1952-12-08 第15回国会 衆議院 電気通信委員会 第6号
ところが日本がいかに貿易だとか、海外発展だとか、あるいはまたその他の政治的な言葉、経済的な言葉を使つてやつておる表現の裏に、日本の非文化性を具体的に現わしておるのが海外放送であります。この意味におきまして、いろいろな反響も海外からございましようけれども、しかしそれらの反響より以上に悪い反響も多分にあるはずでございます。
ところが日本がいかに貿易だとか、海外発展だとか、あるいはまたその他の政治的な言葉、経済的な言葉を使つてやつておる表現の裏に、日本の非文化性を具体的に現わしておるのが海外放送であります。この意味におきまして、いろいろな反響も海外からございましようけれども、しかしそれらの反響より以上に悪い反響も多分にあるはずでございます。
そういう意味において、今日講和が発効した今、日本の平和的海外発展を企図するときに、この会社を作ることは私は賛成でありまするが、この公社との関連において多々考えるべき点があるのではないか。
そこへこの会社論の理由として、貿易その他海外発展に寄与するという点がある、或いは自由競争という立場がこれをなお可能にするということなら、会社でいいのではないかと、こういう御意見のように承わつたのです。
そういう頭で今後の旅券をお取扱いになつたら、かえつて海外発展の機会を失うということを私は申し上げたい。ところでその旅券を半年かかつてもらつて、ドイツに行きフランスに行つていろいろな関係を見ますと、向うはきわめて簡單です。日本の本国よりも外国の方が親切で、あつさり片づけてくれる。私は査証をもらいに行つたときに、ドイツの外務省に待たしてもらつている間に見た。
従いまして外務省も先般移民に関しまする大体の経緯を発表いたした次第でございますが、従来から言われております移民という言葉は、これから受けまする感じがいろいろな意味を連想させるような感じを持つので、今後日本の人口、領土問題等からする海外発展という意味から申しまする場合には、よほどこの用語等を慎んで、従来移民によつて受けておるがごとき感情を外国に与えないような立場をとつて行かなければならないのではないか
国際労働機関に復帰いたしますれば、日本のダンピングという問題は、すでに今日イギリスが取上げておる文字のそのままを我々は一〇〇%政治的意図があるか、ないかというところを考えずに、一〇〇%そのまま考える必要もないかと思いますけれども、やはりこの日本の今後の海外発展ということはこのダンピングによつてという声を聞かされるということは甚だ遺憾であります。
これも幸いにできまして将来海外発展、海国日本ということになつて来ますと、それが又この法律の目的ではありますが、それは大いにやつてもらわなければならないが、ただ金を儲けるばかりのものでは困る、海事思想の普及ということを大いにやつて、従つてどんどん発展するということを、当然通る以上はこれを期待し又祈るものである。併しこれができたような場合には非常に問題が起きるんです。
又海外発展の日本の漁船に対しても、強力なる水産行政で以て監督する。決して心配は要らんぞと戦前のような悪評は今後は決して取らんぞと、こうなれば安心して日本の従来の成績を十分認めるだろう。又漁業協約についても有利な締結ができるだろうと、かように私ども存じております。
○辻田説明員 とりあえず現在あります五つの商船学校を文部省に移管しまして、内容の充実をはかりたいと思いますが、しかし今後予想されます、講和会議以後における海外発展というようなことも考慮しなければなりませんので、そういうことを加味して、全体的な計画の上において、どのくらいの学校が必要であるか、どのくらいの養成が必要であるかというようなことは十分研究いたしまして、具体的な施策を進めて行きたいと思つておる
そうしてみると日本の将来は輸出でなければならぬという、のみならば今後海外発展をするものの大半が機械でなければならないというのに、すでにそういう行く先に暗雲が低迷して、いや低迷ではない、本当に実在として我々の眼前に現われおるということなのです。
そこで私は是非ともその点をここで強調いたしまして今芽生えて来た日本農機具の海外発展の最も大きな支障をなしている研究資材の入手をこの席を借りて全国の皆さんに訴えて、そうして一日も早く研究用の外米の輸入を実現するように希望して止みません。 次に農機具も他の機械も同じでありますが、技術を伴わない機械はさつきも団長が申上げたようにゼロであります。
どつちかと申しますと、海外発展というような、明治二十七年以後におきましては北海道は忘れられた、デザートされたような感じがありまして明治二十七年以前に比べまして開発のスピード、テンポが遅かつたのではないか、日本が本当に平和的民主的に発展するためにも北海道に特に重点を置いて、開発する必要がある。
しかも明治二十七年までは北海道は開拓使その他を置きまして、特別の役所を置きまして北海道の開発に非常に力を入れた次第でありまするが、しかしながら日清戰争後におきましては、海外発展というようなことに最も力を入れた次第でありまして、北海道はどつちかというと、忘れられておつたというような状況に置かれておつた次第であります。
成るべく早く日本に独立を與えて、そうして更に自由な方式で、海外発展なり、貿易なりをせしむることが、世界の平和、或いは世界の貿易等に貢献するゆえんである。そこに論点があつて、英米において殊にアメリカにおいて、日本に早く講和締結に至らしむるがいいというのはそこにあると私は承知いたしておる。
他の三つの島と比較いたしまして、その内容が非常に違うのでありまして、明治二十七年ごろまでは北海道の開発に日本全体が非常に努力したのでありますが、海外発展といつたような傾向になりまして後は、北海道はどつちかと申しますと、多少遺棄されたと申すとあるいは語弊があるかもしれませんが、忘れられたような形になつておるのであります。
優秀なる人を海外に入れて、その周辺に、それらの関係者、関係業務を持つた者が段々出て行くという、そういうことで、根拠ある海外発展、例えば、南米のドイツ国民の発展とか、またそれに次いで出ているイタリー国民の発展、海外移住というような例をよく見ましても、あの過去の移民の方法はとにかく惡かつた。
千五百万石も入つたことがありますが、そうなつて来るというと、だから日本の海外発展というものは、内地を犠牲にしてやるので、農村というものを弱らすじやないかというので、又それに対しては非常な非難が出て参りまして、今度朝鮮、台湾というものを開発する奴は国賊だというような声も農村の中から出て来る。朝鮮征伐をしろと、こういうような気持も相当にあつた。
海外発展の可能性もあつた。第二には、アメリカ國内に厖大な、豊富な資源があつた。この二つの條件があつたがために、アメリカが植民地の境遇でありながら、今日のような独立した。繁栄した資本主義國になつて來ている。ところが、今日の日本には、今言つた二つの條件は全然ありません。
しかしながら、日本の当時とられたところの、いわゆる海外発展のあの方針が、著しく國際労働機関に加盟しておるところの諸國の平和に対する愛好の念に対して相反するものがあるというので、非常に問題になりまして遂に昭和十四年に、この國際労働機関からも脱退することになつたのでございます。
資材の獲得も自由であり、海外発展も満州、北支の利権も、軍閥、官僚を踊らしめて、遂に取返しの付かない大戰爭に追い込み、愛國を名として國民を死地に陷しいれ、未だ曾てなき敗戰のどん底に叩き込まれた重大なる原因を成したのであります。この間数万の下請工場即ち中小の工場は、盲目的に財閥を拜み、資材、資金の融通を受けて、以て各自経営しておつたのであります。