1948-05-24 第2回国会 衆議院 予算委員会 第24号
○原(健)委員 民主党総裁の芦田首相は、全國各地の演説会において、極右極左を排して、われわれは中央党というものをつくるというようなことを言われておる。その意味はどこにあるか知りませんが、極右極左を排すると言われておるが、一体その意味はいかなる意味に解釈してよいのであるか。日本において現実的に極左というのはどの政党であり、極右というのは一体どの政党を指すのであるか。この点をお聽きしたいのであります。
○原(健)委員 民主党総裁の芦田首相は、全國各地の演説会において、極右極左を排して、われわれは中央党というものをつくるというようなことを言われておる。その意味はどこにあるか知りませんが、極右極左を排すると言われておるが、一体その意味はいかなる意味に解釈してよいのであるか。日本において現実的に極左というのはどの政党であり、極右というのは一体どの政党を指すのであるか。この点をお聽きしたいのであります。
私は演説会で自由党は保守反動だといつたようなことを言つた覚えはありません。もしあつたら、どうかその証拠を出してもらいたい。
それから十四ですが、「公務員の制止をきかずに人声、樂器」ということがありますが、ここへ、我々議員或いは立候補者が街頭演説をやる場合に、國家公務員或いは自散公務員の警察官によつて、我々國會議員の演説が止められるということは困りますからして、この欄に「議員又は議員候補者の演説会を除いて」ということを加えることを希望するものであります。
すなわち大分縣へ芦田総理大臣、栗栖前大藏大臣が昨年の十二月に演説会に行かれた際に、梅林氏から依頼を受けたのでありましよう。福岡の銀行の頭取と大分縣の合同銀行の頭取を栗栖さんが宿屋へお呼びになつて、そして融資命令を出したところが、大藏省で承知してもらわなければ、自分の方では出すわけにいかないというようなことを申した。
芦田さんまでが各地の演説会において、やがてこの不当財産取引調査委員会がいよいよメスを研いで、これを解剖していつたならば、続々と自由党の議員から、いろいろな人間が飛び出すというような意味合いのことを言われている。そういうことを、風の便りにいろいろ聞いております。そんなことはどうもあり得べきことではない。個人同僚を傷つけることさえもどうかと思うのに、とにかく一党を傷つけるのはどういう考えか。
(拍手) 私の幼少のころ、田舎の町にも、選挙になりますると演説会が開かれましたが、私の家の二階の窓から、梧桐の葉の茂みの間を通しまして、いつも演説会場に充てられますそば屋の大廣間がよく見えたのでございます。そこで大勢の聴衆を相手に、威勢のいい雄弁を揮われた白皙の青年弁士が、実は私の父のために應援に來てくださつた大石倫治その人であつたのでございます。
次に、私が九州の演説会等において述べた議論を御引証になりました。中には私の述べた通りの事実もあります。又私の言わなかつたことも御引用になつておると思いますが、あの演説は速記を取りまして、すでに印刷にしたものができておりますから、若し御要求があればいつでもあの演説の速記をお目にかけることができます。その中で違つておるという点は、こういうことです。
やはり去年の暮でありますが、豊橋に、幣原さんその他、数名のわれわれの同志が、演説会に参つたのでありますが、その席上にたくさんの青年が聽講に來ておつた。
ただ私が申し上げたいことは、まず選挙公営の徹底化にあたりまして、いわゆる演説会あるいは選挙公報、あるいは無料郵便、ラジオの利用等、ある程度公営で行われでおる部分もあるのでございまするが、まず選挙公営の徹底化にあたりましては、こうしたものを完全に公営にすることが必要だと思うのであります。
そこへ持つて來て、本年八月十一日群馬縣で参議院の補欠選挙が行われたときに、共産党の某候補者の演説会に構内の公会堂が貸與せられた、その機会に共産党の連中が患者などの座談会に出席して、そうしてその患者が療養園に対する不滿を述べ、共産党が大いにこれを支持して結局こういう暴露戰術が取られたのだというふうな厚生省の弁解であります。
この時にも日本の協議離婚という珍しい法律があることを指摘されまして、「論旨脱線だ」「黙つて聴け」と呼ぶ者あり)半ば日本の自由を羨しがられたこ思いますけれども、併し日本の社会の現実を考える時に、(「演説会と違うて」と呼ぶ者あり)協議離婚がどんなに使われておるかということに対して質問を受けました時に、私共はそれに対して深い反省をさせられたのでございます。
(拍手) かようにいたしまして、その他森戸あるいは鈴木両大臣も、それぞれ自分の所管事項に関する視察を兼ねて行くというプランがありまして、われわれ國務大臣の旅行の規定に基きまして、ついでに党の主催の演説会に出てもらいたいという要望があるにすぎないのでありまして、決していわゆる國務を放擲していくのでなくして、あるいは石炭増産の奬励をし、その視察をなし、あるいは勤労者並びに財界人とよく語り合うということは
遅配欠配のない明るい生活、それは我々が社会党の國会議員の候補者といたしまして、去る四月の選挙に我々の選挙演説会に掲げたところのスローガンであります。片山首相も平野農相も、恐らく私同様にその選挙演説会にこのスローガンを掲げておいでになつたことであると私は想像いたすのであります。