1950-03-24 第7回国会 参議院 大蔵委員会 第29号
そういうことになると、ただ自分の財産の一部分でたまたま自分がそういうものに趣味を持つておるとか、非常に関心を持つておるとかいうことで、一部分国宝で持つておるというような人なら、儀かな税金なら、仮に年々かかるにしたところで、負担に堪え得るのではないか、ただ併しながら祖先伝来伝わつて来ておつた、物で、たまたま持つておるが、現在の所有主というものは経済的には非常に落魄しておる、非常に窮乏しておる。
そういうことになると、ただ自分の財産の一部分でたまたま自分がそういうものに趣味を持つておるとか、非常に関心を持つておるとかいうことで、一部分国宝で持つておるというような人なら、儀かな税金なら、仮に年々かかるにしたところで、負担に堪え得るのではないか、ただ併しながら祖先伝来伝わつて来ておつた、物で、たまたま持つておるが、現在の所有主というものは経済的には非常に落魄しておる、非常に窮乏しておる。
大体今までの国宝は祖先伝来のものか、乃至はお金があつて持つていた人なんでありますが、その人達かこの急変によつて没落したために随分その物を持つているというよりも売つた場合が非常に多いのです。
そういう場合において、ダムの水底になる所の部落といたしましては祖先伝来の部落を離れることにつきまして、相当強い反対があります。併しそういう面につきましても十分利害関係を説明いたしまして、そうしてこの犠牲に対する十分なる報いをいたすことにいたしまして、了解を得ている例は全国数々あるのであります。
さらにまたもはや農業には耐えられないで、父租伝来の土地を捨てて他に転じて日雇い労働者等に落ちて行くというような者もある。そういう非常に深刻な立場に今日立たされておるのでありますが、この現内閣の財政政策並びに経済政策の一貫したものを見ますと、中小企業と同様に、農村に対しましても、やはりこの実情に即してこれを振興し、もしくはこれを救済して行くというような政策が見受けられない。
○委員長(楠見義男君) その次は、これは質問というよりは希望になるわけでありますが、代理受領の際に、できれば農地委員会の証明書によつてやるようにと、こういう申入れについてはまだ決定的な御意見はなく、自分だけで決定できぬということでありますが、これは希望になりますけれども、その希望も実は強い希望なんですが、それは御承知のように農地委員会というものは国家機関で、そうしてこの農地委員会の決定によつて先祖伝来
ダムを構築してあるいは仙台市の水道の水源地にするとか、その他名取川の改修によつて洪水を調節をする目的は尊い目的でありまするけれども、一面祖先伝来住みなれた数百年この方山村に定住しておるそれら数百戸の農民、あるいは林業等を営んでおる彼ら、ダムをつくつて湖底に沈む彼らの将来の生活を顧みないようなことがあつたならば、大きな社会問題でなければならないと思うのでありまするから、建設省におかれては、特にそういう
一例を私の村にとつてみますと、祖先伝来の美田が、三百六十二町歩のうち三百三十二町歩、九割が被害を受け、そのうち水没田が二百二町歩、不安定耕地が百三十町歩でありまして、残りの耕地は、すなわち被害を受けない面積は、地味の惡い三十町歩にすぎません。
一例を私の村に取つて見ますると、相先伝来の美田が三百六十二町歩の中三百三十三町歩、九割が被害を受け、その中水没田二百二町歩、不安定耕地が百三十町歩でありまして、残りの耕地即ち被害を受けていない面積は地味の悪い三十町歩に過ぎません。
○淺岡信夫君 藪崎証人にお尋ねしますが、只今北條委員からの証言を求められたことにつきましては、十分了承いたしたのでありますが、この日本の当時の国策に準じまして、そうして父祖伝来の土地を捨てて大陸に行つた。当時満洲事変の直後におきまして、百万戸五百五移住という声が非常に国内で挙つて、武裝移民団というようなことで第一次団長山崎団長、第二次団長宗団長というようなことで送られた。
殊に当時の開拓団諸君は、日本の国策に副うて、父祖伝来の本国の土地を捨てて、そうして永住の地として彼らは満洲に送られて行つた。
従つてその被害の及ぶところ、耕地にして六十二ケ市町村に跨がり、これがため年々の米麦の減收は、二十二万八千余石、広範囲に亘る耕地の傾斜又は、水没、或いは灌漑排水施設を破壊され、水田としての効用価値を喪失又は減退し、祖先伝来の田畑を失い、余儀なく農業を離れ転職している者も決して少なくないようです。
それから山口県鉱害被害者連合会書記長の和田某が申しまするには、鉱害による被害者の窮状は見られた通り、’家は傾き、父祖伝来の耕地は不毛又は減收田となつて、農民は非常に苦悩を嘗めておる。それで一日も早くこの我々の耕地を復旧して貰いたい。
先祖伝来の美田は沈下陥没いたしまして、まるで海のようになつておる。ひどい所は五メートル、八メートルの深さになつておる。あるいは住宅のごときも倒壞傾斜いたして実にひどい状態であります。
民営となりますと、利益本位になり、外資並びに葉煙草の輸入ということになつて参りますので、勢い我が国の煙草の耕作者は約六十万戸ありますが、家族共に三百万人の生活は、約その三分の一は父祖伝来の農業形態を破壞されて、一大脅威にさらされることに相成るであろうと思うのであります。すでに先日吉田首相の一言によりまして、華煙草耕作地は至るところ非常に人心が動搖いたしております。
もちろん現在のように人口が多くなつて参ります場合には、従来漁業をやつていなかつたところが漁業をやるということになりますと、昔から父祖伝来の漁業者が、それによつて生活して来たというものまで、この際否認されるということは、はたしていかがなものであろうかと考えられるのであります。
これは今父祖伝来という言葉を申されましたが、その漁村の実際の條件というようなものもございます。そういう実情から考えまして、そういうものについては考えなければならぬという意味でございます。それから現在民主化が達成されておるかどうかというお尋ねでございましたが、民主化の意味にもいろいろあろうと存じます。達成されているところもあり、またそうでないところもあると私どもは考えております。
○砂間委員 お考えによりますと、父祖伝来の漁業権を保護するという点に重点が置かれておるようでありますが、今度の漁業権改革—これは第一條にもはつきり書いておりますように、漁村の民主化と漁業生産力の発展という点に、その基準が置かれておると思うのでございます。
われわれの所は、昔から定置漁業権は祖先伝来の家業といたしまして、長年にわたつてこれに従事しておるのでありまして、現在のところから言いますと、ほとんど漁夫と漁業経営事者というものは親子関係のごとくになつておるのであります。お話の中には、協同組合に皆入つておるからそれによつたらよかろうというようなこともありますですが、特に定置漁業の漁夫なんかは全部今のわれわれの意見に賛成しておるのであります。
特に石越村という所は、七年間のうちに五回も一千町歩の水田が殆んど収穫皆無のような被害を受けておつたのでありまして、父祖伝来の村を捨てて外に移動するというような人が沢山出て参つたのであります。宮城縣は昨年二十一年度におきまして、一百十万石を供出しておつた穀倉でありますが、一瞬にして需要縣に変わつてしまつたのであります。