1950-10-20 第8回国会 参議院 建設委員会 閉会後第5号
こういう仕事を幕府から薩摩にやらして、そうして薩摩の財政を大いに貧弱にしようという企らみだと想像されますが、薩摩に対しまする命令は、勿論昔のことですから、幕府の命令というものは背くわけにはならない世の中でありますから、仕方がなく唯々諾々として命令に応じたわけであります、つきましては、一の家老平田という人でありますが、この平田を総大将としまして、数はやはり忠臣蔵の四十七名になんなんとするのじやないかと
こういう仕事を幕府から薩摩にやらして、そうして薩摩の財政を大いに貧弱にしようという企らみだと想像されますが、薩摩に対しまする命令は、勿論昔のことですから、幕府の命令というものは背くわけにはならない世の中でありますから、仕方がなく唯々諾々として命令に応じたわけであります、つきましては、一の家老平田という人でありますが、この平田を総大将としまして、数はやはり忠臣蔵の四十七名になんなんとするのじやないかと
この政策に対して、現政府は唯々諾々としてこれに対する協力を表明し、かつ実行に移しておる。そのことからどういうことが一体来ておるか。これは言うまでもなく、政府がかねて誇称しております自由主義経済とはまつたく違つて、新しい外国からの統制経済、こういうようになつて来ておる。このことはここで私は全体にわたりまして、一々論証する必要はなかろうと思います。
外相のもとに唯々たる姿を、ひとつ改良するように努力願えるかどうかを、お答え願いたいと思います。
従つて我々は常に意見は強く上司に申上げますけれども、決定した限りは私らは常に唯々諸々として従つておるわけです。松本課長とは若干仕事の面において、公式の場合においても意見の対立はありました。併しながら私らは飽くまでもそれを固執するものではない。私らは意見として申上げる。我々が部下として上司の為になると信ずる意見を申上げるだけなんです。
これは昨日申しました通り、食糧というものが、無事泰平な世界であつて、国際間に何らの問題も起らぬときには、需給推算も立ちますし、唯々として生産に従事し得られるのでありますが、国際情勢はいつ変化するかわからぬ、そういう場合に処してもまた対策がなければならぬ。しかし今日日本が食糧について完全なる自給力を持つておらない場合においては、そういう大きなことは今日表へ出して言い得られる場合でもありません。
しかるに、今日民主憲法の時代におきまして、かような数十字に足らないような勅令を根拠といたしまして、政令をどんどん出されるということは、実に私どもは不可解であり、またこれに対して、何ら非難攻撃することなく、唯々諾々としておるということは、戰時中の議会の諸公にも劣ることではないかと考えるのであります。
現内閣の自由主義的な政策をそのまま唯々諾々としておやりになるのだ、今後もそういうことをおやりになるのだ、もういう御趣旨でありますか。もう少し明らかにしていただきたいと思います。
しかし政府の態度を見ていると、いずれもべつこり頭を下げて、唯々諾々としてこれを受入れる以外にない。こういう人が来るたびに、われわれ国民の進路はかわつて来るのではないかというような心配を持つている。吉田内閣は自主性を誇称して来たのだけれども、実際はそうじやない。そこで外国筋の援助や日本の能力を調べてみて、一体どの程度まで援助がもらえるか。
そういう仕事を公団から仰せつかつて、唯々諾々とそれを引受けるというところには、何かそれに相当するような、あるいはそれ以上の莫大なる利益が公団によつて與えられておるということを前提にしなければ、理解できないと思う。その点はどうですか。平生もうけさせてあるから、そういうむりなことを向うが聞いてやつてくれるのじやないのですか。
このために占領下においては唯々諾々とその命に従つて、まして若干、心の中に要求する、希望する点がありましても述べないで、ただこれに従つておつたのである。これは戰時中における翼賛政治組織と同じ姿にあつたように考えるのでありまするが、今やこの朗報を得て、やがて我々が一独立国として立つということになれば、ここに国民として、或いは国家として、この相手国に要求すべき点が多々あるものと思います。
