2007-05-16 第166回国会 衆議院 教育再生に関する特別委員会 第12号
また、自然環境の方に入るんでしょうか、近所の農家のおじさんに農業を教えてもらうというか、自然農法の大切さ等を、実際に田んぼへ行って、畑へ行って子供たちがお百姓さんに教えてもらっておるというようなところもあるわけでして、こういったような教育が、先ほど申し上げましたように必要ではないかな、私はこのように思っておりますが、文部科学省はどのようなお考えでありましょうか。お聞かせを願います。
また、自然環境の方に入るんでしょうか、近所の農家のおじさんに農業を教えてもらうというか、自然農法の大切さ等を、実際に田んぼへ行って、畑へ行って子供たちがお百姓さんに教えてもらっておるというようなところもあるわけでして、こういったような教育が、先ほど申し上げましたように必要ではないかな、私はこのように思っておりますが、文部科学省はどのようなお考えでありましょうか。お聞かせを願います。
年老いたお百姓さんが額に汗して農作業にいそしんでいると、地域活性化号という列車ががたごととあぜ道のほとりの線路を走っていく。あれは何だべとお百姓さんが見送りますが、地域活性化号はむなしく通り過ぎていき、農村現場には何ももたらさないというものであります。また、乗り込む車両によって行き先がばらばらであり、気がついてみたら全く違った場所に連れていかれるのではないか、そんな声も聞かれます。
彼らは、やはり自分たちの出している情報あるいは需要見通しというのが、アメリカの小麦をつくっているお百姓さんたちに一番いいように、そして例えばバイヤーである日本の商社にとってよくわかって、それは買うたろうというふうな思いをしっかり込めてやっている。
戦後六十年たちましたけれども、私たちが小さいときは、私自身は中国山脈の山の中の四反三畝の百姓の息子ですけれども、こうして現在があるのは、そういう格差がないから、あるいは多少あったとしても小さな格差だから乗り越えて今日を迎えることができたんだろうとつくづくと思うわけで、それだけに、今言われたように格差の問題は非常に大きな問題だろうと思いますので、格差是正のために頑張っていきたいと思っています。
私の覚えているのは、両親から、お茶わんに入れてよそった御飯ですね、この中の一粒一粒がみんなお百姓さんの汗の結晶だから、決して食べ残してはいけない、御飯粒一つも残しちゃ駄目だと、食べるだけ御飯をよそってもらうということを子供のころからしつけられまして、今もそれを実行しておりますが、自分の孫などを見ると、なかなかこのごろはそういうことはできていないなと、これは先生がおっしゃったとおりだと思います。
四百五十年ほど前、多分、私は、大臣の御先祖に雇われておった足軽か百姓かわかりませんが、そんな身分をずっと続けて、ルーツが、そこに根っこが生えてしまいましたが、大臣の今の選挙区は、多分、都市型、特に消費者の方が多い地域、裏返して言えば、働く方も多い地域だというふうに承知をしております。
だから、おれは小学校を卒業したら大工の手伝いをする、あるいは百姓をやると言っていた人がいます。だけれども、義務教育になったわけですね。だから無償で行けるようになったんです。非常に大きなよかった点だと思うんです。 ただ、私は、この義務教育ということを頭を真っ白にして考えた場合に、義務教育九年間というのを六と三に分ける意味というのはどこにあるんだろうと逆に考えていくわけです。
そして、場合によっては年を越せないので、札幌などの都市部の小学校でも、十勝の冷害に苦しんでいるお百姓さんにちょっとずつでもカンパしようなどという動きもあったんだそうであります。そして、酪農地帯でも本当に筆舌に尽くし難い苦労、それは夜逃げと自殺の歴史だったかもしれません。 私のふるさともそんな農業地帯の一つであります。
武士の姿をして、侍の姿をして、百姓の姿をして、日本人の出演は要らないと、ホンジュラス国内でこの「米百俵」の物語を演じているということで支援しようと。 やっぱりこういう話というのは、日本人だけじゃない、外国の方々も感動するわけですね。いかに将来を見据えて、人が大事か、教育が大事かと。
自己紹介しますと、私は、佐賀県の唐津といいまして、一番北の、町の端っこの方で百姓をやっていまして、二番目に意見を言われました吉野さんの壱岐の島とは目と鼻の先でありまして、大地の上から壱岐の島を眺めながら農業をやっています。 ちょうど今田植えの時期で、棚田が八割なものですから、ため池の水を落としまして、ずっと四十ヘクタールぐらいやっていくんですけれども、あしたぐらいまで田植えがかかります。
まさにそんな中で、山下公述人にお聞きしたいんですが、このままでいくと、高齢化も進み、かつ、農業者に若手が来ませんし、農業は衰退していく一方、いわゆるお百姓さんはどんどんいなくなっていく一方、自給率はFTA、EPAによって下がっていく一方という中でしか考えられないと思うんですが、山下さん御自身は、どういう形で今の日本の農業をやっていったらお百姓さんは本当に助かっていくと思われるのか、ひとつお話しいただければと
しかし、その中において、雑木林を開拓し、そして開墾をし、土地を、堆肥をつくり豊かにしていった、これは一年や二年でできることでもない、非常に長い年月をかけて豊かな農作物ができる土地をつくり上げていった先人たち、これが、先ほど大臣の答弁にありました、やはり誇りを持てる農家、そして岩國先生のお知り合いの方からいただいた名刺にある百姓というものなんだと思います。
