1980-03-29 第91回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第1号
○渡辺武君 大臣、お聞きのとおり、とにかく大変な苦労をして、土地を取られてもう本当に飢え死にした子供まで出てきておるというような実態のもとでこういう切実な要求が出ておるんですね。それで農地法三十六条で現耕作者に払い下げるという道は一つあるわけですが、旧地主について何らかの補償措置を講じないと、これは統一的な解決にならぬというふうに私は思うんです。
○渡辺武君 大臣、お聞きのとおり、とにかく大変な苦労をして、土地を取られてもう本当に飢え死にした子供まで出てきておるというような実態のもとでこういう切実な要求が出ておるんですね。それで農地法三十六条で現耕作者に払い下げるという道は一つあるわけですが、旧地主について何らかの補償措置を講じないと、これは統一的な解決にならぬというふうに私は思うんです。
しかも、個人的な生活の態度にいたしましても非常な厳しさ、他の者とは変わった厳しさ——これはいまひょっと思い出したのでありますが、終戦直後のあの食糧難の時代、やみをやったらいかぬというので、とうとう飢え死にをされたような方まで過去いらっしゃったほど、それぞれ程度の差はありましても、非常に厳しい生活態度をとっていらっしゃると思うのであります。
私はこれはいま日本は過剰で困っていると言うが、逆に飢え死にしそうな国もある。そういうことをやはり国際的に調整しながら食糧の備蓄を国際的にやったり、お互いにやはり援助をし合ったりする。日本は日本なりの立場の中からこれだけの大きな国になったんですから、そういうおくれた国に対しての、気の毒な国に対しての援助をしてあげることも当然だ。
○田村国務大臣 おっしゃることよくわかるのでございますが、これが民間企業でございますと、これだけしてやるからあとはもう知らないよと言えるのですけれども、国鉄というのは政府関係機関でございますから、これだけちゃんとしてやるからあとは知らないよと言って、また赤字を出して手を上げたときに、倒産しようと飢え死にしようと勝手にしろと言うわけにもいかず、そこいらに非常にむずかしい面があるのじゃなかろうか、このように
四割だけがぬくぬくと食糧を食うて、残りの六割が黙って飢え死にはしていけませんよ、これは。年間四割までは五、六ヵ月は食っていっても、後は一人残らず死ぬと。これは仮説でありますけれども、そういうことになるのが食糧だと思うんですね。 そこで、いま日本の農政は食糧自給を目指し、攻める農政に移る。そして、それが最大の政治課題である、何物にも優先した政治課題である。
その大成功だということの根拠は何かという点になりますと、徳川時代は農家が九〇%以上占めていたが、いまは一六%でも飢え死にする人がいない、だから大成功なんだ、と、こういう論をなしておられる方があるのですが、これについては農林政務次官はどう思われますか。大成功だとお思いですか。
六十六円の一食で、すぐ飢え死にはしないでしょう。しかし、これは六十歳からの基準です。六十歳から六十四歳。六十歳のお年寄りがほんとうに普通に生活ができれば、いま平均寿命が延びていますから、八十まで生きられる。ところが、そのような生活のために、七十で死んでしまわなければならないということが起こるわけです。人殺しと同じことになるわけですよ。人殺しですよ、ほんとうに。
まず熱帯病マラリヤでやられて、そして飢え死にをして五千二百名が死んでしまった。千五百名が帰ってきたんです。ところが、その帰ってきたのを見たら、みな上級将校だけなんです。そこで当時の安倍能成文部大臣が、雑誌「世界」の誌上で、メレヨン生き残りの将校を告発する、将校が死んで兵隊が帰ってくるのがあたりまえじゃないか、上級将校だけ帰ってくるとは何事かといって告発をされた。
みな飢餓線上に彷徨して、ここでマラリアで倒れて飢え死にするか食を求めて一日でも生き伸びるかというそのぎりぎりの、法律でいえば期待可能性の問題であります。その中で往復していた人が部隊を離れたって、島ですから何も遠くのほうまで行けるわけじゃない。佐渡島の大きさだか四国の大きさだかは別といたしまして、その中でいたからといってこれは敵前逃亡だといってそれを死刑にしたとおっしゃる。
