1973-04-24 第71回国会 参議院 社会労働委員会 第6号
○説明員(国松治男君) 文部省の特殊教育課長でございますが、いまの点についてお答え申し上げます。 いま先生がおっしゃいました訪問教師という制度は、各都道府県で実験的にまだやっておる段階でございますが、そのやられております形態もいろいろでございまして、週何時間やるかというふうなこと、あるいは教育の内容の問題等、いろいろとございます。
○説明員(国松治男君) 文部省の特殊教育課長でございますが、いまの点についてお答え申し上げます。 いま先生がおっしゃいました訪問教師という制度は、各都道府県で実験的にまだやっておる段階でございますが、そのやられております形態もいろいろでございまして、週何時間やるかというふうなこと、あるいは教育の内容の問題等、いろいろとございます。
○説明員(国松治男君) いまお話のありました幼児等の早期教育につきましても、私どものほうも現在の計画の中でも養護学校には、もちろん小学部、中学部だけでなくて、幼稚部も置くというふうな構想で進めております。
○説明員(国松治男君) 先ほどから申し上げておりますように、養護学校が未整備でありますために、すでに学齢を過ぎられた方がいままでそういう教育の機会が得られなかったというふうなことで、私どももたいへん遺憾に思っておるわけでございますが、たとえば盲学校、ろう学校等は少し歴史がございまして、高等部のほかに、別科、選考科というふうなものも設けてございます。
○説明員(国松治男君) 先生のほうから府県のほうのお話もございましたが、先ほども申し上げましたように、私どものほうも、障害の種類とか程度に応じまして、最も適切な教育の場に行くというふうなことが非常に肝心ではないかというふうに考えております。したがいまして、先ほども申し上げましたように、普通学級に行く者もあれば、特殊学級あるいは養護学校に行く者もあるというふうなことでございます。
○説明員(国松治男君) 心身に障害を有する児童、生徒の教育といいますのは私どものほうも非常に大まかに申し上げますと、障害の軽い者は普通学級でやれ、それでその次に少し重い者は特殊学級、かなり重度の者は養護学校というふうな考え方で指導をいたしてまいっております。
その次の日に、やはり衆議院のほうで昭和九年の十二月二日に浜田国松さん、これもやはり法務省の何か事務次官か政務次官かやった人だそうでありますけれども、そこでこういうぐあいに言っている。これは私はぜひ聞いてほしいと思うのです。
それが原因で結局国松誠ちゃんという人がひき殺された、こういうふうに関係者は見ておるようでありますし、私どもそういうふうに考えざるを得ないのです。こういう事件も起きておるのでありますから、あとからまたいろいろ質問はいたしますが、しっかりと少なくとも基準だけは守っていくというような指導を行政面でしていただきたいと思うわけであります。
○峯参考人 ダハボン地区の場合は、静岡出身の国松さんとそれから名前は忘れましたがあと一人、それから奥さんが一人と合計三人なくなられました。子供さんはずいぶん死んだようであります。
浜田国松さんでもあるいは齋藤隆夫氏でも、予算委員会の席上あるいは本会議の席上で軍事費が多過ぎる、これを押える者はないかということを大蔵当局に迫って、大蔵当局の中には藤井真信氏のように軍事費と渡り合った結果ついに命を縮めた大蔵大臣もあったけれども、日本の歴史を振り返ってみると、みんなこの軍費の膨脹を押えようと試みた惜しい人が命を落としておる。
日本の軍人というものが一つの軍事機構、軍閥、つまり軍人の官僚的なものを築いておって、もう政治家の斎藤隆夫や浜田国松あたりがいかに御批判なさっても、一たんそれが戦争をやるのだ、満州事変を起してこれからここへ行くのだと軍が一方的にきめてしまった。
これは平凡社の百科事典、恐らく国松というかたが書かれておる、私は百科事典を見て探してみましたが、大体において日本は植民地における軍事植民地という範疇に入る。矢内原氏の定義によれば、大体、半植民地的、まあ半が付く。とにかく独立国家でないことだけは明らかです。(「岡崎どうした」と呼ぶ者あり)独立国家でないということは、占領中の占領というものが具体的に継続しておるということであると思う。