植物を大切にしなさい、出雲市は木のお医者さんまでつくって、木にも命がある、草にも命がある、命のあるものを大切にしなさいと教えているときに、せっかくお百姓さんがつくったものが、ある段階で、穂をつける前にそうやって刈られてしまう。こういう残酷な場面を見せることは、子供の教育にとって大変悪いことじゃないかと思うんです。 これを改めることはできないんですか。
名刺の肩書は百姓と書いてあったんです。百姓という言葉には若干差別的なにおいがあるので、注意して使わなければならないという方もいらっしゃいますけれども、百姓という言葉は、釈迦に説法ですけれども、昔は立派な職業、あるいは一番立派な職業だったかもしれない。それを名刺に堂々と刷り込んで、そして、誇らかに農業に取り組んでいらっしゃる。
しかし、中身を見ていきますと、本当にそれが近代化に役に立っているのか、本当にお百姓さんのために必要なのか、いろいろ疑問も出てくるといったようなことであります。 一つだけ例を申し上げますと、これはもう何回も同じことを申し上げているわけなんですが、ある県で青少年育成事業費というのがありました。これなんかは、青少年育成というのは言葉としてはまず必要なんですね。
分かりやすく言えば、私らの田舎でいう五反百姓なんだな。そういうことですから、それが本気に競争すれば、一体何人が農業をやめれば対抗できるようになるかというと、ほとんど全農家がやめるぐらいにしなきゃならぬな。百戸でも二百戸でも一つに合わせてやっと彼らの町歩数に合うかどうかと。そんなことをやってたら、はみ出した人を何で食べさせるかというようなことが実はナートさんの意見なんだ。
先生が、この中でうちがお百姓さんの子、手を挙げなさいと聞きました。でも、私は挙げることが恥ずかしかったと娘が申しました。というのは、農業は日本の経済発展の足かせなんだというような風潮が流れた時代のさなかであります。当時、私は、非常に残念に思ったわけでございます。
私も、僕も大きくなったらこれで百姓やるねんと。恐らく、潜在意識をそこから高めておくということも必要でしょう。 それともう一つ、あわせて、先ほども申し上げましたように、我々の集落の若者、このページ、一つ見開いていただいたところに茶髪の兄ちゃんが写っています。まさにこれが農作業をやっているんです。農業はやっていません、農作業をやっています。
さらに、興味があるのは、自動的に携帯電話で、百姓ですから田んぼに帰って、電話をファーマーズマーケットにするんですね。そして、そのマーケットにしますと、バーコードですから、あなたは四十個持ってきましたけれども、今何個売れていますという情報が自動的に機械に入ってくる。三十個今売れていますということなので、あと十個。残りの時間、五時までの時間を計算して、また二十個だけ持って走る。
○谷川秀善君 最近は皆さんのそれぞれの勤務形態も違ってまいりましたから、昔は大体、地方へ行きますとお百姓さんが多かったから、大体昼間は割に、昼間とか夜とかは割に暇、暇と言ったら語弊がございますけれども、そういうことでそういう活動が割に活発に行われておったわけです。最近はサラリーマンが増えてまいりましたから、数からいっても、これ、それほど増えていないなという感じを受けております。
そして、農業と接するという接点も、帰り道に、ジャガイモを収穫した後の小芋がくっついたものが山積みにされていたり、お百姓さんに言うと、それ、持っていってもいいよなんて言われて、喜んでそれを持って帰って食べた経験もあります。こういった道草を食った覚えがある。ところが今の子供たちは、そういう道草を食うことすら許されない。
その地域でどのような野菜が育てられていたのか、また、そういう土づくりのためにお百姓さんたちがどんな苦労をしているのか、それを実体験して、子供たちは、そこの野菜とほかの野菜を比較してみて、ああ、僕たちのつくった野菜の方が甘いや、おいしいやということから、みんなお互いに競って食べる、そしてみんなが残さないようにちゃんと食べる。
それは体験的に地域の農家を視察といいますか、見に行って、お百姓さんの話を聞く、あるいは来ていただいて話を聞く、そういう中にもそういった話は入ってくると思いますし、また、そういったものをむしろ意識して取り込んでいくということを地域の食育基本計画または実行計画の中に取り込んでいく、そうして推進をしていくということをまたお願いしてまいりたいと思っております。
攻めの農業というと、日本のお百姓さんを激励するにはいいんですけれども、外国から見るとどうかなという感じもいたしますが、趣旨としては同じことでございます。 次に、エネルギー問題、それと密接に関連する炭酸ガスの問題、さらに食料問題、この三つの問題が人類の前に立ちはだかる最も重大にして深刻な問題であるというのが私の認識でございます。
○森(英)委員 確かに、先ほど申し上げましたように、漁師ですとかお百姓さんですとかは今本当に困っておりますけれども、社会全体を見てみますと、一九七〇年代のオイルショックのときに比べると随分穏やかな受けとめ方であるなという感じはいたしますが、やはりこれは、長期に続きますと、だんだん、じわじわとボディーブローのようにきいてくることもあると思いますので、くれぐれもいろいろな御配慮をお願いいたしたいと思います