1947-10-15 第1回国会 参議院 文教委員会 第11号
それでこの支拂いの方法でございますが、それはあり余つて金があれば是非現金でお拂い願いたいのであります。ない場合も多かろう、殊に地方の自治團体の財政の窮乏しておる現在においては多かろうと思うのであります。それから又この私立学校においては尚更多かろうと思うのであります。そういうような場合にはいろいろ方法もあろうと思いますけれども、今日までもいろいろ方法を考えていらしやると思うのであります。
それでこの支拂いの方法でございますが、それはあり余つて金があれば是非現金でお拂い願いたいのであります。ない場合も多かろう、殊に地方の自治團体の財政の窮乏しておる現在においては多かろうと思うのであります。それから又この私立学校においては尚更多かろうと思うのであります。そういうような場合にはいろいろ方法もあろうと思いますけれども、今日までもいろいろ方法を考えていらしやると思うのであります。
又人口が非常に多いために大都市に人口が集中いたしまして、その大都市近郊はすべて只今旅客が超滿員の殺人的混雜にさらまれておるというようなことで、全國的に非常に電化の必要を認める線區が多いのでありまするが、と云つて金もなし、資材も窮屈であるというようなことから見ますれば、やはりその中で順位の決定をして行かなければならないのではないかと思います。
そこで今もおつしやつたように、適當なる方法でやればいいと言われるのですが、それは理論はそうでありますが、第一わけるのにめんどうだから、のれんを賣つて金にかえようというようなことが行われるとしたら、これは實際上いかがでしようか。のれんのごときものは、わけようがありません。金にかえると言つたつて、評價というものはできるものではありません。また賣つてやつたらいい。
今の問題と附屬しておる映畫館と浴場の問題でありますが、局長のさきの説明では、八日市屋から買うときに、營團が賃借してまた八日市屋に貸すという約束があつたように言われておりますが、少くともこの數年間というものは、營團に賣つて金は八日市屋がとつておつて、浴場竝びに映畫館を使用しておつて利益を得ておるにもかかわらず、家賃を一錢も拂つておらぬ事實があるのであります。
従つて金を貸しておいたら必ずしも自分が引取らなくても他に買手はあるわけでありまするから、そこに金融の途が阻碍されるという程度までに働くものというふうには考えておらんのであります。
その點は改正民法におきまして、遺産を分割する場合には、遺産の種類とか職業というようなことも考えて、分割をやるのだというような趣旨を謳つておるのでありますから、かような趣旨は商工業者的なものにつきまして、ただ工場を賣拂つて金を分けるというようなことでなくて、一人の者が工場を相續して、他の者は先程委員長からお話があつたような債權の取得というような形で以てできるようにという御趣旨だろうと思うのであります。
そうすることによつて、金もこれだけある、これだけの有力な救助組織を持つておるというところに國民の安全感が生じて來るのじやないかと思う。そういう点に対しまして一つ御意見をお伺いしたいと思います。
このためにはたとえば日本銀行の支店がわれわれの方の指令によつて金を出せと言われておりましても、その資金を受け入れる方の縣の方の側におきまして、いろいろな資材の使い方とか、あるいは工事の方法とか、そういつたようなものに關して一つの體系ができておらなければ、やはり貸す方としても一應事務的にいわゆる石橋をたたくようなことになるのじやないかと思います。
丁度あのララの精神、あれは御承知の通りにお互いが助け合つて金のある者もない者も、自分の身分に應じて品物や金を義捐してそうしてそれを日本を送つて來て、日本の各方面のそれらの人々に配給して、そういう人々の慈善心を十分喜んで受け入れて、そうして感謝の念に燃えておるという実情は、こういう社会事業を向上発展せしめる基本的精神として尊重すべきことだ、私かように考えております。
從つて戰災復興の建築の坪數が単位三千圓から五千五百圓に値上りをしたということを認めることによりまして、既定豫算によつて戰災復興ができるのは五千五百分の三千だけとなるわけでありまして、残つた五千五百分お二千五百というものは、資材が残つて金がないという結果がでてくるわけであります。この資材を新制中學校の建築にまわるという操作をすることによつて、三十一億の豫算の資材の裏づけをいたしたわけであります。
これは私自身も府縣の土木行政を扱つてよく承知しておりますが、本當にそうなので、從來は設計を立てさせて、それを内務省の官吏が査定をして、それから徐ろにいろいろ小むづかしい煩瑣な官僚手續を通つて金が來るというようなやり方、そのために第一段階で直ちに打つべき手が打てなくて、技術上非常に不合理な不經濟な工事をするということなのであります。
かりにもしここに怪しき者があつて、いろいろなところに三百匁ずつ配給されたとか、あるいはこれによつて金を得た者がありといたしましたならば、おそらく禍根はこの行方不明になつておる千本の水あめにあるのではないかと考えるのであります。でありますからさらにつつこんで、この千本の水あめの行方について調査するために、この水あめに關する調査を進行せられんことを望むのであります。
從つて金によつて公認候補をかち得ることは、決してよろしくないと思います。
もう一つ本多委員が聽かれたのですが、あなたは關口から預つて金を渡したのだから、もどすならば預けた者へもどすのがほんとうだと思うのですが、それがなぜそういうおかしな筋途になつたのですか。
たとえば耕地を復舊するにいたしましても、あるいは農機具であるとか、あるいは木材であるとか、ボルトであるとか、釘であるとか、そうした物を至急に送つてもらいたいということ、それから全額國庫負擔で一切の復舊事業をやつてもらいたいということ、すなわちこれまで政府においてやりまする事業というものは、先に金が渡されないで、いつでも後になつて金が渡される。
從つて金の多い、形式的な金の多いものを貰うよりも、實質的に米の量を多く、それはじやがいもでも甘藷でもいいのでありますが、とにかく實物を貰つた方がよほど結構であります。
それから公團はもちろんもうけるための公團ではありませんので、これからおびただしい利益が出るということはもちろん考えられませんけれども、場合によりましては取扱いの間に若干の利益がでる、いわゆる計算が黒字になつて、金が餘るということは、ある場合には當然考えられるわけなんでありますから、金が餘つた場合には、これは國庫に納付する、こういうことになるわけであります。
もしもある程度までの柔軟性というか、統制に對するある程度までの人間性を加味したる方式が勘案せらせましたならば、昨年の代用醤油の例においてわかりますごとくに、また現在のソースの實例において明らかなるごとくに、政府が御心配のように、あるいは一部の學者の方々が御心配のように、非常に高くなるとか、また金持ちだけが買つて、金のない者は買えなくなるというようなことが、これは杞憂であると言わなければならないのであります
○玉屋喜章君 進駐軍関係の工事のことでございますが、只今までに完成をしておる、凡そ見積額の金額も大低決つて、そうして完成はしておるが、まだ査定なさつて金を支拂われてはいない。それで非常に困つておる。そうするとそれを当てにして人は金を借りなければならん。貸すにはそれがはつきりしておらんと貸すことができん。