1979-03-01 第87回国会 衆議院 本会議 第11号
さらにまた、大規模小売店舗の進出から中小企業を守るために、関係議員連盟の会長として中小企業の分野調整を大きく前進させたことは特筆さるべき功績の一つでありまして、全国の中小企業者がこぞって先生を中小企業の恩人と仰ぎ、感謝の念を惜しまなかったのもけだし当然のことと申せるでありましょう。(拍手) 先生はまた、郷土にとってかけがえのない存在でありましたことは申すまでもありません。
さらにまた、大規模小売店舗の進出から中小企業を守るために、関係議員連盟の会長として中小企業の分野調整を大きく前進させたことは特筆さるべき功績の一つでありまして、全国の中小企業者がこぞって先生を中小企業の恩人と仰ぎ、感謝の念を惜しまなかったのもけだし当然のことと申せるでありましょう。(拍手) 先生はまた、郷土にとってかけがえのない存在でありましたことは申すまでもありません。
ただしこれは、当時のGHQが認めないので、実現をいたしませんでしたけれども、その提案理由の中には「世界連邦ヲ提唱シテ着々其ノ方法ヲ研究シ、実行スレバ、半世紀ヲ出デズシテ、全世界の恩人ト為リ、其ノ尊敬ヲ受クルニ至ラム。」と書いてあるのであります。まことに傾聴すべき、敬服すべき卓見だと考えるわけでございます。
私の知っているカーン氏は、今日の日本の現状に対しての恩人だということを申しております。これは長くなりますので省略いたしますが、とにかく尊敬する友人でございます。 そして、その雑誌の見出しでございますが、私は、敵という言葉はいまだかつて使ったことございません。それは、その雑誌の編集の方がおつけになったものでございまして、実は、私もそれを見てびっくりいたしました。
そういうようなことでやってきておるということでございますので、私はあなたがおっしゃるように、日商岩井が何か期待しているということをおっしゃっておりますけれども、私はこの件を頼むというようなことも言われておりませんし、日商岩井との関係は、衆議院でも申し上げましたが、私の恩人が数代前の社長の西川さんという人を私に紹介してくださいまして、それは私の恩人がただ西川さんだけを紹介したんじゃなくて、実は私が新聞記者出身
○受田委員 私、この機会に戦後の賠償交渉の経過等を詳細に、われわれ特に二回にわたる在外財産問題審議会に出席をした議員としていま顧みるときに、この賠償交渉の経過の中に、最後にマッコイ少将という非常に日本に好意的に賠償取り立てを中止した一人の恩人がおるわけです。そういうこともありまして、自来アメリカも中国も賠償ということへ非常に恩恵的な愛を注いでくれている。
私は、戦後荒廃のきわみにあった日本をここまで発展させてくれた恩人である今日の老人は、国の宝として、もっともっと大切にされなければならないと思います。さらに、わが国における将来の人口構造の老齢化を考えるとき、老人福祉の制度は、政治の根幹とも言うべき重大な課題であります。 私は、この際、老人医療費の無料化制度は堅持するという福田総理の明確な態度をお聞きいたしたいと存じます。
まことにロッキード社にとっては恩人であります。これらの三人を本委員会に喚問することこそが国民の要望であります。重ねてこの要求をしたいのでありますが、繰り返されておる問題でございますので、いま直ちにする要求としては、いまの追及の中でも明らかにされた後藤田氏の、大臣の推賞おくあたわざる日記帳を議院証言法に基づいて本委員会に調査資料として提出をしていただくように、委員長、要求をいたします。
あなた、われわれに対してはたいした恩人みたいなものだ。ぼくはここにこの問題の出発点があると思うのですよ。 だから、高度な位置にある科学者というものは、特にこの原子力などに携わる科学者というものは考えてもらいたい。ノミの研究の科学も科学だが、原子力とか宇宙開発というものは、間違えば人類の運命にまで及ぶものです。
彼らはひたすら利益だけを追求していながら恩人ぶっています。彼らのそのような姿勢がわれわれの気ざわりになるのは、彼らが韓国戦争およびベトナム戦争をカサに経済大国となっているためであります。」と辛らつに評しております。一国の、これは日本でいえば経済企画庁の次官ですね。
