1969-01-30 第61回国会 衆議院 本会議 第4号
ことに敗戦の結果、多くの海外領土を失い、しかも、数百万に及ぶ同胞が海外から引き揚げてきた終戦直後におきましては、国民を一人でも飢え死にさせないために、何よりもまず米の増産が叫ばれ、農政の根幹となったのは当然であります。(拍手)農民も政府も、困難な状況の中で、この至上命令を達成するために精魂を傾けて努力しました。
ことに敗戦の結果、多くの海外領土を失い、しかも、数百万に及ぶ同胞が海外から引き揚げてきた終戦直後におきましては、国民を一人でも飢え死にさせないために、何よりもまず米の増産が叫ばれ、農政の根幹となったのは当然であります。(拍手)農民も政府も、困難な状況の中で、この至上命令を達成するために精魂を傾けて努力しました。
そうすると、こういう食費では、飢え死にするわけではございませんけれども、その人が八十まで存命できるという体質を持っておるのに七十で命が終わることになる、七十まで生きれるのは六十四、五で生命が終わりになる、こういうことになるわけであります。したがって、健康的なではなくて、自分の命を縮めておる基準になる。
ところが、御存じのように、この間の中東問題で、あの戦乱がもしあすこで大きくあれが拡大したならば、日本はもちろん政府の声明のとおりに厳正中立でありますが、厳正中立のまま飢え死にせなきゃならぬというようなかっこうになると思うのでね。
人間が飢え死にしそうな姿の中でも肥えた牛が遊んでおるというあの現実は何を示しているか。数百年のヨーロッパの植民政策の中で、科学する心を植えつけない、それで五百年前の生産性の低い農法の中で、少し飢饉があると食っていけないようになっている。また一方に、にもかかわらず、人間尊重の思想教育をしないために、人権より牛の権利が尊重されておる。
御承知のように、国連の食糧会議において、低開発国のいわゆる飢え死にからの自由ということが問題になりまして、長期にわたって低開発国の人口増を考えれば、十年後には世界食糧が絶対的に不足するというような専門家の答えも出ておるわけです。さらに、そういう中において、一体食糧の価格がどうなるかという問題も出てくるわけです。私は、現在のソ連や中国の食糧輸入というものは一時的なものじゃないと思っておるわけです。
それからもう一つ、これはちょうどりっぱな判事さんだったろうと思うのですけれども、やみ物資を食わないで飢え死にした有名な人がありましたね。あの時代ですから、もう、警察官も検事さんもあるいは判事さんも食べ物や何かはずいぶん不自由しているときなんです。二十一年ですか。
けれど、さっき申し上げたように、そのときはやみ物資を食べなければ飢え死にするという時代ですよ。そういう変わった時代があったというときに、裁判官がやはり生きていらっしゃるところを見れば、やみの物資も食べていらっしゃったということになる。
そのとき役人が法律どおりの生活をしていらっしゃるなら——あのとき判事さんでしたか、名前を忘れましたけれど、飢え死にした人がありました。ですから、法律どおりにやみ物資を食べないと言って飢え死にした判事さん、これは私りっぱだと思うのですけれど、現実的ではないというふうに考えます。
直ちに飢え死にはしないけれども、そういう状態であれば、七十まで生きる人が五十で死んでしまう。そういう低劣な生活保護の基準である。その問題の一番対象者の多いのはだれか、部落の大衆であります。生活保護を受けている人の比率は、ほかの一般の国民の比率の三倍であります。こういう問題も部落差別にかかってくるわけであります。
飢え死にしてもそれはちょうだいしませんとおっしゃっても、その人は警察にお願いしてつかまえてもらって、年に八万四千円の年金を受け取っていただかなければうちにはお返しをしない、どんなことがあっても八万四千円はその人に差し上げるというような内容であったわけです。
今度の農地開放につきましては、いま申し上げたように、戦後の食糧事情、日本人が飢え死にするのじゃないかといわれたぐらいの状態を、これによって農産物が非常に増産できた。
商売というものは飢え死にになりますから、何とか対策をとらなければならぬ。職業の転換その他を考えなければなりませんが、その改善の策については、今年もちょっと出ておるようでございますが、私はやはり二つのことをお願いしたい。 現実に、これは妥協案でしょうが、一つは、同じ金を政府がお出しになるなら、なるべく小さい業者のほうに貸していただきたい。つまり国民金融公庫中心に出していただきたい。
これら次々と消えていく人たちの恩給というものがだんだんと小さくなるということを考えれば、あと五年なり十年なりというような生活を——子供を働き盛りのときにようやく育てて、そうしてそれが飢え死にしたというような場合に、あなた方がもう少し踏み切れないで、法律は矛盾であるということを知りながら、それを行政官だからといってそこに隠れて、そういう裁量ができないということは、私は日本の行政の嘆きだと思うのです。
周期的に、北朝鮮からスパイが入ってきて、そしてテントを張って飢え死にしておったとか、無線電信機を持っておって何かことことやっておったとかいう記事が、ふしぎにも大新聞に大きく特だねとしてだっと出て、あと消えてしまっている。
しかし当時の事情からいえば、幾ら先方が余っておっても、こっちは飢え死にせぬならぬようなときだから、幾ら高くふっかけられても仕方がない、買わざるを得なかったというふうにも考えられるわけです。であろうと思うのです。
しかし、現実に裁判官がやみをやらないで飢え死にしてしまうような生活環境の中で、司法権の独立などというものは、まれな一、二のすばらしい人にとってはあり得ても、全般にとってはあり得ないだろう、こう私たちは思うので、そういう現実の状態それ自身が非常に大切なんじゃないか。
それからまた、商売の方はうまくいっても、いなかのおばさんがころがり込んできて、そっちの方を飢え死にさせることはできないから、金を使ってしまって払えないというようなことが出て参ります。
ですから、恥しい思いをするかもしれないが、そんなことは何でもない、とにかく子供たちを日本に連れ帰さなければ、これはともどもに飢え死にしてしまうというので、帰国に踏み切ったわけでございまして、政情不安がどうの、また水の削減の影響がどうのというようなことは、私どもの帰国請願の理由の根本的な問題ということにはならないのであります。
あれほど福祉事務所でいじめられるなら飢え死にしてももらいに行かぬというような人々もずいぶんある。あまりにも残酷なきびしさなので、そういう人たちがずいぶんある。そういう実態をよく考えないと、単に数字だけを机の上で見ていると、大きな間違いになる。
こってきたということそれ自体に政治の欠陥がある、行き届かないところがあるということを思うのでありますけれども、さらに私が考えますのは、このうちの十人の二才から五才までの男の子がアメリカに養子にもらわれていくということ、アメリカの方では非常な親切を持ってやってくれるのでありますけれども、私はこの捨て子をされたときの情景を描いてみて、おそらく幾日も幾日も思い余って、全く食うに困って、このままではこの子は飢え死に
○白木義一郎君 昔法律を守ったために飢え死にした裁判官がいたということを記憶しておりますが、そのようなことがないように、一つ監督をしてやっていただきたいと思います。