1948-01-24 第2回国会 衆議院 本会議 第6号
従つて、現内閣の功罪のすべては、これが責任を担うものであります。敗戰後の大破局収拾の責を負うて、連立内閣のむずかしい首班にお立ちになつた片山首相の御労苦に対しては、深く感謝するものであります。しかしながら、政治は天下の公務であります。私心、私情をもつてこれを曲庇し、あるいは黒白を糊塗して國民を欺くことはできません。
従つて、現内閣の功罪のすべては、これが責任を担うものであります。敗戰後の大破局収拾の責を負うて、連立内閣のむずかしい首班にお立ちになつた片山首相の御労苦に対しては、深く感謝するものであります。しかしながら、政治は天下の公務であります。私心、私情をもつてこれを曲庇し、あるいは黒白を糊塗して國民を欺くことはできません。
私は現内閣が、二十三年度が長期建設計画の第一歩を踏み出す年であり、経済復興、産業建設に歴史的にも画期的な年たらんとしておると、誠に希望に満ちた言明をなしまする前に、願わくば第二の経済実相報告書とでも申すべきものを國民の前に公けに展開いたしまして、既往八ヶ月間に亘る施策の功罪を大胆率直に政府みずからこれを國民に説明するだけの良心的な態度を要求したいと思うのであります。
私は適当な機会にそれらの功罪を率直に國民の前に出すと同時に、日本の現在の経済の段階がどういう段階にあるかということについての第二の経済白書を出すことを私共は今計画いたしておりまして、是非これはお出ししまして公平な御判断をお願いいたしたい。
内務省の存在に關しましては、いろいろ功罪相批判されておりますが、顧みますれば、一方においては民主主義の風潮に伴いまして、あるいは人權蹂躙の總本山であるとか、ビユーロー・クラシーの總本山であるとか、日本における最も強力な一つの推進力として、かつてはあるいは批判され、あるいは讚えられたこともあつたのでありますが、敗戰によりましてここに占領政策に至急即應するために、内務省が解體されるに至りましたことは感無量
○川上嘉市君 最後に一つ、先程お伺いしましたように、この追加予算の約半分は、この内閣になつてからの値上りのためであるというふうに伺つておるものでありますが、結局今日までの安本の功罪を若し形において言うならば、上げた方が多くて、殆どまだ實効がないと、こういうふうな結果になるのでありますが、一つその責任をどこまで取返すつもりで、うんともつと物価安定に対して實効のあるような御努力を願いたいと考えます。
そうして又今ここに再編成の基準要旨が出してありまするけれども、これも総括的な、ただ一つの大体の枠を示しておるだけでありまして、これから先にこれを適用する、適用の如何によつて功罪は決まる問題である。それで、私はこれだけの枠を拵えるならば、大凡この枠の中に嵌つて來ておるところの各具体的な会社の名から規模の大きさ具体的なものがもう大凡あるはずだと思うのであります。
しかし最近イギリスから勞働黨竝びに保守黨の議員が來まして、日本の新聞記者との共同會見において、イギリスの石炭の國有國營ということに關して聽きましたときに、このイギリスの石炭の國有國營の功罪がはつきりわかるのは、やはりイギリスの經濟が安定する間の約二年はかかるのであつて、今これを論議するのは早いということを、勞働黨議員ではなしに、その反對派の保守黨の議員の人が、日本におきまして新聞の共同會見において述
○受田委員 ただいまの政府委員の御説明で、從來の官吏制度の資格に關する高文制度の功罪をお伺いしたわけでいります。さらにこれから後の特に裁判官の資格をどうするかというような特例についての御意向を承つたのでありますが、これらを一貫してこれから先努めて民主化される官制を考えますときに、一つの不滿が起るのであります。
その功罪を最もよく知つておる養蠶農家が出すか出さぬか、いくら出すかをきめたらよろしいという議論が出ました。結局最後に結論になりました點は、價格の中に織込むのは、從來通り農業技術員の費用は三圓、集荷に要する費用三圓は原案通りまとまりまして、六圓を農業會の扱い手數料、殘つた六圓については農家に負擔していただく、そういうふうにきまつたわけであります。それで告示は土曜日にできる見込みであります。
しかる後、その功罪をはつきりさせて、それでこそ初めて政治的な決斷を要する段階にも到著する。お話を承つておりますと、商工省の繊維局では事務的には非常に困難である。これは政治的に解決すべき問題だと言われたのであります。その政治的に解決するところの基本的な觀念がまだ整つておらぬと私は見る。こういうことに對しては御贊成をし兼ねるのであります。
無論この宗教科が設けられるという意味の中には、十分今日的な意味を見るのでありまするけれども、又一方において我々は、過去の宗教というものの功罪というようなものも、ここで相當考えられるのでありまして、これを十分に再檢討して、新らしい角度からどのようにこれを採り上げるかということが、十分に確立されないで實施されることは、ともするというと、過去の弊害に囚われるような危險がないとも限らない、こういうことが考えられるのでありまして
最も新しい問題でありますが、この新らしき問題の起つて來るに關して、つまり教育の全體の上においてどういう立場を占めていいかということを考えないで出したり、それから無内容な形式的なものとしてこれを出したり、過去の遺物として功罪のあるものを、その方面のこともよく調べずに出したりと、そんな無研究な思いつきで出したとは、日本の全宗教を代表した人たちに對しまして、私はそう考えておらない……
この新しい會社の功罪ということについては、私は相當論議されるものがあるだとうと思います。ただ私は新しい會社にも二色ありまして、むしろマイナスになつておる部面もあると考えますが、また一方において水産の發展のためにプラスになつておる部面もあるようであります。これはその會社々々との具體的な内容によつて判斷しなければならぬのであつて、一概に新興の會社全部がだめだとは、私は言い切れないと思います。
もし新興會社の功罪、しかしてまた新興會社の存在理由というものが論ぜられるならば、その方面ではあるまいか。そういう意味合から、私は必ずしも全體を排斥するものではない。やはり個々の問題について檢討していく。
それで私が特に強調したいのは、轉換資本の功罪ということについてでありますが、その點非常によく研究なされ、厖大なる許可權をもつて、仕事をしないで生産をあげないというようなことは、勤勞漁民に對しては非常に壓迫的な感じを與えるし、また勤勞漁民の活躍の餘地がない。