ですから、これは国の恩人であり大功労者であり、そしてまた高度経済成長の陰にある公害、環境破壊、その他いろいろの失敗問題の償いの意味においても、こうした功労者である谷間の方々に、この際は何とか救いの手を差し伸べよう。新聞紙上ではランクづけて発表されておりましたけれども、われわれはこういうことでは納得いかぬと思うのですね。
運輸大臣、あなたは私が三年くらい前に予算委員をやめさせられそうになったのを助えてくれた恩人ですから、この機会に厚く……。佐藤主流からしまいには、あんた予算委員までやめろ——どこにやるか知らぬが。このごろはこういうファンもできてきておるので、中国問題も好転しましたので、窮地を脱した形ではおるけれども。——ひとつよく反省をされて、国際空港の開設は少なくとも利用者の足が十分に確保できるまで延期しろ。
申し上げませんが、やはり何か郵政省から奨励をして、そういう人たちがないかとさがしたところがあった、それにやってもらっているんだから恩人だと、こういうような考え方をして、簡単に言ったら、それに助成をするのが何が悪いかと言わぬばかりのお話しですけれども、そうじゃないですよ、このいきさつは。その辺の認識が全く違っておりますからね。
人道的な問題だからお願いします、あたかも九人の犯人が命の恩人のような錯覚を与えるようなことになってしまうということもあって、そういう問題をお考えになっておりますか、各国際間の処理の問題は。
金持ちになった日本ならば、また教育が経済成長の恩人であるならば、そういうこまかいところにもつと配慮をして、ほんとうに手の行き届いた教育をこの際すべきではないか、こう思うのです。 これについて、特に自治大臣に関係があり、それから高校進学の問題で、そんなことにまで大蔵大臣、ひとつ思いやりが持てるかどうか、お二人から聞いてみたいと思うのです。
小林教授はカドミウム説を立てていただいた恩人でございます。どちらの味方もしたくないのであります。ただし、学者として事実を申し上げます。ここに富山県の地図がございます。ここに富山市がございます。この地区には患者が出ていない。神通川をまたいで一部こちらにかかっております。全然出ておりません。なぜかと申しますと、富山市の市長がえらかった。
したがって、農業こそは日本の今日の隆々たる発展の恩人でなければならない。これをあたかも忘れたごとく、今日米が余った余ったと、その余った理由を、多収穫にだけ専念する農民にその罪を負わせようとしている。長い日本の農業の歴史、農政の歴史を忘れている。悪い政治というものは、常に舌が長くて記憶の短いというところから出発するのであります。
あなたの恩人吉田元首相が、サンフランシスコ平和会議において、池田、星島、一萬田君等の全権団全員で講和条約には調印されながら、安保条約のみは吉田茂ただ一人の責任において単独調印した事実は、あなたもよく御存じと存じます。吉田氏は、安保条約にこの危険な面もあることを洞察して、歴史に対して責任を負うたことと私は考えておるのであります。
ところが、新しい局長が参りますと、いままで和気あいあいとしてそのようにやったけれども、今度一切組合に対して事務所も貸さない、時間外であろうとも、組合運動を中でやるのはいけない、こういうようなことで、組合事務所を外に求めなければならないように——いまここで地鎮祭を終わって、皆さんから喜ばれてそれをやるのに、その恩人を外に出してやる、こういうようなのが管理体制としていいでしょうか。
農業農民こそ日本再建の大恩人だと私は信じております。のみならず、今日の物価高は歴代自民党政府の大資本、大企業本位の経済成長政策の当然の結果であり、農業農民こそはその最大の犠牲者でございます。 いまわれわれが当面している四十二年産米価にいたしましても、米価算定の技術的な論議よりも政治的な発言が特徴的であります。
それは死亡したから出てきたのでしょうけれども、その人たちが新聞に書かれておるところを見ると、恩人に迷惑がかかっちゃいかぬと思って逃げ回っておったという話になっておるわけですね。どうもそこらに日本の選挙というものの感覚がやや正常でないものがあると思うのです。だから、私は何もそういう人たちを禁錮にしなさいということではない。