又今日まで政府としても総司令部の言うことを唯々諾々遵奉しておるわけではないのであります。言うべきことは言う。筋の通つた話は司令部においても必ず受け容れて呉れるのであつて、無理にこうしろ、ああしろということは決して申しておらないのであります。 外交はとかく惡意に解することは惡いのであります。
即ち電力管理法を発動するということは、即ち只今電力管理法なり日本発送電法によつて、日本発送電を赤子の手をひねるように政府は運営しておるのでありますから、その通りに唯々諾々として経営に任じて來たところの電気経営者の責任を追及する、いわゆる電力管理法を出すということは、不信任案を叩き付けるということに外ならないと私は見るのであります。
而も今までの教員はこのように問題を、上から來れば止むを得ない、仕方がない、長いものには巻かれろと、何でも上からの命令に対しては唯々諾々として聞いて來た。そうして御承知のようにあの軍部の暴力的な圧力の前に我々はこれを眞に批判し、説くことができなかつた。本当に自己の立場に立つてこれを守ることもできなかつた。教育の自由を確保することもできなかつた。思想の自由も守れなかつた。
だからこれを唯々として受けたとすれば、これは余程無責任な肚で來ておると思うから聞いたんです。
これを要するに、私がここで申したいのは、参議院が今日のような旺盛な批判力を行動によつて示すときに、初めて参議院の権威は高まるということ、更に参議院再檢討を急に言い出している人々は、実は参議院を唯々諾々と衆議院や政府に隷属しているのが参議院の性格であると考えている人々であります。(「ノーノー」と呼ぶ者あり)私はこのような人々は参議院の権威をなくしてしまう人々であると思うのであります。
中央において地方の利益を代表すべき地方財政委員会が、一言の返す言葉もなく、ただ唯々諾々として大藏官僚の言うままになつた。あのこと自体を見ましても、決して現在の反動政府の機構の中では地方の利益は代表されるものではないということは確信し得るところであります。しかも、配付税の無視によつてできました地方の穴を埋めるために、現在地方財政委員会は地方税の大幅増徴をもつてこれを救わんとしております。
この一つをとりましても、專從者の給料問題というものを資本家が労働組合に資金を提供するのは御用組合だからいけないという、そういう決め方をしようというのが却つて逆な結果を來し、つまり唯々諾々として資本家の言うことを聞く組合を作るために、この條項は設けられたということが言えると思うのであります。
大体において吉村隊長はその命令を唯々として受けておつたのであります。ただ一度余りに理不盡な命令だというので吉村隊長が或る工場の幹部と喧嘩しまして、殴られて帰つて來て、大声で泣いておつたのを見たことがあります。
先程あなたが最初にナホトカに着かれて、兵士大会か人民大会か知りませんけれども、とにかくそこで少佐以上は奥地に送り返された、それを仄かに聞いておつたときに、外の少佐以上の人もおつたということで、あなたは簡單に奥地に唯々諾々として、これは行かざるを得んから行つたんでしようが、そういうふうにそれは仄かに聞いておつたんですか、或いはソ連側としてはそういう点ははつきりしているんでしようか。
言われたことを唯々諾々として聞く。すなわち占領政策に対して熱がないというような物の考え方、やり方は、非常にデモクラシー的ではないのでありまして、これは菊の御紋が代表するところの收奪時代の政治官僚のやり方だと思うのです。その点はうんと態度をかえて御答弁を願いたい。 それから硫安ですが、たしか日本の硫安は、私の記憶に間違いがなかつたならば、年間百四十万トン生産されたと聞いております。
かわいそうと思つて、いろいろ慰めがてら、まあ成るべく吉村の言う通り唯々諾々としてやれ、そうじやないか、という意味で言われたと思います。
いわゆる長谷川隊長が余りに苛酷な労働に唯々諾々として從つておれば体を壞し、結局病氣をして亡くなるというようなことになるので、皆一人でも欠けないように、恙なく懷しい祖國に帰りたいという、帰らしたいという、その氣持と、一方池田、吉村隊長が向う側の、ああいう環境の中ですから、要求せられるままに唯々諾々としてこれを了承して、そして皆が能率を高めて食糧も多く配給して貰う。