼くボルネオ・ビルマにしかばねをさらし、ニューギニアのジャングルに毒虫にかまれつつ飢え死にし、ガダルカナルに海のもくずと消え去りました、あの下士官、兵の諸君、その御遺族等は、かくも酷薄無情なる処置に、とうてい承服することはできないと思います。
心ある旧将軍でありますならば、自分たちが連れて行ったところの兵隊がガダルカナルで、ビルマで、満州で飢え死にをした、のら犬のごとくのたれ死んだ。自分の部下がのら犬のごとく、こじきのごとくのたれ死にしていった。その遺族に八千四百八十円しか今度値上げをしてあげないけれども、自分は大将だから六万五千六百二十円取るというような者はあるまいと私は思うのです。
こういう飢え死にし、野たれ死にをしました事情を、ほんとうにそのままに今日の御遺族たちがお知りになりますならば、私はたえられない思いを続けると思うのであります。
また私の家族に対しても、私が死んでも、飢え死にしても、恩給はちょうだいしてはならぬということを申しております。今皆さんの議論を聞いておりますと、生き残った私どもとしてはらわたをちぎられるような感じを受けるのであります。少くともわれわれはそういう気持を持っておりますということを申し上げておきます。
われわれは研究だけしておればよろしいのだけれども、研究だけしておったのでは、飢え死にしちゃう。可能な点ではやったつもりですけれども、まだまだ足りないということがよくわかりました。
規則を守ってわれわれ日本人が飢え死にしても差しつかえないのであるか、これは外務省がもっと努力をしてこれに善処すべきものであると私は考えるのであるが、外務省ではただそういう方面だけに考えて、経済の方に対しては非常に冷淡であるかのごとく考えられる。今日の現状がそうなんですから、町を歩いてごらんなさい、東京の町のどこでも実に物資がはんらんしておるじゃないか、はんらんしておりながら売れない。
ただ自由主義であるから自由というものにとらわれるのだという考え方でなくて、いついかなる事態が来ても、日本国民には一人も飢え死にを出させないぞという態勢は、いつの場合でも為政者においては必要だと思うんです。そういう意味において、面子にこだわるとかいついかなるところでも必要なものは買えるということじやなくして、もつともつと深刻にわれわれはこの問題を考えるべきじやないか。
この点はひとつ石炭局長が局長の立場から、また人道上の非常に大きな問題ですからへ何とか当面飢え死にをさせない方法を講じる、そしてあの山を再建するということについて格段の御協力をお願いしたいと思います。明日経営者が参りましたならば、従業員側とともに、またわれわれも相とむにこの問題についていろいろ善処方をお願いすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたしたいと思います。
これが返らぬときまつたらわれわれは飢え死にします。それともう一つは、乗組員そのものが実際困窮のどん底に陥つておる。行くところがない。これから先、よしんば船をつくるにしても、船は簡単にできるもんじやありませんから、今から注文をする。船ができるまで半年もかかる。この間どうしますか。食わずにおられません。それで私ども政府に向つて言いたいのは、金を借りるとかどうとかいつても、金は利子がつきます。
われわれは飢え死にせざるを得ない。結局外国の援助を得なければならぬ。これはこじきなんです。独立国でも何でもない。日本はせつかく条約上の独立国となりましたが、ほんとうの独立国となるかどうかという非常に大きな問題がわれわれの前に立ちふさがつておるというふうに思うのであります。
貧民と労働者は画業計画に動員され、低貸金、低米価は、病気と栄養失調と飢え死にするどころか、水素爆弾のもとにおいて、日本の山河とともに、日本国民はめちやめちやになつてしまうのでありましよう。(拍手) 吉田、岡崎のブレーンは、アメリカ日本州化に狂奔しております。閣僚と自由党諸君は、竹やりを持つて右往左往しておるのであります。