1954-10-19 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第43号
青函鉄道局は事件発生直後救難対策本部を設置し、外部の応援を得てただちに救難作業に着手したのでありますが、まず洞爺丸中に残された遭難者の遺体収容のため、函館地区の潜水夫四組を出動し、なおでき得る限り多数の潜水夫を現地に集結することとし、国鉄本庁の対策本部と緊密な連絡をとりつつ、十月三日までに三十組、漸次その数を増し、最高八十組を目標に全国的に潜水業者の召集に努めたのでありますが、十月六日調査団が現地を
青函鉄道局は事件発生直後救難対策本部を設置し、外部の応援を得てただちに救難作業に着手したのでありますが、まず洞爺丸中に残された遭難者の遺体収容のため、函館地区の潜水夫四組を出動し、なおでき得る限り多数の潜水夫を現地に集結することとし、国鉄本庁の対策本部と緊密な連絡をとりつつ、十月三日までに三十組、漸次その数を増し、最高八十組を目標に全国的に潜水業者の召集に努めたのでありますが、十月六日調査団が現地を
○山口(丈)委員 今の状況を詳細御答弁いただきましたが、今日のように北はアリューシャン北洋漁業、南は遠く濠州近海まで出漁する漁船の遭難等については、やはり漁区を遠く延ばせば延ばすほど、これらに対する救難対策の万全を期さなければ、私は安全漁業はできないと存じますが、現在保有しておるもの、あるいは二十九年度に建造される船の行動半径が、それらの地域の救難にも応ぜられるものであるかどうか、それだけの性能を有