1950-12-06 第9回国会 参議院 予算委員会 第8号
インデイヴイデユアリテイというものがシユープリームであつて、ドイツの国法学者が考えるようなステート、国家というものに主権がある、或いはそれを代表するところの君主というようなものに主権があるのではないという全く対蹠的な考えに立つて、曾つての自由党の諸君が運動せられたんでありますが、併しそれは薩長藩閥政府、山縣有朋、伊藤博文等を中心とするところの藩閥政府の官僚的な精神によつて、明治憲法の制定と共に圧伏せられてしまつた
インデイヴイデユアリテイというものがシユープリームであつて、ドイツの国法学者が考えるようなステート、国家というものに主権がある、或いはそれを代表するところの君主というようなものに主権があるのではないという全く対蹠的な考えに立つて、曾つての自由党の諸君が運動せられたんでありますが、併しそれは薩長藩閥政府、山縣有朋、伊藤博文等を中心とするところの藩閥政府の官僚的な精神によつて、明治憲法の制定と共に圧伏せられてしまつた
どういう関係で東北六県だけで全国の国有林野の三分の一を保有しておるかというならば、言うまで心なく奥羽二十一藩が時の薩長土肥藩閥政府に反抗をして、反乱軍という判定のもとに、奥羽二十一藩の藩主の持つておるすべての山々が、明治五年までの間にとられてしまつたのである。そこで東北地方における農民は、自分の住宅の軒下に国有林がありますのでたきぎにも困つておる。
大体私どもが各新聞紙やその他のところから集めた情報は以上のようなものでありまして、こういうことは警察権力というものが、もう法律も憲法も無規して、まるで暴力です、暴力をもつて民主主義運動、平和運動を弾圧する、こういうことは秦の始皇帝の坑儒焚書の事件とか、徳川幕府の末期のやり方とか、あるいは自由民権運動に対する薩長軍閥政府の弾圧のやり方、あるいは東條、ヒトラー、ムッソリーニのやり方、あれとまつたく同じでございまして
足尾銅山のストライキであるとか、あるいは米騒動に対してとか、あるいは大正大震災のときの朝鮮人の殺鐵であるとか、ずつと前にさかのぼりますと、憲法発布前の自由民権運動というようなものを日本の軍隊が、薩長軍閥の軍隊が弾圧いたしましたけれども、そういう警察の弾圧に民衆が対抗いたしまして、結局曲りなりにもプロシャ憲法でありますけれども、憲法議会が開かれた、こういうことになつておるのであります。
併し朝廷は未丁年の天皇を君主に戴き、三條、岩倉等の公卿に薩長土肥等の家臣が協力して新政府を樹てたので、朝敵を討伐するという間にも、京都その他における苦戰の敵討をするというような氣分あるを免れず、又思想上においても亀井氏の一門のごとき人々の意見が採用せられ、佛教排斥、神道至上を主とした運動で、眞に日本國民の精神の帰趨を定むるという点には余り注意しなかつた。