最近西アフリカにおきます、チャドとかダホメとかアッパーボルタとか、ああいう地方の悲惨な水飢饉、食糧飢饉の状況、五百万人の人類が飢饉のために死滅するかもしれない、あるいは四百万頭の家畜が飢え死にするかもしれない、そういう状況を見るにつけましても、やはり農業というものの持つ偉大なる役割りというものをこの際またかみしめなければならぬ。
ところが、同じこの地球上で食べものがなくて、いま飢え死にしようとしている人が何百万人もいる。一体これはあなた、理解できないこと、ふしぎなことですよ。今日交通機関が発達して、地球の裏側でも簡単に行けるようになっている。アフリカまで行くったって簡単に行けるんですよ、私行ってきたんですから。
したがってその時期は、毎年豊作を続けなければ日本人それ自体が飢え死にするわけでありますから、そこでしかたなしにかどうかわかりませんが、水銀農薬をまいてきた。
しかし、かりに厚生大臣、あなたが言われるように、事実逃亡したとしても、そのしなければならない飢餓線上、われわれは兵隊にとられて戦場に行ったけれども、飢え死にするような約束のために兵隊にとられたのじゃない。だれが一体食糧あさりに逃亡しなければならぬようにしたのか。いまも言うように、もう八月十二日は病院に入らない生き残っている者は全部食糧あさりに毎日、日を暮らしたというのだ。
それから社会保障の充実でありますが、国民貯蓄性向が高過ぎる、こういうことは、特に老後の生活が安定しておらぬということが最大の原因だということは、先ほども申しましたけれども、五万円年金が全部の老人に行き渡るものだったらば、あるいは飢え死にをしないでいい程度の生活は保障されると思いますが、それが受給者は一部にすぎない、大部分は三万円とか二万円とかという額にしかならないと、こういうような話を聞いております
こんなような基準では、すぐに飢え死にはいたしませんが、しかし七十まで寿命のある人は六十で死んでしまいます。八十まで寿命が本来ある人が七十でなくなる。自分の命を縮めて生き長らえる水準であります。これを政府は健康で文化的な水準だと称しておるわけです。重大な反省をしてもらわなければならないと思います。
とにかく、レニングラードの攻防戦で飢え死にしたあのターニャという十二歳の少女の例をあげ、そうして世界の平和に捧げなければならないと言った。その同じ時刻に、ベトナムでは北爆、南爆で一体何人が殺されているのです。これを一体どう思うのです。ああいうことばというものは、どんなに欺瞞性に満ちたものだかということははっきりしているだろうと思う。だから、この問題についてまずお聞きしたい。いかがですか。
たとえばグアム島で二十八年間、文字どおり地下にもぐって生き続けた横井庄一さん、横井さんと同じ運命をたどりながら、中途で飢え死にをされた御遺骨が帰ってきたわけでありますが、これに対して政治というものは、償っても償い切れない重い責任を持っておるわけであります。
ほっておいたら飢え死にするわけであります。こういう状態でございまして、わが国としてパキスタンの難民にいままでどの程度援助をされたか、またこれからされようとしておるか。ついでにおもな世界各国の援助の状況についてお知らせをいただきたいと思います。
○永田委員 この印パの問題について、援助はもうさしあたって大急ぎでやらなければ難民が飢え死にするという状態でありますが、根本的な解決という点について大臣のお考えがあったらお聞きしたいと思うのであります。
あまりいい例じゃないかもしれませんけれども、お米にしましても、戦争直後のように一千万人ぐらい飢え死にするのじゃないかというときには、非常に厳格な配給制度が必要でありますけれども、だんだん米がたくさん余ってくると、逆に、消費者を保護しているのじゃない、これは生産者保護だというふうに意味が変わってまいりますとまた問題が出てくるというようなわけで、過保護というのもいろいろありますが、日本の資本蓄積が少なくて
それがないと、これは、えさを求めているひなみたいなもので、くれないでおけば飢え死にしてしまうという状態になるわけですから、何か方法を考えなければならぬでしょう。だから、地価対策協議会といったようなものも何回も開いておるようだけれども、なかなか結論が出ていない。
ですから、それは大蔵省タイプではいかぬじゃないかと私は思うのですが、この問題について、財政は非常に貧弱なんだ、その貧弱な中において、新聞に出ておるように、もはや今日、政府の施策を待っておったら飢え死にするだけだということで思い切ってやって成功した岩手県の例もあるし、大分県の例等も新聞に書かれております。そこでは人口がふえておるところもあるんですね。